第02話 異国の姫
薄暗い裏路地にて、仁王立ちで佇む和輝と呆然と地面に座り込む金髪の少女。後方には力なく手足を放り出しぶっ倒れている銃刀法違反野郎。
謎に謎を塗りたくって何がなんだか分からない状況ではあるが、とりあえず話を聞いてみないことには物事は進まないと、和輝は少女の前に右手を差し出した。
「ほら、立てるか?」
「え……? あっ……」
少女はおずおずとした様子でこちらの手を取る。ぐっと力を込めて彼女の小さな体を引き起こした。
華奢な外見に違わず思った以上に軽い。まるでお人形のようだと和輝は感じた。
「あ、ありがとうございます。……あっ」
礼を述べながら小さく頭を下げた少女は、ハッと気づいたように和輝の左手に視線を向けた。
浅い傷ではあるが、まだ止血はしていないため指先からわずかな血液が垂れている。
「お、お怪我がっ……!」
「え? ああいや、これぐらい別に、」
「すみません! わたしの不注意で巻き込んでしまったばかりに……っ!」
「ま、待て。落ち着け。ちょっと痒い程度だから」
動揺して慌て始める少女を、落ち着かせるようにして右手で制す。随分と慌てん坊というか、感情が表に出やすい性格なのだろうか。
とはいえ、そんな少女の姿を見て一つだけ確信を得る。
(悪い奴ではなさそうだな……あの黒いのと違って)
自分の数メートル後方で気絶している黒衣の男に目配せする。
妙な格好の上、切れ味抜群な実剣を二本も所持。その上和輝に向かって切り掛かってきた。そこら辺の通り魔もびっくりな変態具合である。
あの男は例えどんな理由があれ悪い奴だと和輝の中で揺ぎ無い評価が下ったわけだが、対する目の前の少女からは同じ空気を感じ取ることはなかった。むしろ正反対、善良なオーラを感じる。
妙な連中であることに変わりはないが、どちらを信用するかといえば、間違いなく眼前の少女の方がそれに値するだろう。
「……ええっと、お前、さっきなんて名乗ってたっけ」
「え? あ、はい。マルタ・レナートヴナ・ヴァシレフスカヤと申します」
「な、長いな。何だっけ、マルタ、でいいのか?」
金髪少女改め、マルタと名乗る彼女はコクリと頷く。
先程は和輝もかなり頭の中が混乱していたためほとんど覚えられなかったが、少し冷静になった今、改めて聞いて顔と名前を脳内で一致させた。
「詳しいことは知らんが……お前、あれに追われてるのか?」
親指を立てて背後に倒れている男を指差す。
マルタは緊張のほぐれない様子ではあるが、小さく頷いてみせた。
「は、はい……あの方というより、あの方を含む大きな群に、と言いますか……」
妙に引っかかる言い方に、和輝は思わずゲンナリする。
何だかきな臭くなってきたんじゃないのかと、明らかな面倒事の雰囲気をヒシヒシと感じる。さっさと無関係を突き通してこの場から逃げ出してしまいたい。それが和輝の正直な心情であった。
(しかし、ここまで来て放っておくってのは流石に……)
目の前の少女はこの問題の渦中にいるにも関わらず、和輝以上に路頭に迷っているような様子であった。
正直言って見た目は猛烈に可愛い上、どこか儚げな彼女が嘘か本当かはともかくあんな危険人物に追われているという話を聞いて今更無視するというのは……何というか、激しく良心が痛む。
しばし脳内で悶々と考えた末、和輝は大きくため息を吐き出した。
「……はぁ、仕方ねぇなぁ」
「え?」
「とりあえず、お前らが何者なのか、一体何をしていたのか、話だけは聞かせてもらうぞ」
うんざりしながらもそれだけ言い放ち、和輝は地面に転がっていた自分の鞄を拾い上げた。
