東に広がる藍色の夜
06
本日はお日柄も良く。朝夕冷え込む季節になってまいりましたが、人間関係は極めて平常。私は常の如く、クラス内から居ないものとされています。
私の周りだけ不自然な隙間が生まれており、秋の寒さも引き立ちます。
なーんて。
私はふざけたことを言ってみる。
放課後になり、西日が眼に厳しく射してきている。そろそろ時間も良い頃なので、
「×××××君~」
いつものように隠れているだろう少年に声をかける。
しかし、返事が無い。
「んぅ、また驚かせようとしてるな」
いつもは私が教室からいなくなった隙、もしくは私が×××××君の出現に注意してない隙に現れる。
つまりトイレに行ったふりなどをして、男君をおびき出して背後にまわれば……!
「ふっふっふ、いつもの仕返しじゃ、ふっふっふっふ」
私は足早に教室から出て、教室が見える通路の陰に隠れた。
××
「なんだかなぁ……×××××ちゃんって分かりやすいというか」
誰もいないはずの教室で、若い男子の声が響く。
いつの間にか中央の机に、呆れた顔の少年が腰かけていた。
「大方、僕を誘い込もうとしてるんだろうけど」
少年は、隠れている少女にばれない様にそっと彼女のいる通路を窺った。
「あれだけ考えてることが顔に出る子ってのも珍しいよね……」
はぁ、と大きな溜息を吐いて少年が言う。
「ま、残念ながら×××××ちゃんが考えてるようには行かないんだなぁ」
授業の跡が残る黒板を眺めながら少年は足をぱたぱたと振る。
どうやら英語のようだ。
「……まったく、しばらく待つの面倒くさいな」
少年はちらりと時計を見て、もう一度溜息を吐いた。
07
「ん……」
こそこそと移動して、監視に適したポジションを探る。
「さてと、ここに隠れてれば×××××君が来るのを監視できるかな」
……。
…………。
………………。
油断してのこのこと現れる×××××君。
ふはは、いつもは辛酸を舐めさせられているけれど、今回は×××××君の驚いた顔をじっくりと見てやろう。
………………。
…………。
……。
一体どんな感じに驚くのだろうか。
常に飄々と人を食ったような笑みを浮かべているあの少年。正直驚いた顔なんて想像できない。
……。
…………。
………………。
案外、人の居ないところでは普通で、私に悪戯するときだけああ言う性格になるのかもしれない。もしかしたら気を抜いた彼を目撃できるかも。
………………。
…………。
……。
……。
…………。
………………。
「あ……あれぇ?」
お、おかしいな。一向に来る気配がない。
ポケットから携帯を出して時間を確認するが、教室から出てからそこそこ経っている。
「何で来ないの?」
いつもであれば、既に来ているはずの時間。
何か用事ができて遅れているのだろうか……、それとも今日は来ない日なのだろうか?
