第05話 迫り来る刺客
和輝の住む街は決して都会とは言いがたい。とはいえ田舎というほどでもない。
地方の、そこそこ人が住んでいる街。
大型ショッピングセンターとなれば、例え平日でも家族連れや夏休み中の学生で多く賑わう。
朝の11時頃にマルタを連れて寮を出た和輝は、約10分ほどで到着する近所で最も大きなショッピングセンターに訪れていた。
マルタが居候し始めてからようやく確保できた大きな時間。今日こそは足りないものを徹底的に買って回らねばと、和輝の中の主婦魂が熱く燃えていた。
すでに口座から諭吉を何枚か引き出している。スマホのメモ帳に買い物リストも作ってある。準備な万端。
しかし、あれやこれやと動き回るには一つだけ弊害があった。
あまりにも目立ちすぎているマルタの服装である。傍から見たらコスプレをした金髪少女を連れ回している男子高校生というあまりにもアウトローな光景。正直、寮から出てここにやってくるまででもかなり周囲の視線を集めていた。
このままでは胃が張り裂けそうである。
というわけで、最も最初に訪れたのはレディース服の販売店であった。
こういったショッピングセンターではどこか一つの階に纏められて衣服店が集合しており、女性物中心のお店となるとそれはもう大量にあるのだが、ここは特に拘ることなくスペース広めのブランド物があまり置いていない安めの店を選んだ。
理由は一つ。店員に声を掛けられないようにするためである。
一人で服屋に入る時でさえ店員に声を掛けられるのが苦手な和輝。ただでさえ奇妙な格好をしてるマルタを連れてる今、余計に他人から接触されるのは避けたかった。こういった店の場合、店員は基本レジに居ることが多いため、それを分かった上での選択である。
「色々あるんですね……わたしは使用人から渡される服しか着た事がなかったので、こうして商品を見て回るというのは新鮮な気分です」
「そ、そうか……」
あれやこれやと手に取っては興味深げに見て回るマルタの後ろを、どこか落ち着かない様子で付いていく和輝。
その様子を見てマルタが振り向いてきた。
「どうしたんですか? さっきからソワソワしてますが」
「い、いや、なんか落ち着かなくてな」
「どうしてですか?」
「女性物の店だからな……入るの初めてだし」
「わたしも始めてですけど」
「そういう意味じゃないんだ……」
周りを見渡せば、視界に映る服はどれもこれもがレディース服。当然だがこういった店に入るのは初めてである。ちらほらと僅かに見える他の客も女性しかいない。意識してるのは和輝だけなのかもしれないが、やはり居心地は決して良くない方だ。
マルタは不思議そうにしながらも動きは止めず、近くにあったワンピースと手に取ると体の前にかざす様にして見せた。
「カズキさん、こんなのどうですか?」
「え? あ、ああ。いいんじゃないか?」
つい空返事で返してしまうと、流石のマルタもムッとして頬を膨らませた。
「何か適当です」
「す、すまん……その、女性のファッションとかよく分からなくてな……」
「似合ってるかどうかだけでいいと思います」
「そうか? いやでもなぁ……」
実際、その通りにしようものなら何を見せられても『似合ってる』で済ませてしまって、それはそれで怒られそうである。
別に嘘ではない。ハッキリ言ってマルタはかなり美人だ。素材があまりにも良すぎる。そのせいか、さっきから何を試しても普通に似合ってしまっている。なので本音を言ってしまうと『なんでもいいんじゃね?』になるのだが、それをぶちゃけたら本当に怒ってしまうだろう。
女性とは難しい生き物だ。
こっちの世界のことは常に和輝が教える側だったが、今だけは立場が逆転してしまってるような気がする。
困ったように視線を彷徨わせていると、しかしそこでいいものが目に入った。
和輝はそちらを指差すと、
「そうだ。試着室で着てみたらどうだ? 鏡あるから自分でも見れるだろ」