「どこか落ち着ける場所……もう俺の部屋でいいか。すぐそこだからさっさと行くぞ」
「え? あ、あの……」
さっさと歩き出してしまう和輝に対し、オロオロと戸惑うマルタ。とはいえ素直なのか順応性が高いのかは知らないが、おぼつかない足取りながらも後ろをついて来るのが分かった。
「あの……カ、カズキさん、でしたでしょうか? その、ユリアンは……」
「ユリアン? ……ああ、あいつか。放っとけ放っとけ。ああいう危なっかしい奴とは距離を置くのが一番だからな」
正確には、警察などに通報しようものなら間違いなく今以上に面倒なことになって話を聞くどころではなくなるから……なのだが、一気に情報が押し寄せて詳しく話すのも億劫なのが本音である。
今はとにかく、関わってしまった以上このマルタなる少女と詳しく話しをせねばならない。
金髪碧眼の女の子を後ろに引き連れるという珍妙な状況の中、和輝は自身が住まう学生寮へと再度足を向けた。
◇
「……これは、何という飲み物なのですか?」
「麦茶だけど。え? 知らないの?」
「程よい苦味と口ざわりの良い清涼感……とてもおいしいです」
とある学生寮の一室。
本やゲームが散らかっている自分の部屋にマルタを案内し、とりあえず落ち着くためにお茶を出したところそんな感想が飛び出てきた。
スーパーで買った水出し可能な安い麦茶パックなのだが、随分と大げさな感想である。変わった子だなぁ、なんてぼんやり考える和輝。
自分用に麦茶を注いだグラスを持ちながら、和輝もカーペットの敷かれた床に腰を下ろした。
入学時に実家から運び込んだ小さい丸テーブルを挟むようにして改めて向かい合う。マルタは麦茶が半分ほど減ったグラスを包み込むように持ちながら、スッとした綺麗な姿勢で座っていた。
「こちらが勝手に巻き込んでしまったにも関わらず、度重なる親切……ありがとうございます」
「い、いや。いいんだけどさ」
果たしてもう何度目か、再び小さくお辞儀をするマルタ。
どこを切り取っても完璧に整った動きに見えて、真のお嬢様というのはこういうのを指すのだろうか、なんて今まで遭遇したことのなかった人種を前にちょっとドギマギする。
とはいえ話の主導権を握るべきなのはこちらだ。
和輝はわざとらしく咳払いした。
「コホン……あー、それで? いい加減聞かせてもらえるか? お前やあの男が何者なのか」
「……」
現状に戸惑っているであろうマルタには悪いが、早速本題に触れさせてもらう。困惑しているのはこっちも同じなのだと、和輝はじっとマルタの顔を見据えた。
「最初はヘンテコな奇劇団か妙な宗教連中かと思ったけど、次第にそうは見えなく感じてな。お前をこれからどうするにしても、詳しい話を聞かせてもらう必要がある」
「どう、とは……?」
マルタは若干怯えた表情でこちらを見上げてくる。
ちょっと言葉を間違えたか、と慌てて訂正した。
「見なかったことにするかどうかってことだ。俺だって面倒に巻き込まれるのは嫌だけど、ここまで関わった以上何も説明されずにさようならってのは納得いかないからな」
「……そう、ですか。分かりました」
言い聞かせるような和輝の言葉に、マルタはぎこちないながらも首を立てに振った。
路地裏で説明を求めた時同じく、言っていいのかどうかを迷うというより、どう説明すればいいのかと悩んでいるような様子である。
しかしマルタは気を取り直すように麦茶を一口飲み込み、真剣な表情で和輝の視線を受け止めた。
「……突拍子もない内容に感じられると思います。ですが受けた恩には報いねばなりません。包み隠さず説明させていただきます」
