番外編-毒の華
仁科 章、10歳ーーーーーー
その日は2月にしては珍しく暖かい1日だった。
いい加減、ホコリ臭い自室に篭もりっきりで参考書を読み漁っているのも飽きてきたので久しぶりに外へ出て本でも読もうかと外へ出た。まぁ結局のところ本を読むことには変わりないのだが。
俺は近くにある公園のベンチに座り、本を読み始めた。ただ余りにも心地よい日差しについ眠ってしまっていた。
目を覚ますと、俺の隣には1人の少年が座っていた。その少年は黒のハイネックに茶色のオーバーオール、頭にはグレーのキャスケットを被っていた。
髪は黒檀のように黒く、目は緑、と珍しい組み合わせだった。まつ毛は長く、頬にはそばかすがある。
一瞬見ただけで何かを覚えるのは得意だったので俺は本を読みながら特徴を思い出していた。そして少年は何故かじっと俺のことを見ている。視線が痛い。
「……なに」
視線は本に向けたまま。一見愛想のない問いに聞こえるだろうが、人見知りの俺にはこれが精一杯だった。
するとその少年はハッとしたように視線を逸らすと、赤くなった。その後も1人で青ざめたりまた赤くなったり、ころころ表情の変わる面白い奴だった。
「……ぷっ」
その様子を横目で観察しているうちに、思わず吹き出してしまった。
俺の反応を見てまた顔を赤くする少年は、よく見ると少し違和感があった。俺が言うのもなんだが表情をころころ変えるだけで少年は一言も発しようとしなかった。
「…?」
今度は俺がしばし無言で見ていると、少年はきょとん顔で首を傾げた。
「……なに?」
そして俺は初めて重大な勘違いをしていたことに気づいた。この時、この少年から発せられた声は、誰がどう聞いても『少女』のものだった。俺が数分間『少年』だと思い続けていたコイツは『少女』だったのだ。
「あ……いや、え…と……」
俺が女子に免疫が無いのは言うまでもない。そして少女は、俺が男だと勘違いしていたのに気づくと、可笑しそうに笑って、被っていたキャスケットを脱いで見せた。そこには綺麗なウェーブのかかった長い黒髪があった。
「私の名前は、ーー。よろしくね」
当時俺はそういう類のものがよく分からなかったが
もし、コイツに『恋』をした、としたら
たぶん、この時なんだろう。
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その後、俺とコイツはしばしば会うようになった。コイツも俺と同じで薬学を勉強しているらしく、俺としては珍しく意気投合するという間柄だった。
話すのはいつも、あのベンチ。本を貸し借りしたりもした。
テンションが上がると早口になり、表情もころころ変わる百面相。少し天然なところもあって。見ていて飽きなかった。
初めて出会ったあの日から半年。
ある日、アイツは来なかった。
まぁ別に待ち合わせをしているわけでもないので、その日はあまり気にしていなかった。
だが、それから1週間、2週間と過ぎていった。
待っていても誰も来ない。
心の片隅にはそう思っている自分がいる。
どうせ飽きられたんだろう。そうでなければ何か事情があるのだろう。気が付けばそう自分に言い聞かせていた。
そんな時。
いつもの河川のベンチに座ってひとり読書をしていると、誰かの話し声が聞こえてきた。
『あそこのお嬢さん、確かーーさんって言ったかしら。』
アイツの名前だった。気づいて俺は会話に耳を澄ました。
『自宅の部屋で亡くなってるのが見つかったんですって』
目の前が真っ白になった。頭を誰かに思いっきり殴られたような感覚。
アイツが死んだ?
わけが分からなかった。
そして再び声。
『机の上に水差しと毒の入った小瓶があったらしいわよ。……自殺ですって。』
毒。
最近聞き覚えのある単語だった。
アイツは薬学を勉強する傍ら、毒物の研究もしていた。
俺は不意にアイツから貰った、毒をもつ植物が載っている本があることを思い出し、自宅へ急いだ。そして俺は見つけたのだった。アイツの残した1枚の真っ白な紙切れを。
その紙切れが挟まっていたページに目を落とす。
そこにはアザレアという可愛らしい植物が載っていた。俺は急いで花言葉を調べた。普段はそんなもの全く気にしないのだが、アイツならきっと…。
花言葉を見た時、すぐに意味を理解した。
『恋のよろこび』
それがアザレアの花言葉だった。
俺はこの本を貰った時、この紙の存在に気づかなかった。パラパラとめくっただけで、あまりよく見ていなかったのだ。
それが何を意味するかを理解した時、『俺も同じように死んでやろうか』と思った。
要するにアイツ……彼女は、俺に伝えたかったのである。
俺ーーー 仁科 章の事が好きだと。
どれだけ待っても俺からの返事がないため、『フラれた』と思ったのだろう。
そして、彼女は毒を飲んだ。
「っ……ははっ…」
もう笑うしかなかった。自分で自分に呆れる。何が「気にしていない」だ。めちゃくちゃ気にしてるじゃないか。
そして、俺は彼女と同じように、机に水差しと毒の入った小瓶を置いて、彼女の残した紙切れに遺書的な何かを書こうかと考えたけれど、何も思い浮かばなくて。
あぁ、俺も好きだったんだな、って
毒水を飲んで、目を閉じた。
が。
死ねなかった。
確かに毒を飲んだのに。
俺は数時間後、いつもと変わらない風に目を覚ましたのだった。
そこには毒水を飲んだ時と全く変わらない風景。
アイツと同じ方法で死にたい、だなんて女々しい話だと思った。だけど他の方法で死ぬ気にはなれなかった。
その日以来、俺はまた自室に篭り、研究を始めた。
薬について、毒について、
俺の体質について。
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仁科 章、21歳ーーーーーー
「章、こんな所で寝るな。」
少し低い女性の声。
「あぁ、悪い」
雲類鷲 乙女は俺の助手だ。
男の俺から見ても格好良いと思う。
俺の体質、いわゆる『ギフト』は、生涯治るものではない。わかりきった事だが、未だに研究を続けているのは心のどこかで諦めきれないからだろう。
まぁそのおかげで、この情報屋という恨みを買いやすい裏職業が成り立っているんだろうが……。
「どうした」
ずい、と俺の顔を覗き込むようにして尋ねてきたが「気にするな」とだけ答えて、部屋を後にした。
いつも通り、無愛想に。