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夜の王子  作者: きいな
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第6話

 やかんがチリチリと音を立て始め、ルディアスはカップとティーポットをテーブルの陰から出した。見えないところに棚が隠されていたらしい。


「孫娘は随分ときっちり片づけるのだな」

「自分で名人だと言っておりました。部屋を綺麗に保つコツは、物を溜めこまないことだそうです。家が丸ごと捨てられるかと思いましたよ。大事な商売道具も危うくゴミにされるところでした」

 笑い事ではないだろうに、ルディアスは可笑しそうに声を立てて笑った。


 その孫娘はいよいよミオに似ている、と、ヒスイは少々居心地が悪くなってきた。


「ほとんどの物が捨てられてしまいました。ですが、意外と不便はないものですね」

 そう言って今度は炊事場の一角から、大きな瓶を二つ抱えてきた。一つにはお茶の葉が、もう一つには蜂蜜と思しき色味の液体が入っていた。

「これは私の古い友人が送ってくれた、花のお茶です。茶葉は高級なものを使い、花は春に数日咲くものを摘んで乾燥させたのだそうです。ほのかに香る花が気分を落ち着かせてくれます。こちらは手伝いにくる孫娘が最大限にコネを使ったと言って自慢した、一級品の蜂蜜です。私には味の良し悪しはわかりませんが、体にいいそうです」

 ヒスイは途端に興味を示し、身を乗り出して二つの瓶を見た。

「珍しいな。花のお茶は初めてだ。その蜂蜜を入れるのだろう?」

「甘くてよい香りがする、もてなしのお茶です」


 やかんの注ぎ口から湯気が立ち始めた。ルディアスは茶葉をポットに入れ、お湯を注いだ。花の香りが湯気と共に立ち上り、ヒスイの鼻腔をくすぐった。

「あー、いい匂いがする」

 深呼吸するヒスイに、ルディアスは満足そうに笑みをこぼした。

「このままもう少しお待ちください。花びらと茶葉が開いて美味しいお茶ができます」


 今まで自分でお茶など入れたこともなかったヒスイだったが、ルディアスの手元を見ているとさほど難しそうにも見えなかった。

 この珍しいお茶をミオに入れてやったら、目を丸くしてさぞかし驚くだろう。

 ヒスイは面白いことを思いついて、込み上げてくる笑いを必死に押し留めた。


「さて、お茶ができるまで少しお話を伺いましょうか」

 ルディアスはヒスイの向かいに腰かけた。腰が曲がっているせいか、その目線は立っている時と変わらなかった。


「何か気になる夢を見たのですか?」

 皺だらけの細く小さな手をテーブルの上で組む。それを見ながら、ヒスイは事のきっかけを掻い摘んで話した。


 ルディアスは黙って聞いてたが、不意に動いてカップにお茶を注いだ。

「好きなだけ蜂蜜をどうぞ」

 押し出された蜂蜜の瓶から、トロリとした蜂蜜を掬った。そのまま口に入れたい衝動に駆られたが、王子としてそれを我慢した。


 琥珀色の液体に同色の蜂蜜が解けて消える。二つほど入れてからそれを口に含み、ヒスイは満面の笑みを浮かべた。

「美味い」

 お茶から立ち上る優しい花の香り、黄金色の蜂蜜の仄かな甘みが喉を潤し、体に染み渡って行く。

「お気に召しましたか?」

「あぁ。初めて口にする味だ。私の知らない物がまだまだあるんだな」

 やっぱり徘徊が足りないな、と改めて思った。


「よろしかったらお持ちください」

「え、いいのか?」

「もちろんです。王子に気に入って頂いたと聞けば、友人もあの子も喜びます」


 内心、小躍りしたいほど喜んでいたのだが、ルディアスが大事にしている物を、果たしてもらっていいものかどうかと頭を過ぎった。

 固まってじっと瓶を見つめるヒスイに、ルディアスはどうぞどうぞと二つの瓶を押出した。

 くれると言うのだから素直にもらっておこう。

 半ば言い訳のように自分に言った。

「有り難い。そなたには夢見のことも含めて、何かお礼をしなくてはいけないな」

「とんでもない! 王子が喜んで下さればそれで充分です」

「それでは私の気が済まない」

 そして口やかましいミオが、無理強いをしただの脅しただのと、言いがかりをつけるに決まっている。

「私にできることなら何でも言ってくれ。できないことなら父上に頼んでやってもらう」


 ルディアスは大慌てで首を振った。

「そんな恐れ多い! 本当にお気持ちだけで充分ですから!」

 引退した街の占い師に、国王まで動かして何を望めと言うのだろう? 