マルタはグラスをテーブルの上に置くと、両手を膝の上に持っていく。可愛らしい顔立ちから除く真っ直ぐな視線が和輝を正面から見据えた。
「まず、わたしやユリアンについて説明するには、わたし達の住まうもう一つの世界について先に理解してもらわねばなりません」
「……? もう一つの世界?」
初っ端から謎のワードが飛び出てきてつい聞き返してしまうのに対し、マルタは小さく頷いてみせた。
「カズキさん。もしあなたが住まうこの世界以外に、もう一つ別の世界……即ち"異世界"が存在したとしたら、あなたは信じますか?」
「異世界……?」
突然の意味不明な問い掛けに、戸惑いを隠せず眉間にしわが寄る和輝。こちらが回答する前に、マルタは続けて口を開いた。
「信じる信じないは別として、実際に存在するんです。わたし達はその世界のことを『サンクカタリス』と呼んでいます」
サンクカタリス。当然だが聞き覚えのない単語。
最早口を挟むこともできず呆然と聞き入る和輝に、マルタは続ける。
「こちらの世界は……特に呼称はないので、仮に『現代世界』としましょう。『サンクカタリス』と『現代世界』、二つの世界は表と裏のような、表裏一体の関係をしています。住まう人々や文明レベル、何もかも違いますが、手が届かないだけで間違いなく同じ軸に存在する対の世界があるのです」
マルタは一度区切るように息を吸うと、
「サンクカタリスはテクノロジーの技術レベルが極めて低いのですが、代わりに『魔法』を基準として生活しています。信じがたいでしょうが、人々は第六感と呼ばれる特殊な感覚神経を自在に操れる体質を得ているのです。二つの世界の分かりやすい違いは、おそらくその『魔法』の有無でしょう」
マルタの口から紡がれる訳の分からない情報の奔流に、ただただ口を開けたまま呆然とする和輝。
頭の中がごった雑ぜにさせれる気分である。
「魔法の中には『ワールド・ゲート』という転移魔法が存在します。二つの世界を行き来するための転移門を開く特殊な魔法です。そういった魔法のおかげで、サンクカタリスに住まう人々の多くが現代世界の存在を認知しています。あまりにも乖離した文明や『ワールド・ゲート』の燃費の悪さから、本来であればこちらの世界への接触は禁則とされているのですが……、」
「ちょちょちょ! ちょっと待てぇい!!」
そこまで聞いて、ふと我に返った和輝は慌てて口を挟んだ。
いい加減、次々と押し寄せる謎用語の圧に耐え切れない。和輝は思わず頭を抱える。
「一つ言わせてくれ。異世界だの魔法だの、ぶっちゃけ信じられない」
「そうは言われましても……事実です」
「いや事実って! 無理でしょ! 何かの漫画の設定ペラペラ喋ってるだけじゃないのか!?」
和輝の激しいツッコミにも、しかしマルタは冷静に首を振って応える。
「マンガ……というのが何かは分かりませんが、創作物のお話ではありません。わたしはサンクカタリスに住まう人間の一人。この話を信じていただかないことには、これより先を説明できません」
「そうは言っても信じられるわけないだろ? だって異世界って、あれだろ? 中世ヨーロッパ的な世界観でさ。魔法ってのも、杖から炎や雷をバーッと出したりする。そんなのが現実にあるって突然言われても、はいそうですかって理解できる奴なんざそうそういないぞ」
「だったら、どうすれば信用してもらえますか?」
「えぇ? それは、そうだな……実際に魔法でも見せてもらえれば……」
自分で言って、ふっと思い出す。
路地裏で見た摩訶不思議な光景の数々。人が中から出てきた光の大穴や、突然体を発光させたマルタ、そんなマルタを指一つ触れずに絞め上げていたあの男。
―――まさかあれが?