「試着? 商品ですよ? 購入前に着てもいいのですか?」
「そっちの世界じゃ知らんが、サイズ合わせとか色々あるからな。あっ、でも試着するなら店員さんに声掛けた方がいいか……」
若干億劫になるが、まあこの際仕方ないだろう。それに店員さんに話をつけておいた方が、購入したものをそのまま着て帰るという手段も取りやすい。
丁度近くにいた女性店員を呼びつけると、試着したい旨を伝えて承諾を貰う。店員さんはマルタの格好を見て僅かに驚いたようであったが、そこは愛想笑いでヘラヘラ笑いつつ誤魔化した。
マルタは何枚か気になる服を持って試着室に入っていった。カーテンを閉めて中でゴソゴソし始める。
和輝はというと、仕事上その場を離れるわけにもいかない女性店員と並んで、目の前でじっと待機した。
(……こういう時どうすべきなんだろう)
店員さんは常にニコニコの営業スマイルを貼り付けて、マルタが出てくるのを待っている。
男である和輝がこの場にいることは何も咎めてこない。実は意外と男性客も来るのだろうか? でも何のために? なんてぼんやり考えていると、
「彼氏さんですか?」
「ファッ!?」
予想外の言葉が店員さんから飛んできて、思わず体が跳ね上がる。
なんてこった。
しかし、なるほどと納得する。今までまったく気にしなかったが、確かに言われてみれば男女が二人並んで、あれ見てこれ見てと会話してればカップルに見えなくもない。
きっとカップル客自体は少なくないのだろう。だから和輝がいても咎められないのかもしれない。
「可愛らしい方ですね」
「え、ええっと、そっすね……ははっ」
「彼女さん、日本語お上手ですけど、海外の方なんですか?」
「そ、そうですねぇ。ロ、ロシア? 的な?」
自分で言ってなんでロシアなんだ。
何と返すべきが最適か分からず、笑いながら曖昧なことを並べてみる。
しばらくして、着替え終わったマルタがおずおずとした様子でカーテンを開けた。
「どうですか……? 自分じゃよく分からないんですけど……」
「……おぉ……」
つい驚きの声が漏れる。
ゆったりとした白いワンピースの上から、ブラックのジャケットを合わせたどこか上品な組み合わせ。マルタの明るい金髪が良いアクセントとなっている。
彼女がこちらの世界のまともな服を着ているのを見るのは初めてだが、想像以上である。それ以上の言葉を失い、つい見惚れてしまう。
「まあ! とてもお似合いですよ! 彼氏さんもそう思いますよね?」
「え? あ、ああ、うん……凄く似合ってるよ」
こういった店の店員は、仮に似合っていなくとも十中八九似合っていると答えるものだが、その言葉は営業的な嘘ではないだろうと断言できる。素人目線の和輝でさえ、彼女の変貌には驚かされてしまったのだから。
「そ、そうですか?」
「ああ。私服用に、一着はそれでいいんじゃないか?」
「本当ですか? では、これで……」
照れ臭そうにモジモジしていたマルタも、褒められると嬉しそうに顔を輝かせる。とりあえず衣服問題はなんとか先に片付きそうだ。
―――その後、あまりの素材の良さに店員さんもテンションが上がったのか、あれやこれやと勧めだしてほとんど着せ替え人形状態に陥るマルタだったが、本人も割りと楽しげにそれを受け入れて約30分。
外出用の服意外にも、部屋着、寝間着もその場で一気に買い揃えてしまった。残るは下着なのだが……流石にこればかりは和輝がお供するわけにはいかないので、後で会計の済ませ方だけ教えてランジェリーショップに突撃させるしかない。
「よし、服はこんなもんかな」
「いっぱい買ってもらってすみません……」
「気にすんな。いつまでも同じ格好させてるわけにもいかないしな」
店から出た和輝は、言いながらマルタに視線を配った。
結局、今は最初に試着したワンピースとジャケットの組み合わせで出ていた。店員さんにお願いしてこの二着だけ札を切ってもらい、いわゆる『試着をそのまま買って帰る』をさせてもらった訳だ。見るからにヘンテコな男女ペアの客に何だかんだ疑問を呈さず付き合ってくれたあの店員さんには、今更ながら感謝の念を抱かずにはいられない。