「また明日……って言ったくせに」
強い夕日に目が眩みながら、教室の中に入る。何だか力か抜けてしまって、体が重い。
「うぅー、×××××君いないとさみしいな……」
くすっ。
背後で笑いが漏れた。
慌てて振り向くと、机に少年が腰掛けていた。
「やっほー、×××××ちゃん」
「うわっ、あれっ×××××君!? 何でいるの!?」
「いちゃいけないの?」
「えっ、そういう訳じゃないけど……でもさっき居なかっ……」
わたわた混乱する私を、小馬鹿にするようにくつくつと喉を鳴らす。
「あははは、驚いてるねぇ」
「えぇぇ、あれぇ?」
そして、少年が悪い顔――私をからかう前触れであり、反応を予想して楽しんでいるようなにやにや笑いだ――をする。
「それよりさ……」
「へ、なに?」
少年はあーあーと発声練習のような声を出して、
『うー、×××××君居ないとさみしいな……』
私に似せた声で、さっきの恥ずかしい台詞を真似した。
「うわあぁぁぁぁっ! 何で知ってるの!」
「さっき僕の前で堂々と言ってたじゃん」
「それは×××××君がいないと思ってたからっ!」
「さみしいんだねぇ、よしよし」
「うがーっ、ちくしょーっ!」
ぽすぽすと頭を撫でられる。
無性に顔が熱い。恥ずかしいことを聞かれたのと、少年に撫でられている所為で。
「相変わらず、×××××ちゃんは可愛いなぁ」
「んぐぐぐぅ……」
可愛いって言われた。
可愛いって言われた。
気持ちが高ぶって、感情のメーターが振り切って、口から言葉が勝手に飛び出る。
「もぅ! 仕方ないじゃん! ×××××君といると本当に楽しいんだもん、×××××君がいないとさみしいんだもんっ!」
「……っ」
少年が唖然とした顔で私を見る。
そして、とんでもないスピードで顔を背ける。
「ちょっと何で目をそらすの!」
「ちょ、ちょっとこっち見ないでくれるかな」
動揺するような声色。いつもの彼らしくない、慌てた感じ。顔を覗き込んでも、逃げるばかりだ。
「……あれ、もしかして?」
びくっと、少年の体が跳ねる。
よく見れば、耳が真っ赤に染まっている。
「今日はことさら夕日がまぶしいみたいだなぁ……あはは……」
誤魔化すように、おどけた口調で少年が言うが、隠しきれない顔が赤くなっている。
「照れてる?」
「し、心外な」
勢い込んでこちらを振り向いてしまう少年。
その真っ赤な顔に、私の頭でも先ほどの私の言葉がリフレインされる。
互いに赤くなった顔で見つめ合う。
少年が、苦笑して言う。
「からかったつもりが強烈なカウンターを決められました」
「…………」
……私、随分大胆なこと言ったなぁ。
どくどく動悸が激しい。顔が熱い。息が荒い。
「……さっき言ってたの、本心だよね…………」
「…………」
「……マジすか」
かける言葉が見つからないかのように押し黙る私達。絞り出すように言った言葉もとても小さいものになってしまう。
「顔赤いよ×××××君……」
「これは夕日なんでしょ……僕も君も」
「夕日だね、うん……」
会話が続かない。
「…………」
「…………」
無音に包まれた教室で二人、じっと窓からの景色を眺める。燦然と黄金色に輝く雲、煌々と橙色に燃えるグラウンド。
「また……ギクシャクしてるね」
「……でも、今回はこのままでいい」
「……うん」
心地よいこの雰囲気。
自然に笑みがこぼれる。
「…………」
「夕日綺麗だね……」
「うん……」
今の時間がいつまでも続けばいいのに、と思うけれど。夕日がだんだんと沈んでいってしまう。
「…………」
「そろそろ……帰らなきゃ」
「うん……」
残念だけど、もう終わり。
私は名残惜しさを滲ませて、×××××君に話しかける。
「……一緒に帰らない?」
少年は、くしゃっと顔を歪ませて言う。
「ごめん……それは、できないや」
柔らかに微笑む少年。
私は精一杯思いを隠して、気楽に言う。
「そっか……残念」
それじゃ、いつも通りに終わらせよう。
「ばいばい、×××××君」
「ばいばい、また明日……じゃなくってまた来週かな?」
「そだね」
土日を挟んで月曜日に。
月曜が来るのがすごく待ち遠しいなんて、いつ以来だろうか。
××
扉が閉まりきる音がして、少年は机に伏せる。
ぼそぼそと独り言がくぐもって教室に広がる。
「…………」
夕日は後数分もすれば沈みきってしまうところまで進んでいた。
少年の体が、ぼんやりと透けていく。
「だめだよ、これ以上」
机の上に、涙が次々に落ちる。
絶望した声色で、呟いて泣く。
「僕は、僕は君と違って……もう」
――――んじゃって、いるから
「…………」
ぼんやりと薄くなった少年は、光となって掻き消える。
――んじゃって
――きかえらなくて
――と一緒に
――きられない