和輝が自身で答えを見つけるより前に、テーブルを挟むマルタが快く頷いて見せた。
「分かりました」
彼女は何気なく部屋の中を見渡しながら、考え込むように顎に手をやる。
「そうですね……何か丁度いい魔法は……、あっ」
ぶつぶつと呟きながら、やがてその視線が和輝の左手へと固定された。
マルタは和輝の左手をさっと自分の方へと引き寄せ、掌を上へと向ける。和輝はというと突然女の子に手を握られて一瞬ドキッとするのだが、お構いなしに彼女は両手で優しく包み込むと、未だ残っている掌の切り傷をじっと見つめた。
「お、おい。なにを」
「治癒魔法です。幸いにもわたしの得意分野なので任せてください」
何が任せてくださいなのか。男の子に勘違いさせる女の子の際どい仕草ですかと脳内だけでツッコミを入れておく。
左掌の傷は、一応出血は止まっている。とはいえ傷が完全に塞がっているわけではないので、痛みというほどではないが、チクチクとした痒みは現存していた。
治癒魔法という単語。まさかと思う。
マルタはそっと片手を傷口にかざすと、わずかに目を細めて、小さく小声で呟いた。
「『ファーストエイド』」
その時。
種も仕掛けもなく、突然マルタと和輝の手を包み込むように淡い光が輝いた。
青白い光は部屋の中を照らし、どこか神秘的なオーラさえも漂わせる。
輝きはわずか3秒程度。
光が収まった時―――そこには、変わらず傷を負ったままの和輝の左手があった。
だが。
「治癒魔法は、人体の自然治癒速度を一時的に大きく上昇させる魔法です。ほら、よく見てください」
マルタに言われて自分の左手の傷口にじっと目を凝らしてみる。
「……え? 嘘だろ?」
衝撃的な現象がそこで起きていた。
傷口が、見ていて分かるほどの速度で見る見る再生していく。表面の血が固まって瘡蓋ができるとか、そういった工程を一気にすっ飛ばして。浅く切られた肉が、皮が、人体ではありえない速度で修復していく。
気づけば―――左掌には傷跡一つ残っていなかった。綺麗さっぱり治っている。
目を見開いて呆然とする和輝に、マルタは小さく笑いながら頷いた。
「成功です。もっと大きな傷となるとわたしの力ではまだ難しいのですが……この程度であれば」
「ま……マジで、魔法なのか……?」
「はい。本当は先ほど申していたように、炎や雷を生み出す分かり易い魔法をお見せしたいのですが……わたしの得意魔法が光属性なので」
マルタはおもむろに右手の人差し指だけを立たせてみせると、『ライティング』と一言。するとどうか、彼女の指先に豆電球ほどの小さな光の玉が現れ、周囲を明るく照らし出した。
畳み掛けるような衝撃現象を前に、最早何も言えずに度肝を抜かれてしまう。
どう見たって手品のように仕掛けがあるようには思えない。これを魔法だと説明されてしまったら……流石に、頭ごなしに否定することは難しい。
「これはサンクカタリスで照明として使われている魔法の基礎である、」
「ま、待て! 分かった! よく分かったから!」
何やらさらに説明を加えようとしたマルタを止めて、一旦気持ちを落ち着かせるように息をつく。
(頭が痛くなってきた……けど)
額を抑えながら思考を巡らす。
正直、これでもまだ信じられないというのが素直な感想である。というより信じたくない。魔法だなんて突拍子もないファンタジーを常識の一つとして受け入れることはやはり抵抗を感じてしまう。
しかしここまで実物を見せ付けられて。
嘘だ何だと否定することも、やはりできない。
「信じてもらえるでしょうか?」
こちらの様子を伺うように、少し遠慮がちな態度でマルタは問い掛けてくる。
彼女の表情を正面から見つめて、はぁ、と小さくため息。
これは負けだ。とりあえずでも認めるしかない。和輝は結論を出した。
「……分かった。正直まだ半信半疑だけど、一応信じることにする。今はそれで勘弁してくれ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
本当に根っから素直なのだろう。マルタは嬉しそうな感情を隠すことなく明るい笑顔を浮かべる。
こんな顔を見せられては、やはり頑なに否定するのは無理という話であった。
それに、いつまでも土台で議論していたところで話は進まない。和輝が聞いているのはその先の事なのだから。
「この世界とは別に、もう一つ異世界があって。そこは魔法の世界で。お前はそっちの住人……そこまでは分かった」
