その二「パンドラの箱」
電子の世界は海のようだ。
誰が最初に言ったのだろう。
ボクもこの光景を見てそう思う。
電子の中に視界というものはいらない。
だが身体はデータという水圧に埋もれて、カプセルの中にいるときのような浮遊感がある。
水の中に沈んでいるようだと確かに思う。
見えないはずなのに目から耳から鼻から脳に暴力的なまでにいらない情報、欲しい情報を無理矢理押し込んでくる。
普通の人間ではその情報量に文字通り溺れ死んでしまう。
そうならないのはボクという個体には耐性があるからだ。
わかりやすく言えば圧倒的なまでのデータという水圧に適応するよう作られたから。
例えば水中を泳ぐ魚はそこで生活するためにエラがあり、その水圧に堪えるための造りをしているように、ボクの身体を適応させるために本来人間にとって必要な個という人格を潰し薬や生体実験において許容量を増やし続けて成功した一つというわけだ。
これだけの濁流の中で多少情報が混線したとしても本来ならば問題はないはずなのだけども。
なにが問題になるだろうか。
前提条件としてここに流れてくる情報たちは数は膨大であれ、ある程度指向性がある。
一つの大小に関わらず大人たちが必要と判断したモノしかここには流れ着かないはずなのだがそれに混じって何かが来たということだろう。
ある程度独立しているとはいえ一応WEBに対してオンライン状態らしいので稀にあることだ。
それで一々エラーなんて吐かないようにそういったものはシステムに判断させて削除するようにプログラムされているはず
それが出来てないということはつまり是非を決定するためのプログラムは問題がないと判断しているということだ。
マザーというこの施設を統括し管理するシステムがある。これがいるものいらないものを判断してこの施設をWEB上に繋ぎながらも独立させているのだ。
噂ではボクらのような生体ユニットを基軸にコンピューターで制御しているものらしい。
噂は噂であるが僕らの待遇を見るときっと本当になのだろう。
その彼女が許しているバグ。
だけどコンピューターからはエラーを吐き出すものだ。
それはきっとただのデータの塊やダストデータではないんじゃないだろうか。
少し期待が湧いた。
データの渦を手繰り深いところへと移動していく。
探りを入れると流れの途中でデータを堰き止めている何かがあるのがわかる。
最初は小さなものだが近づくにつれて段々と違和感は強くなっていく。
これは、なんだろうか。
目で見ることが出来れば何かわかったかもしれない。
感覚のみで前にそびえ立つそれは微かに脈動しているようにも感じ、岩というよりも生物かなにかの雰囲気に近い。
僕としての機能がこれは触れてはいけないものだと判断する。
きっと取り返しが付かなくなる、このまま放置していても数日ほど実験がなくなる程度でなにも問題はないじゃないか。
だがコレを前にしてその判断が揺れてしまった。
本来感情なんてない。本体が命令する通りにきっと此処から離れ、いつもどおり何も知らない顔をして大人たちの言うことだけを聞いていれば良い。
それが一番のはず。本体が発する危険信号のような決定に間違いはない。
この圧縮された何かを解き放ってしまえばバグは無くなるだろう。
だけど少し触れるだけでわかってしまった。
コレを発生させたのはマザー自身の意志で、大人たちにはとても都合の悪いものだってこと。
そしてそれは僕たちにとっては…。
その辺はきっと各々で判断するだろう。
濁流の中に手をかざし現在オンラインとなっている仲間たちを検索する。
タイミングが良いのか悪いのか、全員オンラインな状態となっている。
きっとビックリするだろう。
何も無かったことにして知らないふりをするかもしれない。
もしかしたら現実に堪えきれず発狂してしまうかもしれない。
それでも何かが変わることはきっと悪い事ではないはずだと信じ、目の前のモノを解き放った。