4話-血濡れた刃は雲を斬る
足に力が入らずうまく歩けない。おまけに目も霞んで前が見えない。どうしてこうなったのだったか。今や記憶も曖昧で、自分が何故血塗れでここに立っているのか分からなかった。
しかし、だんだんと意識が遠くなっていくのがわかる。
『おい……しっかり………ろ……』
誰かがその場に倒れ込んでいた体を起こし、私に声をかけていた気がするが、そのまま気を失ってしまった。
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目を覚ますと見覚えのない真っ白な天井が目の前にあった。病院にしては異様な匂いが漂っている。辺りを見回すために首を動かそうとするが思うように動かなかった。
すると横から白衣を纏った少しくすんだ金髪の青年が視界に入ってきた。
「目が覚めたか。あぁ、悪いが身動きが取れないように薬を盛らせて貰った。」
その青年は作った笑顔をこちらへ向けていたが、その目はとても冷たく全てを見透かされてるようだった。私は青年に対して言葉を発しようとしたが声が出ない。どころか、口さえ動いていないようだった。
「アンタを殺すために薬を打ったんじゃないから心配しなくていい」
そして無愛想に「しばらくすれば動けるようになる」と言い残して異様な匂いが漂っている真っ白な部屋に私を置いて去っていった。
私の記憶が正しければ、気を失う直前に聞いた声はあの青年だろう。血塗れの私を助けたことといい、この部屋といい、何も知らない一般人、では無いようだった。
あれから1時間程時間が経ち、完全ではないが身動きが取れるようになっていた。
「動けるようになってすぐで悪いんだが、ちょっとここに座ってくれ」
丁度いいタイミングでドアが開いたと思うと、白衣の青年は私を近くの椅子に座らせると、眼科医がよくやる、光を当てて瞳孔をみる検査をした。
「…異常なし……っと。」
その検査内容を机にある診断書のような紙に書き加えると、満足そうに少しだけ笑った。
「ちょっと勝手ながら色々調べさせてもらったぞ。とりあえず怪我の状態や脳の状態、あと……」
そして最後に、にやっと笑いながらこう付け加えた。
「……アンタの能力……とかな」
その言葉で私は確信した。この青年は『ギフト』について知っているのだと。私が長年抱えてきた異常な能力のことを。そして決して表の人間では無いことを。
「仁科 章。好きに呼べ」
そう言うと机の上に置いてあるパソコンで作業を始めてしまった。ふとその手に視線をやると、右手が包帯で覆われているのが目に入った。
「…その手は?」
私が初めて言葉を発したからなのかそれとも別の理由なのかはわからなかったが、仁科という青年は少しだけ驚いた顔をした。
「あぁ、これか?お前の持ってた刀を触ったときに手のひらをうっかり切ったんだ。」
「なっ……」
おかしい。そんなはずは絶対にない。
私の能力は身体から"刀"を出す能力だ。ギフトの中でも特殊なもので、私の周りには昔から大人たちが沢山いた。そのかわり同年代の子どもたちは不気味がって私に近づきもしなかったが。
しかし私の能力の特徴はそれだけではなかった。刀の切れ味は可もなく不可もなく、といったところなのだが、少しの傷で相手を殺してしまうのだった。
というのも、私の刀の表面には特殊な毒が付着しているからだ。そのためかすり傷程度でも簡単に殺せてしまうのだ。毒と聞けば解毒薬を打てばいいと考える。だがそこが厄介だった。
専門の研究者が検査をしても、一切、この毒を分解できる物質が見つからなかったのだった。
この青年がもし何らかの研究をしていたとしても、解毒剤のない毒のついた刀で手を少しでも切ったのであれば、死んでいるはず、そのはずなのに……
「……あ。言ってなかったか」
そう言うと、近くの棚に並べられていた"トリカブト"と書かれたビンの中の液体を試験管に少し入れた。トリカブトは確か有毒の植物だ。
「知ってるか?トリカブト。」
と言うと、彼はその液体をなんの躊躇いもなく飲んだのだった。それもごく当たり前のように。
私は言葉が出なかった。毒を飲んだからではない。彼は毒を飲む前と変わらず不愛想な表情で淡々と説明を続けだしたからだ。