口に出して情報を整理する。
あくまで仮定としてそれらの話を真実だと考え、改めて和輝は疑問を投げ掛けた。
「で、お前やあの不審者はどうしてこっちの世界に来たんだ? さっき言ってた通りなら、そっちの住人がこっちの世界に接触することは禁止されてるんだろ?」
和輝の核心たる問いに、マルタは僅かに俯いた。
その視線は逡巡するようにグラスに注がれた麦茶の表面をじっと見つめる。
「私は……」
マルタが再び顔を上げる。その瞳には、どこか頑強な決意のような感情が見え隠れしていた。
「……私は、戦争を止めるためにこちらの世界に来ました」
紡がれた言葉は決して意味が分からないわけではなかったが、和輝のような一学生には何とも想像しがたい響きであった。
「戦争……?」
「はい。今、サンクカタリスで起きようとしている人と人の大規模な殺し合い……それを止めるためです」
生々しい言葉の響きに、和輝は思わず息を呑む。
戦争。
異世界だの魔法だのと違い、言われただけでどういうものか分かってしまうからこそ、妙な緊張が全身に走り抜ける。口を挟まず、彼女の言葉を黙って聞き入る。
「サンクカタリスには、大きく別けて二つの大国があります。一つはバルミラ共和国、もう一方がガディア帝国……わたしは、バルミラ共和国の人間であり、その国の王女なのです」
「王女……? ってことは、国王の娘ってことか?」
「はい。……といっても、こちらの世界は王国体制ではないようなので、言っても分かりにくいでしょうか?」
「いや、まあ、想像ぐらいはできるけど……そっか、お姫様なのか、お前」
突然の告白を受けて驚くが、それほどの衝撃は感じなかった。
魔法や異世界といったとんでも知識に比べたら、目の前の女の子が実は一国の姫でした、なんて大したものではないからである。今ならどんな奇想天外なことを突きつけられても心を菩薩にして受け止められそうだ、なんてしみじみと思う。
ある意味では納得する部分もある。彼女のあまりにも綺麗なブロンドヘアーといい、一つ一つの礼儀正しい言動といい、お姫様といわれれば確かに頷ける。マルタの外見にも性格にも、その称号はぴったしであった。
「それで、そのお姫様がどうして戦争を止めるためにわざわざ世界を渡ってきたんだ?」
与えられた情報を線で繋ぐため、話の続きを促す。
マルタは応えるように頷くと、
「バルミラとガディアは、決して良好とは言い難い関係です。和平条約がない以上、どちらも互いのことを敵国だと認識しています。その上バルミラ共和国の王族は、私の父も含めて、とても強い野心を抱いており……もしガディアを攻め落として自らの領土とできるなら……父も、それを支える他の連中も皆、そう考えています」
マルタは僅かに険しい表情でポツポツと言葉を紡ぐ。
「しかしそれでも、今までは互いに不可侵を保ち両国均衡していたのです。……ですがここ最近になって、突然父が戦争に対し強い意欲を見せ始め、その均衡が崩れようとしています。軍や騎士団に兵、メイジを徴集し始め、着々と準備を進めているのです」
一言一言マルタが喋るたび、言葉の端々から悔しさのような感情が滲み出ていることが和輝にも伝わってる。
「ですが、バルミラがそのまま準備を進めたところで戦争を起こすことはできないと、わたしは考えています。なぜならガディア帝国は元々武力で治められた国。戦力の数も質も、いくら寄せ集めたところでバルミラに勝機はないからです」
「……? じゃあどうして戦争の準備なんかしてるんだ? 向こうから攻められるならともかく」
「……このまま戦力同士の激突となれば、確かに勝機はありません。ですが唯一、バルミラが確実な勝機を見出す術があるのです」
マルタは真っ直ぐとこちらを見据えると、自身のことを指し示すかのように胸の前に手をかざした。
「―――サンクカタリスで唯一、わたしだけが使える『ブースター』という古代魔法です」
「ブースター……?」
単語だけ聞けば、推力を積み増しする打ち上げ機のロケットエンジンなどを想像するが、魔法と呼ぶ以上そういう意味ではないことは確かだ。
補足するようにマルタは続けた。
「『ブースター』は、術者の対象となる、術者本人以外の人物……その潜在魔力を無理矢理に解放・増幅させる補助魔法の一種です。本来は失われた古代魔法と呼ばれ、現代に使える術者は存在しないのですが……」
