第7話
「もう一度取引ができれば国は滅びずに済んだのかもしれませんが、二度目の契約はなかったそうです」
「なぜだ? 王女を差し出してまで国を守ったのに、それでは王女は犬死ではないか」
「わかりません。敢えてしなかったのか、したくてもできなかったのか。本にはたった一人の子であるリリア王女を失い、王は生涯嘆き悲しみ、苦しみのままこの世を去ったとあります。近しい誰かを犠牲にすることに耐えられなかったのかもしれません」
「そもそも後継ぎを失っては国も立ち行かないだろう?」
「王が何を考えて決断を下したのかはわかりませんが、それでも国は残ります。王の血筋は、辿れば幾人かいるでしょうし」
「それなら大国の属国となった方が、とりあえず無事に暮らして行けるのではないか?」
「そういう考えもあるでしょう。しかし王子、これが誇りというものです」
大国の足元で安全に暮らして行くか、あるいは独立して歴史を刻んで行くか。
その選択を迫られる立場になろうとしているヒスイは、それが他人事には思えず、事の重大さを自身に置き換えて考えた。
自分の大切な人を犠牲にしてまで、この国を守ることができるだろうか?
国を守るものとしてそうしなくてはいけないのかもしれない。だが、きっと無理だ。例え口うるさいミオであっても、見殺しにはしたくない。誰にも悲しんだり苦しんだりして欲しくはない。
それでは他の国の属国となって安寧を得るべきか?
国民はどう思うのだろう? 傘下に入って平和に暮らすことを求めるのか、それとも自分の足で立って歩くことに意義を見出すのか。
その答えを出すには自分はまだ幼過ぎる。ここで結論を出せるほど単純な選択ではないが、それ以前に自分はこの国と国民のことをわかっていない。
もっと知らなくてはいけない。この国のことを。この国に住む人たちのことを。
「難しい選択だな。王女を生贄にした王を一概には責められない。王女の決心も感服に値する」
「この国は平和です。他国と良い関係を保っていられるのは王の采配のお陰でしょう」
意外に暇そうにプラプラしている父王だが、ヒスイの知らないところで辣腕を振るっているのだろう。
父王は王であるために国を守る決断を下さなければならない。王としてそれをするのか、それとも人としてそれができるのか。
もっとよく父王を観察し、理解する必要があるな、とヒスイは思った。
冷めたお茶の残りを一息に飲み干した。冷たくても香りは損なわれず、やはり芳しい香りが鼻腔へ抜けた。
「ところで、王子」
ルディアスはしんみりとした雰囲気を払拭した。
「王子の見る夢は、恐らく信号です」
「信号? どういう意味だ?」
「夜の王の城が近くにあったとき、その波長を受け、王子の意識と同調するのではないかと思われます。夜の王は闇の城に住んでいると言われています。夜空に浮かび、その姿は誰にも見ることができない。しかし、夜の眷属だけには見ることができるのだそうです。残念ながらその証言はわずかで、確証はありませんが」
それもまた突飛な話だとは思ったが、シュノン国の話を聞いたそのあとで、あからさまに反論できないのもまた事実である。
「ということは、私がその眷属だと言うのか?」
「恐らくは。夜の眷属は体のどこかに闇の色を表すそうです。髪であったり目であったり痣であったり」
ルディアスはじっとヒスイの目を見た。
この国に誰一人として存在しない、黒の瞳。
だがヒスイはこれまでその色で何の損得もなかったし、体に異変を感じたこともなかった。
「だが、他の国にはこういう色を持った人間もいるのではないか? 私だけが特別なわけではないだろう?」
「南方には王子のような闇の色を持った者たちがいるとは聞きます。それは闇の眷属を表すものではありません。眷属は世界でもごくわずかしか存在しないそうです。それも、本人がそうと気づくことも稀なのだそうです」
「私も特別何かを感じたことはない」
「ですが、王子。その夢が恐らく眷属である証だと思われます。第一、王子に南方の血が混じっているとは考え難いですし」
ヒスイはふむ、と考え込んだ。
夢は子供の頃から繰り返し見る。妙だとは思っていたが、この三日ほどはなぜだか続けさまに見ている。それも闇の眷属として夜の王に同調しているのだと言われれば、そうかと納得もしてしまう。
だがしかし……。
「なぜ私なのだ? 父上も母上もそんな兆しはなかったように思うが?」
そう問えば、ルディアスはまた本を一頁捲った。
「この本にはこうあります。えぇと……」