 ルディアスは今更ながら、目の前で対峙している人物に畏怖の念を持った。


「それよりも王子、話の続きを」

 誤魔化して話を逸らせば、ヒスイはあっさりと夢の話に戻った。


「あぁ、それでな、その女性が、昨日はなぜか泣いていたんだ」

 ヒスイはカップを持ち上げ、一呼吸香りを楽しんでから口にした。

「何で泣いていたのかはわからない。彼女は何も言わないから。ただ、胸が苦しかった。彼女の涙を見ると、なぜだか息ができないほど胸が痛くて苦しかった」

 ルディアスは思案顔で黙って聞いている。

「そして今日は言葉を口にした。声は聞こえなかったが、恐らく『夜』と言ったようだ」


 それを聞いた途端、ルディアスは音を立てて席を立ち、慌てた様子でよろよろと寝台まで行って膝をついた。下の隙間に何か入れてあるらしく、這いつくばって奥を探った。

 戻ってきたときには大きな本を抱えていた。見たことがないほど巨大で、テーブルに置かれた本の高さは、テーブルの縦の長さとほぼ等しかった。

 かなりの年代物らしく、革の装丁が擦れてひび割れている。何度も読み返したのだろう、手が触れるところは黒く変色している。

 ルディアスは開くと言うより、持ち上げて表紙を捲った。

 中は丈夫な紙を使っているのか、大きな破損もない。書かれている文字は装飾味を帯びていて、ざっと目を走らせただけでは読み取れなかった。所々に単色で挿絵も描かれていた。

 一度に半分ほど頁を捲り、それから一枚一枚確かめながら先へ進む。そうしてある一点でヒスイにそのページを向けた。

「この方ではありませんか?」

 そう指差した挿絵は、女性の肖像画だった。


「そうだ! この人だ! この人が夢の中の女性だ!」

 あの美しく、悲し気で不可解な女性がそこにいた。

「これは誰だ? なぜ本の中に?」

「この方はリリア・シュノン王女。千三百年ほど前に滅びた、シュノン国の王女です」

「王女? シュノン国ってどこだ? 千三百年って……」


 ようやっと素性がわかったところで、ヒスイの疑問は増えるだけだった。


「ここよりずっと北の方角に、シュノンという小さな国がありました」

 ルディアスは昔話をするかのように遠い目をし、また椅子に腰かけて話し始めた。

「冬はとてつもなく寒い国でありながら、春には花が咲き乱れるという、非常に美しい国だったそうです。それもリリア王女という、春の女神のような美しい王女がいたからだと言われていました」


 ヒスイは本の挿絵に目を向けた。

 うっすらと笑みを浮かべ、柔らかな表情で王女はそこに描かれている。冬の寒さを耐え忍び、春には暖かな日差しの中、花に囲まれて幸せに暮らしていたのだろうと推測する。


「なぜ今は無くなってしまったんだ?」

「戦争です。小さいながらも、シュノンには豊富な地下資源があったそうです。それを巡って周りの国から干渉を受け、いつしか武力行使にまで発展しました。豊かな国ではありましたが、何分小国です。陥落もほど近いところまで大国に押され、当時の国王は最後の手段に出ました」


 ルディアスは本の頁を一枚捲り、そこにある挿絵を指差した。

「夜の王を呼び出したのです」

「夜の王?」

「夜を支配する闇の王です。夜の闇はこの王の支配下にあると言われています」


 どこにでもありそうな城が描かれている。だがその後ろから伸び上がる黒い影が気味悪く、恐ろしい姿をしている。黒い影は腕の形をした一部を広げて、襲いかかろうとしているようだ。顔と思しき部分には吊り上った目、大きく裂けた口がニタリと笑っている。


「夜の王を召喚するのは秘儀と言われています。なぜ国王がそれをできたのか、文献にはありません。おとぎ話のようでもありますが、夜の王は実在すると思われます。なぜなら、優勢だった大国が一晩で全滅し、シュノンは侵略を免れたのですから」


 ヒスイは半信半疑だった。仮に北方の国で戦争があったとして、そこに夜の王なるものが登場するのは、子供の読むおとぎ話と一緒だ。本に書かれていることが事実だとは言い切れない。


「他に敗因があったのではないか? 夜の王と書き記しただけで」

「そうかもしれませんが、一夜にして敵兵が全滅するなど、どんな原因があったのか説明がつきません」

 ヒスイもそこは反論できずに、ふうむ、と唸っただけだった。

「シュノンは他国からの侵略を防ぎましたが、国力が落ちたまま回復せず、その後二十年ほどで衰退し、滅亡しました」

「結局滅んだのか」

「戦争によって国力が落ちたためとは言われていますが、春の女神が消えたためとも言われています」

「王女か? 攫われたか、殺されたのか?」

「捧げられたのです、夜の王に」


 ヒスイは絶句した。


 それであの放心したような無表情で、寂しい部屋に一人座っていたのだろう。

 儚げで美しい王女が、得体の知れない夜の王の捧げものになるなど、哀れで仕方なかった。


「夜の王と取引をするには生贄が必要です。取引をする本人か、あるいはその近しい人間、とあります。王女一人の命で国が守れるならと思ったのかもしれませんし、有無を言わせずだったかもしれません。それはこの本には書いてありませんが、そのおかげで国は侵略されずに済んだのです」

「しかし、身を以て国を救ったのに、二十年で滅んだのでは遣る瀬無いな」

 だから王女は放心していたのか、あの涙はそういう意味だったのか。




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