「お前だけ使える、って言ったか?」
「はい。わたしはなぜか、その魔法を使えてしまう唯一の存在なのです。……『ブースター』の効力を受けたメイジは、常人ではあり得ないレベルの力を手に入れることができます。その力は、たった一人で200人近い中隊を壊滅させられるほどのものです」
1対200。その圧倒的な物量さをひっくり返してしまうほどの魔法。
そう考えると、確かに恐ろしい力だと感じる。
「バルミラが自ら戦争の火蓋を切ったとしても、勝ち目は薄い……ですが、わたしの『ブースター』さえあればその戦力差を容易く覆すことができます。連中は皆、わたしのことを戦争の兵器として見ているのです」
なるほど、と。ここまで聞いて何となくマルタの事情を把握し始めた。
口ぶりや態度からして、彼女は戦争という行い自体を望んではいないように見える。それ即ち、『戦争を止めるためにこちらの世界に来た』という言葉の真意はそこにあるのだろう。
「戦争の勝ち負けなどどうでもいいのです。問題は戦争が起きるか否か。もし起きてしまえば、多くの兵と民が命を落とします。和平を結ぶ道こそが最も正しい選択だと、わたしは信じています。ですが父を含め、子供のわたしに耳を貸してくれる者など誰一人としていない……」
「……そうか。だからこっちに」
「……はい。力も人望もない今のわたしに、戦争を止める手段はただ一つ。『ブースター』を決して利用させないこと。身を隠すことが、わたしにできる唯一の選択でした」
マルタはどこか疲れ切った様子で視線をめぐらせ、愁い帯びた瞳で明後日の方向をじっと見つめる。
「サンクカタリスですらないこちらの世界ならば、王女であるわたしの顔を知る者は一人もいません。身を隠すにはうってつけでした。『ワールド・ゲート』の魔法は莫大な魔力量が必要になりますが、それも約一年、このネックレスに魔力を溜め続けてようやく片道分が溜まったので、ゲートを開き逃げてきたのです」
言いながらマルタは、ジャケットの内ポケットから綺麗なネックレスを取り出した。赤い水晶が先端に付いており、とても神秘的である。
水晶の輝きを見下ろしながら、しかし彼女は険しい表情を浮かべた。
「……しかし、まさかわたしのやろうとしていることが露見しているとは思いませんでした。こちらに逃げてきたことが、すでにバレてしまったようです」
マルタがユリアンと呼んでいた、あの黒衣の剣士を思い出す。奴は言うなれば、マルタを連れ戻しに来た王国からの差し金、とでもいったところなのだろう。
悔しそうに表情を歪め、ギュッとネックレスを握り締めるマルタ。和輝は何と言ったものかと言葉が見つからず、頭を冷やすように自分の麦茶をぐっと喉に通した。
一杯分を一気に飲み干して、氷だけが残ったグラスをテーブルの上に再度置く。小さく息を吐き出し、とりあえず思ったことを言葉にしてマルタへ向けた。
「……こっちの世界じゃ国同士が険悪だなんてしょっちゅうだけど、戦争おっぱじめるほどのもんじゃない。だからハッキリ言ってお前の言ってることは……なんというか、現実味がなくて想像しにくい」
「はい……それは承知の上で、お話させていただきました」
「だから一つだけ聞く。お前、これからどうするつもりなんだ?」
戦争だなんだと言われても、和輝のような平和ボケした日本人には到底理解できることではない。だからこそこちらにとって重要なのは、マルタがこれからどうしようというのか、である。
問われたマルタは、表情は険しいながらもハッキリと口を開いた。
「どの道、サンクカタリスにいるよりか、こちらの方が安全なのは確かです。ワールド・ゲートを通らねばならない以上、向こうもこちらに送れる追っ手の数には限りがありますから。ですからしばらくは、こちらで生活しつつ身を隠すつもりです」
自分のやるべき事を見失っていないことから、決してバカではないのだと伺える。とはいえ、和輝が聞きたいのはそんな事ではなかった。
「……聞き方を変えるぞ。お前、こっちの世界での衣食住はどうするつもりなの?」
ピタッ、とマルタの動きが止まった。
……バカではないが、違う方向性でバカかもしれない。
彼女の額に汗が滲むのが見て分かる。思わず和輝も呆れ顔になってしまう。
「……………。ど、どうにかします」
「どうにかって?」