「こちらの衣服は繊維がとても細かで、伸縮性もあるんですね。一体なにで作られているんでしょう?」
「ウールとかアクリルとか……まあ、羊の毛が基本なんじゃないのか? 俺も詳しく知らないけど」
何気ない会話を交わしつつ、和輝は次の予定を考える。
服の他にも、マルタ用に買い揃えなきゃいけないものは山ほどある。歯ブラシやバスタオル、箸など……もっと言うなら、少々買い辛いが『女の子の日』用の物品も、マルタのことを考えるなら買わなければならない。
(……そういや、こっちにはナプキンとか色々あるけど、異世界じゃどうしてたんだろう。代わりのものがあったのか? それともやっぱり魔法的な何かでパパッと綺麗にできるとか? ううむ)
足りない知識で、決して本人には聞けないことをぼんやり考える和輝。そもそも女性の生理に関しても、大体月に一回ぐらいのペースでやってくる、ぐらいの表面的な知識しか持っていないため、いまいち想像しずらい問題である。
なんて思考を巡らせている中、隣を歩くマルタがスッと片手を差し出してきた。意味が分からずその手を眺めていると、
「お荷物、わたしが持ちます」
マルタの視線は和輝が両手に下げている紙袋に注がれていた。
さっき購入したばかりの服と、マルタが着ていた異世界の服が詰まった紙袋である。
「別にいいよ。これぐらい俺が持つから」
「そうはいきません。お世話になってる上、お金も全て払っていただいているので。荷物ぐらいはわたしが持ちます」
「いや、そうは言ってもな……」
マルタの気持ちも分からなくはないが。
男女が並んで歩いている中荷物を女性に持たせるというのは……男のプライド的にも、周囲の視線的な意味でも、女性経験が乏しい和輝でもさすがにデリカシーがないというのは理解できる。
「……気にするなって。別に重たくないし、」
「いいえ、わたしが持ちます」
「でも、」
「持ちます」
「……、」
……なんて頑固なお姫様だ。
結局、二つあった袋の片方だけを持ってもらうことで互いに妥協した。こっそり軽い方を渡したのは内緒である。
しかしつくづく思うが、このマルタという少女……よくできたお姫様だなと、和輝は感心する。
こういった貴族のお嬢様やお姫様といった地位の高い人間は、高飛車で自分勝手な人物像というのをなぜか想像しがちだが、マルタに関してはそうしたイメージを一切抱かせない性格をしている。
常に下の者に視線を合わせ、対等な関係であろうとする。知らない世界を自らの目線で知ろうとする。自身の地位を考慮に入れない言動で、無自覚に相手の心を引き寄せる。人の上に立つ人間でなくとも、ここまでよくできた人はそうそういないだろう。
口慰め程度の気持ちで、和輝はマルタに尋ねていた。
「お前さ、お姫様なんだろ? そういうのってやっぱり、婚約者とかいるのか?」
マルタは小さく頷いた。
「昔、父様がお決めになった殿方がいらっしゃいます。あまりお会いしてないので、顔と名前ぐらいしか覚えていませんが……いつかは結婚させられると思います。当然、今の我が国はそれどころではありませんが」
「ふーん……王族って大変なんだな。自分で決めた相手でもないのに嫌じゃないのか?」
「互いに愛情があることが一番だと思いますが、国のためになるのであればわたしは構わないと思っています。それが、どうかしたのですか?」
キョトンとした表情で聞き返してくるマルタに、いや、と一言添えて。
「未来の婚約者は、きっと幸せ者だろうなぁって思ってさ」
「……?」
当然のように語るマルタに、漠然と笑いながら答える。
こいつが一国の女王にでもなったらきっと民は幸せなんだろうな、なんて見知らぬ異世界の未来に想像を馳せる和輝だった。
◇
時計の針が午後2時を回った頃。