「ま、要するに俺は"毒"を摂取しても死なない体質だ。毒っつーのは"健康や生命を害するもの"って意味だ。天然だろうが人工だろうが無効になるんだよ。」
道理で私の毒が効かないわけだ。それにしてもどうやってその能力に気が付いたのだろうか。まさか毒を飲んで死のうとしたとか……いや、そんなことはどうでもいいか。
「そういえばお前、名前を聞いてなかったな。」
「名乗る必要がどこにある。助けたもらったことには感謝するが、私はもう出ていかせてもらう。」
「まあ待て。その服でどうするつもりだ?それにお前、見たところ能力もろくに使いこなせてないみたいじゃねぇか」
…使いこなせてない?私の能力は"刀を出す"だけのはずだ。それ以上にどうしろというのだ。だが興味もあった。
「…私は雲類鷲 乙女だ。」
「よし。じゃあ出かけるか。」
「……は?」
「…なんだよ」
「え、いや、お前、私に能力の使い方教えてくれるんじゃないのか?」
「いいから取り合えずこれに着替えて出てこい」
と、適当な上着を私に渡すと、自室に入っていった。
「これくらいでいいか……」
…私は何故かショッピングモールに来ていた。「好きな服何着か選んで来い」とキャッシュカードを渡されて、数着購入させてもらったが…
「買ったか」
喫煙所でタバコを吸っていた彼は私の姿を見つけると火を消して近づいてきた。
「……これ」
そういって私は紙袋を一つ渡す。
「お願いだから今すぐ着替えてこい」
「…俺の…まじか」
「ダサいから一緒に歩きたくないんだ」
「…わかったよ」
そう。彼は私服のセンスが壊滅的になかった。それはもう、目も当てられないほどに…。
「ぶっ……ははっ……」
これで今日は最後だから、と連れてこられた近くの公園で、おそらく待ち合わせをしていたのだろう白髪の少年は、章の服装を見ておなかを抱えながら笑っていた。
「おまっ…ひぃ……何そのカッコ…めっちゃかっこいいんだけど…っ……くくっ…」
「……章、コイツは?」
「あ?あぁ、猫屋敷 楽だ。コイツも能力が使える。ま、ただの馬鹿だけどな」
そういうと笑いっぱなしの少年の頭を軽く叩いた。
「ってぇ、怒んなって」
「で、今日は何の用だ。」
「いや、章にはまだ言ってなかったけどさ、俺の事情色々教えちゃった子がいるんだよ」
「は?お前……まさかそいつギフト持ちじゃねぇとか言わねぇだろうな」
「あはは…………そのまさかなんだけど」
「……チッ……今度研究室に連れてこい。可能性がねぇか調べてやる」
そう言うと章は「帰るぞ」とさっさと歩いていってしまった。
「……持ってねぇ奴が持ってる奴の存在を知ると厄介なんだよ。」
自宅の椅子に座りながら章は呆れたように言った。
「何で厄介なんだ?」
「お前も知ってるだろ、後付けのギフト、つまりフィードギフトが存在することぐらい。それらは危険で禁じられている。」
「あ、あぁ」
「だが、それ以上に人間の欲というものは歯止めが効かない時がある。甘い誘いの言葉をかけられれば尚更だ。」
一瞬、苛立ちに満ちた表情をした気がしたが、それもまたいつも通りの無表情に戻った。
「…持たざる者は持つ者にほんの少しであろうと劣等感を感じる。自分にも能力があればいいと願う。」
ここまで聞いて彼の言いたいことが理解出来た。能力を植え付けられた者には、代償があると聞いたことがある。
それは様々らしいが、少なくとも私は1人、自我が崩壊した人間の末路を見たことがある。
「そういえば、お前が血塗れだった理由を聞いてないな。」
「それは……」
「まぁ調べればわかる事だが。俺は研究者だが、情報屋もやってる……一応な」
情報屋……?聞いたことがある。あの時だ。
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「やめろ!!やめてくれ!!」
『はぁ?今更何言ってるんですか。これは“制裁”です。君に拒否権は……無い。』
そいつは不気味な笑みを浮かべながらこちらにゆっくりと近づいてくる。
「……っ!!」
思わず後ずさりするが、もう逃げ場は無かった。後ろは壁だ。
『全く…これだから何も無い人間は』
突然、青い光を放ったかと思うと目の前に剣のようなものが突きつけられていた。
『もう逃げ場は無いですよ。どうします?』
どうやら一向に能力を使おうとしない私を追い詰めて使わざるを得ない状況に持ち込もうとしているらしい。