「野宿、とか……仕事を探して、えっと……はい。目的のためですから、王女としてのプライドなどわたしは捨てれますので……なんとか、どうにかして」
「……、」
「な、なんですかその顔は! わたしからしてみればこちらが異世界なんです! やり繰りが分からなくて当然じゃないですか!」
顔を赤くして子供みたいに喚くマルタ。意外とポンコツな面があるお姫様なのかもしれない、なんて呆れながら思う。
(しかし……)
和輝は改めてマルタの格好に視線を流す。
頭の先から爪先まで、服装こそは少々目立つがかなり美人な女の子だ。金髪碧眼という日本じゃ珍しい外見も余計それを際立たせる。
そんな彼女だが、行くあてもなく肉親すらいないかなりアウェーな状況だ。このままマルタを放置して知らない振りをするのは……なかなかどうして、人として色々と駄目な気がする和輝である。
そもそもこんな可愛い子が帰る場所もなくふらふらとしていたらかなりヤバイことに巻き込まれる可能性だって十分に有り得る。
和輝は思わずため息をついた。
面倒事に自ら踏み込むなんて心から勘弁願いたいというのに、どうにも神様はそれを許してはくれないらしい。
「あー! しょうがねぇなぁ!」
自分にも言い聞かせるように大声でぼやく。
突然叫んだ和輝に目をパチクリさせるマルタ。そんな彼女の顔を正面から見据えて、和輝は呆れた様子で口を開いた。
「ずっとは無理だけど、しばらくだったらお前をうちに置いてやってもいいぞ」
「え?」
「言っとくけど仕方なくだからな! 偶然とはいえお前と知り合って、妙な事情を知ってしまった以上こっちとしても放置できないし……っつーか、ここで放り出したら人として大事な何かを失う気がする」
和輝の言葉に、マルタはしばらく目を見開いて固まってしまう。
やがてポツリと、困惑した声色で呟いた。
「……いいんですか?」
「しばらくだからな? ずっとじゃないぞ! しばらく! こっちだって高校生なんだから色々大変なんだ」
「ですが、その……迷惑をかけてしまうと思います。わたしの追っ手がこの場所を突き止めて、襲撃に来るという可能性も決して捨て切れないです。お気持ちはとても嬉しいのですが……」
「追っ手ってさっきみたいな奴か? あれぐらいなら……まあ、大丈夫じゃないか? 俺が追っ払ってやれないこともない」
和輝が一撃でユリアンなる男を昏倒させた光景を思い出したのか、マルタは少し驚いた様子で視線をフラフラさせている。どうするべきなのか自分でも判断がつかないのだろう。
「カズキさんは、何か格闘術を嗜んでいるのですか? ユリアンはわたし直属の騎士団の中でも最も剣術と魔法に秀でていたのです。そんな彼をああもあっさり撃退したのは……」
「言ったろ? 人よりちょっと体が頑丈なんだ。……ついでに、お察しの通り少しだけ武術も心得てる。向かってくる火の粉を振り払うぐらいなら問題ないぞ」
『さあ、どうする?』と付け足すように問いを投げ掛ける。
マルタは戸惑いながら、どう返答すべきか迷っている。落ち着かない様子で体をもじもじとさせて、自分のグラスを見下ろしている。
しばらくして。
上目遣いでこちらを見上げながら、申し訳なさそうに彼女の小さな口が開いた。
「……本当にいいのでしょうか?」
「ん。お前次第だぞ」
「……」
再び黙るマルタ。
しかしその沈黙はすぐに途切れて、彼女は真っ直ぐとした視線をこちらに投げ掛けてきた。
「……お言葉に甘えさせていただきたいです。お願いします!」
それだけ言って、勢いよく頭を下げた。
いちいち大げさな奴だなと呆れながらも、和輝は力が抜けたように小さく笑ってしまった。
面倒の根源みたいな奴ではあるが、一緒にいれば退屈はしないかもしれない。なんて自分らしくないことを考えてしまったから。
「じゃ、とりあえずよろしくの握手だな」
和輝が手を差し伸べると、マルタも顔を上げ、答えるように手を握り返す。
―――とても華奢な手だった。この手に多くの人間の命が掛かっているとは到底思えない。そして同時に、自身の事情を話したマルタの言葉も、到底嘘には聞こえなかった。
未だ半信半疑。どちらかといえば疑っている気持ちの方が大きい。
けれど、だからこそ。彼女の言葉の真意を確かめてみたいと素直に感じた。
「よろしくお願いします、カズキさん」
「ああ。よろしく、マルタ」
魔法を使う異世界のお姫様、マルタ。
奇妙な居候を匿う同居生活が、夏休みと同時に幕を開けるのだった。