一通り買い物を済ませた和輝とマルタは、ショッピングモール内の一階角で営業しているファミレスの前に来ていた。
両手にいくつかの買い物袋を提げる和輝。その隣にいるマルタは、店の外のガラス張りに囲われた食品サンプルへと釘付けになっていた。
「カズキさんカズキさん! これはどういう事なのですか!? 調理済みの料理を外に放置してるなんて勿体無いです!」
「それはメニューの見本っつーか、ようは偽者でな。食べれるやつじゃないぞ」
「に、偽者? こんなにリアルなのに? 一体なにでできているのですか!?」
「え? さ、さぁ……たぶんビニールとかじゃないか? 消しゴムと同じ素材ってのは聞いたことあるけど……」
「ビニール? ビニールとは何ですか!?」
さっきから気になることがある度にこれである。困ったお姫様だ。
もちろん和輝の頭ではそれ以上答えられないので、適当に誤魔化しながら笑っておく。知的好奇心旺盛なのは結構だが、こういった問答を繰り広げるたびに周りからおかしなものを見る目線が飛んでくるので中々落ち着けずにソワソワしてしまう和輝である。
「と、とにかくさっさと中入るぞ。腹減ったろ?」
「あ、はい。ところでこの偽者の料理は誰が作っているのでしょう? お店の方でしょうか? 店員さんに聞いてみましょう!」
「いやそれはオーダーメイドで作られたもんを他所から取り寄せてるんだと思うけど、ってか聞くのはやめろ! お前にはさっきからグサグサと突き刺さってくる『なにあの子? 頭弱そう』みたいな視線が気にならないんかい!」
必死に止めようとする和輝だが、お姫様は我意に関せず。頑固なところはとことん頑固。一度決めたら突っ走るタイプらしい。テンション高めで店に入ろうとするマルタを落ち着かせながら後に続く和輝である。
が、そこでふとある事に気が付いた。
「あれ? 店の中随分と暇みたいだな」
出入り口となる扉のガラス部分から店内を覗くと、中は随分と閑散としていた。見る限りまったく客が入っていない。割と中途半端な時間とはいえ、閉店まで人がわんさか居るショッピングセンターで、ファミレスがここまで暇というのは中々珍しい。
客一人入っていない飲食店って意外と入り辛い雰囲気あるよな、なんて思いつつも今はマルタと共にお腹が空いているので特に気にせず、店の中に入ろうと扉の取っ手を掴んだ。
「……あれ?」
しかし、隣にいたマルタが後ろを振り向きながら疑問の声を漏らした。
今度はなにを見つけたんだと、つられて和輝も後ろへ振り返るが、
「どうしたん……、え?」
不思議なことが起きていた。
向かい側にある他の飲食店や、少し離れた先に見えるゲームコーナー。モール自体の景色は何も変わっていない。だが問題はそこではない。
―――人が、消えていた。
誰一人として、そこに人影が見当たらなかった。
ついさっきまで他の通行人がわんさかいたはずなのに。雑多の声も常に響いていたはずなのに。和輝が意識しないうちに、それらが完全に消えていた。
虚しく店内放送の音楽だけが聞こえてくる。
「……珍しいこともあるんだな」
ぼんやりと周囲を見渡しながら呟く。
ファミレスの中にまったく客が見えないノーゲスト状態といい、ショッピングセンターの、それも飲食店が固まったエリアでここまで人っ子一人いなくなるというのはかなり珍しい光景だった。
「どっか別の階でイベントでもやってたりしてな。とりあえず店の中入ろうぜ」
「…………、これは」
適当に考えながら、しかしそれ以上は意識せずに店内へ入ろうとする和輝だが。なぜかマルタは険しい表情で周囲を見つめて、
「……っ、いけません! カズキさん、今すぐここから離れましょう!!」
突如、かなり狼狽した様子でこちらに振り返ってきた。
先ほどまでの楽しそうな表情から一転、冷静さを失い取り乱しながら訴えてくる。
「は? お前突然何言って……、」
「これは魔法です! 『ディソレーション』が周囲一帯に掛けられています!」
「でぃそれ……な、なんだって?」