ルディアスは文字を指先で追い、中ほどで止めた。
「あぁ、ここです。闇の眷属は遺伝ではない。突発的に表れるが、共通する点もまた何もない。ある日突然、どこかの子供が身に持って生まれる」
「たまたま私が眷属として生まれたと言う事か?」
「そのようです」
「何のために?」
ルディアスはまた文字を追った。
「証言はごくわずかなので、それほど詳しくは書かれていないのですが……これですね。夜の王は眷属を世に送り、世界を支配しようとしている。太陽が消え、夜に姿を変えた地上へ、王は城と共に降りてくる、とあります」
おとぎ話らしい胡散臭さだな、とヒスイは思った。
「千三百年以上も前から空に浮かんでいる夜の王が、いまだ地上に降りられないのか?」
効率の悪い支配計画だ。大国の軍を一晩で全滅させるだけの力があるなら、それを使えば容易いだろうに。
思いついたままを口にすれば、ルディアスは小さく首を振った。
「これは書き手の想像に過ぎないのかもしれませんね。何しろ夜の眷属は稀ですし、それでいて一族を率いて世界を支配するなど、いつまで経ってもできるはずがありません」
では何のために闇の眷属は存在するのか。そもそも、それは本当に闇の眷属なる者なのだろうか。そしてそもそも、本当に夜の王は存在するのだろうか。
ここへ来てヒスイの疑問は元に戻ってしまった。
「夢には何の意味があるんだ? 本当にリリア王女なのか? 偶然似たような夢を見ただけではないのか?」
偶然にしては出来過ぎているようにも思えるが、不可思議過ぎて納得は行かない。
「リリア王女、王子の夢、髪と目の色。どれを取っても夜の王に繋がります。毎夜夢を見るのでしたら、夜の王の城はこの近くに来ているのでしょう。今夜、探してみたらいかがです? 王子には夜空に浮かぶ城が見えるはずです」
胡散臭くはあったが、それはそれで面白そうだった。
「見えたらどうなるんだ? 向こうからも見られるのか? 城には行けるのか? 行って帰ってこられるのか? そのまま囚われるのか?」
ヒスイは矢継ぎ早に質問を繰り出し、答えようと口を開くルディアスにたった一言の返答をする隙も与えない。
「王女は? 大昔だから亡くなっているよな? それとも時間が止まったまま、まだ囚われているのか? 会えるのか? 連れて帰るとしたら――」
「王子!」
ルディアスは無礼とは思いつつも、止まらないヒスイに無理矢理割って入った。
「王子、答えは一つです。わかりません」
ヒスイは我に返って、あぁ、そうか、と納得した。
「証言はほとんど無いのだったな。では、私が見て聞いて、証言しよう」
「それを私に聞かせて下さいますか?」
「あぁ、もちろん。その本に続きを書くといい」
ルディアスは細い目を皺と同化させ、
「ありがとうございます!」
とテーブルに額をつけて感謝を表した。
「あぁ、こんな夢のような日がくるとは思っていませんでした。長年の謎が解かれて、それを私が書き記すなんて……!」
胸に手を当て、感慨に耽るルディアスを前に、ヒスイは得意げな笑みを浮かべた。
ついさっきまで夜の王の存在について半信半疑だったことなど、綺麗さっぱり忘れていた。
◇
「ヒスイ様ぁ。もう戻りましょうよぅ。寒くて風邪引きそうです」
毛布一枚を羽織って塔の上から夜空を眺めるのは、雪解けが過ぎたばかりの今の時期には少々無謀であった。
小さく震えながら何度も『戻りたい』を口にするミオに、ヒスイはとうとう文句をぶつけた。
「うるさいなぁ。だからミオは部屋にいろって言ったんだ」
「ですが、ヒスイ様も震えていますよ? 風邪を引いて寝込んだらどうするんですか。苦い薬に太い注射が待っているだけですよ?」
ここぞとばかりにミオは脅しをかける。ヒスイは一瞬黙り込んだが、今度はミオを丸め込む作戦に出た。
「もうちょっとだけ。我慢できなくなったら戻るから。ほら、くっついてたら少しは温かいだろ?」
寄り添ったからと言って温かさが増すわけではなかったが、ヒスイの子供っぽさにほだされてミオは折れた。
「ほんとにちょっとだけですよ? 後で苦い薬が嫌だって言っても聞きませんからね?」
「わかってるって。ミオ大好きー」
絶対わかっていないのに、相変わらず調子がいい。
鼻の頭を赤くして、エヘヘ、と笑うヒスイを呆れ顔で見ながら、ミオは内心ため息を吐いた。
どうせ薬が苦いと文句を言い、注射が嫌だと大騒ぎをするに決まっている。それをわかっていながら、結局ヒスイのやりたいようにやらせてしまう。そんな甘い自分に向けてのため息でもあった。