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夜の王子  作者: きいな
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第4話

 ◇



 悲しげな背中に、言葉はかけられなかった。彼女が涙を零したのは、もしかしたら誰何のせいだったかもしれないからだ。そう思うとどんな言葉もかけられなくなった。

 しかし彼女の顔を見たい、彼女と言葉を交わしたいという欲求は募るばかりでもどかしい。


 こちらを向いて欲しいのに声がかけられない。話がしたいのに泣かせてしまいそうで怖い。


 ただ黙って彼女の後姿を見ているしかないのか……。


 彼女の長い髪がふわ、と揺れた。


 今夜も風が吹いているらしい。


 期待した通り、彼女はこちらを振り返った。だが何も言えずに彼女の目を見つめた。彼女もこちらをじっと見ていた。見つめ合ったまま、何事も起きなかった。彼女の碧の瞳に涙が滲む様子はなく、これならば少しくらいは話しかけても大丈夫かもしれない、と都合のいい解釈をしてしまう。

 とはいえ、何を言ったらいいのだろう? 何が彼女を悲しませるのか、まったく想像もつかない。泣かせたくはなかった。あんな胸が痛くて千切れそうな悲しみはもう味わいたくない。


 口を開いても出てくる言葉はなく、やっぱり噤んでしまう。


 何を話そう? 天気の話? 趣味の話? 当たり障りのない、誰にでも通用する話題が彼女にも通用するだろうか? そんなことよりも、知りたいのは彼女がどこの誰なのか、だ。だが誰何はできない。きっとまた泣かせてしまう。

 話したい。会話がしたい。彼女の声を聞きたい。何を言えば、どんな話をすれば、彼女は悲しまないのだろうか……。


 あまりのもどかしさにやり場のない苛立ちを感じる。それでも視線を外せずに彼女を見つめ続けていると、彼女の方が小さく口を開いた。


 目を見張って凝視する。


 唇は何かの言葉を紡いだように見えた。


『……え?』


 視線はこちらを捕らえたまま、唇はまた何かを形作った。

 何かを言っているようだ。しかし肝心の声が聞こえてこない。


『も、もう一度! もう一度言って!』


 焦って聞き返すと、彼女はゆっくりと唇を動かした。それに全神経を集中するも、何を言っているのかわからなかった。また聞こえてもこなかった。


『わからない! 聞こえないんだ! 何て言ってるの!?』


 彼女は何度でもゆっくりと言葉を紡ぐ。


 聞こえない音を拾おうと耳を澄まし、唇の形から言葉を読み取ろうと凝視するが、彼女の言葉は少しもわからない。


 焦りが増す。


 どうしたら聞こえるのだろう? どうしたらわかるのだろう? 彼女は何て言っているのだろう?

 ホウ……いや、ソウ? それとも……ロウ……あぁ、わからない!


 焦りと苛立ちで泣きそうになってくる。


『聞こえないんだ……何て言ってるの? 何を伝えようとしてるの?』


 彼女はたった二音の言葉を幾度も繰り返す。じっと見つめてもそれが何を意味しているのかまったくわからない。


 途方に暮れてただ凝視するだけだったが、ふと、脳裏に言葉が浮かんだ。


『ヨル?』


 声に出すと彼女の唇の動きはピタリと止まった。


『ヨル? ヨルって言ったの? ヨルって夜のこと?』


 彼女は何も答えない。沈黙を肯定と取っていいのだろうか?


『夜って何? どういう意味?』


 言葉がわかったところで、意味がわからなければどうしようもない。

 だが、彼女はそれきり口を噤んでしまい、無表情にこちらを見つめるだけだ。


『ねぇ、夜って……』


 言いかけたところで、彼女の姿が何となく色褪せたように感じた。そう思った途端、急激に色が失われて行った。


『待って! まだ行かないで! 夜って何!? どういう意味!?』


 叫んでも彼女は白く滲んで行き、辺りと同化して消えた。



 ◇



 昨日の今日で驚きはしなかった。


 そういえば誰が泣いていたのか聞けず仕舞いだったな、と今日の寝起きのヒスイを見てミオは思った。


 今日もヒスイは寝台の上で座り込み、ぼんやりとしていた。しかし昨日とは違い、何かを考え込むような、難しい顔をしていた。


 ミオが声をかけるより先にヒスイはミオに気付き、寝起きとは思えないしっかりとした口調で言った。


「ミオ、夜って何だ?」

「……はい?」


 突拍子もない質問を真顔でされて、ミオは一瞬、自分の耳を疑った。


「夜……とは、夜ですか?」

「夜だよ、夜。真っ暗でさ、月とか星とか出てる時間帯の夜だよ」


 自分で説明したならミオが言う必要はなくなった。と言うより、わかっているならなぜ訊くのだろう?


「夜とはそういったものですが……それが何か?」

「意味がわからないんだ。夜って何だろう? 何のことを言ってたんだろう?」


 首を捻るヒスイのほうが、ミオには意味不明だった。

 昨日といい今日といい、ヒスイは何が気になっているのだろう? 寝汚いヒスイが起こされる前に起き出し、ぼんやりしたり考え込んだり、未だかつてなかったことだ。もしかすると本当に天変地異の前触れかもしれない。


 そう思ったところで、それはあんまりだ、と自分で自分を窘めた。

 これでも主君なのだ。何があったのかと心配する方が先ではないか。


「夜がどうしたと言うのです? なぜそのようなことを?」

 とりあえずそう訊いてみる。

「夜と言ったんだ。それだけだった」


 ミオの想像力では限界だった。自分は頭が固いのか、それともヒスイの言葉が要領を得ないのか、話の中身よりついそちらを考えてしまった。そして、結局は考えてもわからないのだと早々に結論付けた。


「え、と……申し訳ありませんがさっぱりわかりませんので、最初から順を追って説明していただけますか?」


 ヒスイは別段気にした風もなく、寝台に座ったまま説明を始めた。


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