「"人払い"の魔法です!!」
慌てふためくマルタは、そこまで言い迫って。彼女の動きがピタリと止まった。
和輝のことを見ながら―――いや、正確には和輝の背後を見つめながら、驚愕した表情で固まる。
震えた声で、小さく口が動いた。
「あなたは……っ」
「? なんだ、誰かいるのか?」
彼女の視線の先に、思わず和輝も振り返る。
―――そこには、一人の男が佇んでいた。
いつの間にか和輝の真後ろに、一切気付かれることなく。
明らかに周囲の光景にはそぐわない異質な黒い衣装に身を包む、獰猛な狼のような瞳の大男。
「あんた誰―――、」
視線が合った。
直後、男の口が裂けるように笑みを浮かべて。
「よぉ、じゃあな」
次の瞬間。
頭の側面へと、鋼鉄のハンマーでも打ちつけるような重い衝撃。
視界が大きく揺さぶられ、和輝の体が軽々と真横へ吹き飛ぶ。
手にしていた買い物袋を全て手放し、宙を舞ったその体はファミレスの対面にあった喫茶店へとガラスの壁面を派手にぶち破って転がる。
パタリと、その四肢が力なく床へと崩れ落ちた。
◇
「カズキさん!!」
マルタの叫び声が木霊する。
しかし、数メートル以上体を吹き飛ばされた和輝はピクリとも動かない。投げ出されたその体はガラスの破片で傷つき、細かい切り傷が多く目立っている。
マルタは即座に後方へと飛び退き、眼前を見据える。
黒衣を身に纏い、和輝を殴り飛ばした大槍を手にする男。
奴のことをマルタはしっかりと記憶していた。
「こうして顔を合わせるのは久々かねぇ? お姫様よ」
「……っ、ルスラン……」
「ほぉ、オレみてぇな下っ端の顔を覚えてくれているたぁ光栄だねぇ。さすが我が国の王女様だ」
バルミラ共和国騎士団、ルスラン・フラトコフ。
マルタ直属の騎士団に所属する部隊長の一人であり、騎士団一の槍の使い手。
その姿を険しい表情で見つめて、マルタは奥歯を噛み締めた。
「……わたしは、自らの部下のことは全て覚えています」
「そいつぁ殊勝な心掛けだ。国王があんたを溺愛するのも分かるぜ」
「今のお父様は、わたしのことなど見ていません。見ているのはわたしの力です」
緊張した声色になりながらも、キッパリと返すマルタ。
ルスランの一挙一動に注意を払いながら疑問をぶつける。
「わたしを追って来ているのはユリアンだけだったはず……なぜあなたまで……」
「さてねぇ。大方、本来であればとっくの昔にお前さんを捕まえてサンクカタリスに連れ帰ってるはずが、中々戻ってこないもんだからオレも送り込まれたってところか。まぁ、それだけ国王はあんたの『ブースター』を手元に置いておきたいんだろうよ」
返って来た答えはあまりにも妥当で、同時に現実を突きつける。
もしその通りなのだとすれば、時間が経てば経つほどマルタの敵は増え続けるということになる。マルタは悔しさを露にするように、拳を握り締めていた。
「……わたしは、決してこの力を戦争には使わせません」
「そうかい。でもあんたの親父さんや枢機卿、周りに居る連中はそうじゃねぇ。今すぐにでもガディアとやりたがってる。その為には姫様、あんたの力が必要な訳だ。んで、あんたの感情よりそこを優先している。たったそれだけだ」
ルスランが一歩、前に踏み込む。それだけでマルタの方が震え上がった。
「っつー訳だから一緒に来てもらうぜ、お姫様。こっちも期待外れだったもんで、あとは消化試合なんだ。あまり手間取らせてくれるなや」
なぜか倒れる和輝の方へと視線を投げつつ、ルスランは言う。
マルタも和輝へ視線を移し、ただただ、申し訳ない気持ちだけが湧き上がってきた。生きているのか死んでいるのかも分からない。巻き込んでしまったせいで、あんな目に合って……色々と親切にしてくれたのに。
(ごめんなさい……)
心の中で謝罪をするが、その念が届くわけもない。
マルタは改めて正面に向き直り、鋭い眼光でルスランを睨み付けた。
「それでも……戻るわけには、いきません!」