こんな能力、普段使ったことなんか無かった。日常生活で使うような代物ではない。
コイツの思惑通りになるのは嫌だったが、私はズルズルと身体から刀を出した。
『やっと楽しめそうですね』
そう言うと思いっきり青く光る剣を振り下ろしてきた。私はすかさず避けると、低い姿勢のまま相手の横腹の辺りに刀を振った。
『なるほど。能力は使わずとも剣術は習得している……と』
「……!!」
私のひと振りを軽々と避けると余裕の表情で次の攻撃を仕掛けてくる。正直私に余裕なんて無かった。ただ必死に相手の攻撃を避けるだけだ。
その間もコイツは1人でべらべらと話を続けている。
『あぁ、そうですそうです、3年前にも僕に歯向かってきた奴がいましたね』
「……っ……?」
『そいつは情報屋でしてね。6年前の事件に関係する者を調べて僕に辿り着いたらしいですけど。』
6年前……?何の話をしているんだ。相変わらず避けるのに必死な私にはその質問をする余裕は無かった。
『本当、どいつもこいつも僕を苛立たせる』
そう言いながらも口もとには歪んだ笑みが浮かんでいた。不意に、その後ろに大きな窓があることに気がついた。倒すことは出来なくとも、逃げることはできるかもしれない。
私は最後の力を振り絞ってそいつの視界から外れると、一目散に窓へと走った。そして体当たりをして外に飛び出した…………が。
「……っ!!!?」
忘れていた。ここが3階だということを。
私はそのまま地面に思いっきり落ち、左半身に尋常ではない痛みを感じた。
「……い゛っ……………」
見上げると、窓からアイツがこちらを見つめていた。表情は暗くてよく見えない。
「……逃げ……なきゃ……」
血に塗れた身体を引きずりながら、私は必死で逃げた。動く度に激痛が走る。だんだんと意識が遠くなっていくのがわかった。
遠くでアイツの声が聞こえる。
『僕からは逃げられないですよ〜、絶対に』
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章に助けられてから1週間が経った。
外出する時は私の選んだ服を着てくれるのだが、自宅にこもる時は相変わらずおかしな格好に白衣を着ている。
…こんど白衣の下に着られるもの買ってやろう。
「乙女、そこの棚の2段目にある左から3番目の薬品」
私は言われた薬品を取り、顕微鏡を覗いている章に渡す。
「はい」
「あー、後さ、飲み物」
「言うと思ったから持ってきた」
私はコップいっぱいに入った黒い炭酸ジュースを机に置いた。
準備周到な私に驚いたのだろうか、顕微鏡から目を離して私の顔をしばらくじっと見て、何かを考えてこう言った。
「お前、ここに来る前は何してたんだ?」
「え?」
「仕事だよ、仕事。」
「建前としてはただの大学生、でも実際はあるお屋敷で護衛をしていた。」
「なるほど、道理で。」
何かに納得したように頷くと続けて
「お前、ここで俺の助手をやれ。」
「……は?」
「一応言っておくが、研究の助手じゃねぇぞ。情報屋の仕事だ」
「それとどう関係があるんだ?」
「情報屋ってのは恨みを買いやすい仕事だ。酷い時は命を狙われることもある」
「要するに私は章を守れば良いのか?」
「そうだ、なんせ俺は戦えるようなギフトじゃないからな」
確かにこいつは戦い向きではないだろう。
しかし私にとって悪い話では無かった。情報屋である章と一緒に行動すれば、きっと“アイツ”にまた出会うだろう。その時は……。
私は無言で頷いた。
「よし、決まりだ。向こうの研究室に来い。能力の使い方くらいは教えてやれる。」
そう言って表情が豊かではない章は、珍しく不敵な笑みを浮かべていたのだった。
4話での登場人物
仁科 章
性別:男
ギフト: 自分の健康を害する薬物や劇物などを無効化する能力
年齢:21歳
備考:猫屋敷グループの裏で活動していたギフトの研究をしていた組織の研究員の息子。助手をしていた。今は情報屋をしており、とあるマンションで薬などを作っている。
雲類鷲 乙女
性別:女
ギフト:体のどこからでも刀を出すことが出来る能力。
年齢:19歳
備考:以前はとあるお屋敷の護衛として働いていた。幼少期に剣道を習っていたため、基本的な剣術は習得している。