自分自身への鼓舞も込めて、一声。同時に体内の魔力を解放。
「『ホーリー・ランス』!」
同時、マルタの背後に光が浮かび上がった。粒子のように舞う光の渦はやがて一個の形状へと集束し、固定。
―――光の槍。
それが計4本、マルタの周囲に現出した。
一本一本が鎧をも貫き通す絶大な貫通力を誇る、光属性の攻撃魔法。人の身に受ければ当然ひとたまりもない。あとはマルタが念ずるだけで、槍は目標へ向けて射出される。
臨戦態勢に入ったマルタを見て、ルスランはうんざりしたようにため息をついた。
「おいおい、困るんだよなぁ。オレぁ戦いは好きだが、女に手ぇ出すのは好まねぇ。それも自分より非力な奴が相手となりゃあ、弱者を苛めてるみてぇでこっちの格が落ちちまう」
彼は片手に携える大槍を構えようとはせず。ただぼんやりと気の抜けた視線でマルタを捉えて、
「だからよぉ」
トン、と地を踏みなすように、片足の爪先で床を鳴らした。
次の瞬間。
「―――そういうのはさっさとしまえ」
マルタの真下の地面が、隆起した。
コンクリートが砕け、新たな形として形成し、まるで床から生える巨大な針のように。
光の槍の数に合わせ、4本の突起が天へと貫く。鋭利な先端はマルタの体をギリギリで回避し、その周囲に浮かんでいた光の槍を容赦なく真下から貫いた。
「え……、」
バチンッ、と閃光が弾ける爆裂音。
マルタの魔法で生み出された槍はあっけなくその場で爆散し、光の粒子となって霧散していった。
それだけに留まらず、完璧な狙いで突き上がった地面の突起はマルタの体をガッチリと固定し、崩れようとしない。どうにか拘束から逃れようと身をよじるが、服の要所要所が貫かれており、なかなか思うように身動きができない。
(カズキさんに買ってもらった服なのに……!)
束縛から脱しようと必死に体を動かそうとするマルタに、しかしルスランは余裕の態度で歩み寄る。
その一歩一歩が、タイムリミットを指し示す時計の針のように、確実に。
「さて、こんなところか。悪いが大人しく捕まってもらうぜ」
「っ……!」
動揺する頭で、必死に打開策を考える。
攻撃魔法での迎撃。または自身を拘束する地面の隆起を破壊。戦闘。いや、逃走。様々なパターンで思考を巡らせる。
だが、いかにしても目の前の男を振り切れる気がしない。
当たり前だ。これまで温室で育ち、まともな戦闘訓練など受けたことがないマルタに対し、相手は日々修練を繰り返す騎士団の一員。それもトップクラスの実力者。
勝てるわけがない。
無理だ。
そんな絶望の答えが、脳内で少しずつ象られていく。その絶望は諦めの感情を掘り起こそうとする。
だけどマルタは、諦めるわけには行かない。
諦められない理由が、彼女にはある。
「く……そっ……!」
一歩ずつ着実に近づいてくるルスランを睨み付けながら、持てる全ての脳内リソースを状況の打開策考案のために巡らせる。
どうする。
どうする。
どうする!
考えて、とにかく考えて、しかし現実は非情にも眼前へと迫り。
目の前まで歩み寄ったルスランは空いた手を伸ばし、マルタはきつく瞼を閉じて、
―――パリン、とガラスを踏み鳴らす音が響いた。
混沌としていた意識が途端にリセットされる。伸ばされていたルスランの手もピタリと止まる。
その音の鳴った方向には、先ほど大槍の柄で殴り飛ばされた少年が倒れているはずであった。
ちょっとした偶然でマルタと出会い、全てを説明すると、快く身を置かせてくれたあの少年。
思わずそちらへ視線を向ける。
そこには、
「……あー、くそ。痛ぇなあ」
―――立っていた。
全身に切り傷を作り、殴られた側頭部からは血を流している一人の少年は、しかしゆっくりと立ち上がり、自らが吹き飛ばされた店内から外へと、歩み出てきていた。
「おい、そこの通り魔野郎。まずはその手を止めろ」
桐嶋和輝。
彼はすでにボロボロの体を、しかし全く意識に止めることなく、鋭い視線をルスランへと投げ掛けた。
ルスランは和輝の方へと振り返る。その姿を捉え、感心するように口角を上げた笑みを浮かべた。
「なんだ、一発で落ちたと思ったら動けるんじゃねぇか、小僧。テメェがユリアンをやったっつーこっちの住民で間違いねぇんだろうな?」
「……? ああ、あの通り魔一号か。通りで似た格好してるわけだ。お前らがマルタを狙ってきた追っ手ってことだな」
和輝は、ペッと口に溜まっていた血液を吐き出す。その態度には余裕さえ感じられた。
マルタは思わず叫んでいた。
「カズキさん! いけません! 逃げてください!」
マルタは確かにあの少年がユリアンを一撃で気絶させた現場を目撃した。
だがあれは、ユリアン自身まともに取り合おうとしていなかった油断が原因でもある。何らかの武術を習っているとは一度聞いたが、だからといって一切の油断がない騎士団の一人に正面から立ち向かって勝てるわけがない。
だから逃げるべきだと、そう伝えた。自分のことはいいから、逃げてくれと。その思いを伝えた。
しかし和輝は、
「いいや、駄目だ」
一言でそれらを否定した。
彼はその視線をルスランから外すことなく、当然のように吐き捨てる。
「言ったよな、火の粉ぐらいは振り払ってやるって。なんでだろうな……面倒事って分かってるのに、たまには女の子の前でかっこつけたいって思ったんだよ。だから黙ってそこで見てろ」
「な……なんで……っ」
二人のやり取りを見て、ルスランは不敵な笑みを浮かべた。そこには絶対的な自信が宿っている。
やろうと思えば今すぐにでも和輝を殺せる。それだけの余裕を奴は持っている。
「はっ、感動的だねぇ。男として女を守るその行為、なかなか立派だが……」
ルスランは標的を完全に移行し、舐めるような凶悪な視線が和輝を貫いた。
「勇敢と無謀の違いって奴を教えてやんよ」
言い切った同時、一切の躊躇なく。
コンッ、と奴は床を踏み鳴らした。マルタの魔法を打ち破った時と同じ動作。
瞬間、恐ろしい速度で和輝の真下の地面が沸き立ち、砕かれるコンクリートによって形成された一突が和輝の顎目掛けて突き上がった。
狙いは確実。
速度も十分。
その威力は一撃で頭部を破壊する。
終わった。マルタも、ルスランも、直感でそう感じた。
だが、
「―――ッ!!」
吐息一閃。
突き上がる突起に合わせるようにして、即座に握られた和輝の拳が迎え撃つように振り下ろされた。
その速度も、威力も―――遥かに魔法を上回る。
肘から爆発的なエネルギーでも噴射したかのような勢いで、突き下ろされた拳はコンクリートの隆起と正面衝突。肉と岩が激突する鈍い音が響き、その隆起を、大槌で叩き潰すかのように粉々に粉砕。コンクリートの小さな瓦礫だけが周囲に飛び散った。
「は……?」
あまりにも常識外れな出来事に、ルスランの口から疑問の声が漏れる。その後ろで見つめていたマルタも、思わず目を見開く。
和輝は振り下ろした右拳からボタボタと血液を垂らしながら、しかし込み上げてくる痛みをまるで快感とするかのようにものともせず。
「……『桐嶋流』。俺の習った武術は、ただ型を身に付ければ誰でも模倣できる代物じゃない。全身の骨や筋肉、そして内臓を、幾度となく叩き潰して肉体の基本骨子から作り直す。そうしてようやく"土台"が完成する」
あまりにも鋭い眼光が、正面を射抜く。
「今のがお前らご自慢の魔法なのだとしたら、修行で打ち込まれた拳の方が100倍痛い」
両の掌を開き、正面へかざすようにして構える。左は眼前へ、右は腰溜めに。
姿勢を僅かに低くし、その二の足が大地を踏みしめる。
全身から漂わせる圧倒的なプレッシャーに、ルスランとマルタは息を呑んだ。
少年は言う。
魔法などという不可思議な異能を扱う者相手に、一切怖気づくことなく。それどころか圧倒するように。
「来いよ魔法使い。そいつはうちの居候なんだ。用事があるなら先に家主に話を通してもらうぞ」
※7/19追記
仕事が多忙につき次回更新少し遅れます。




