一番星はまだ出ない
××
窓から見える斜陽はほとんどが雲に隠れていて、隙間からちらちらと赤が見える程度だ。
教室も暗く、人が居ても顔を判断出来なさそうな程な闇に包まれている。
「…………いない、か」
その中心付近の机に一人の少年が腰掛けていた。
元々浮き世じみた雰囲気の少年は、落ち込んだ表情も相まって、今にも消え失せてしまいそうだ。
教室の入り口の扉に目を向けると、少年は乾いた笑い声をあげる。
「ははっ、そうだよな……」
いつもは残っているはずの少女は、チャイムと共に教室から飛び出していった。クラス内は未曾有の事態に蒼然となっていた。
だから、ここには少女は来ない。
「…………」
まだ少し高い位置にある夕日を眺めながら、少年は姿を消そうと――
がらりと、扉の開く音がした。
「――っ!?」
05
意を決して、私はゆっくりと扉に手をかける。
何だか昨日気まずくなった所為で、一旦は逃げてしまった……。後ろめたい気持ちでそろそろと教室を覗き込む。
もしかしたら、×××××君の方も帰ってしまったかもしれないけれど。
「あ……」
「あっ……」
薄暗い教室の中に、彼が一人座っていた。
私は無言のまま、教室に入る。彼も目を逸らしたままで何も言わない。
空気が、重い。
「…………」
「…………」
静寂がきぃんと耳に痛い。
話しかける言葉が見つからない。私は少年の少し後ろで鞄を握りしめて佇んでいる。
「……ん、えと」
居てもいられなくなって、逃げてしまったことを謝ろうとする。
しかし、私の声を遮るように少年が声を上げる。
「……昨日はごめん」
「い、いや、私こそ……心配してくれてたのに」
私がそう言うと少年が思いきり顔を歪める。
「………………う、ん」
「…………」
さらに雰囲気が悪くなった。私、何か失言をしてしまったのだろうか……。
「ね、ねぇ……なんか話、そうよ……雰囲気が暗いじゃん」
耐えきれずに直接的に言ってしまった。
少年は、申し訳なさそうに頭を下げてくる。
「うん……ごめん、そうだね」
「あ、謝らなくても良いのに」
「あー、えっと……うん」
どうにもこうにも、上手く話が進まない。折角の放課後なのに。折角の友達なのに。
「……こういう時に上手く話できないから友達、できないんだよね」
私が、まるで他人事のように言うと、少年が落ち着いた声で言う。
「一人は、友達できたみたいだけど」
「でも、その友達も雰囲気悪くなっちゃった」
「その友達、きっと仲直りしたいと思ってるよ」
あからさまに白々しく、私達は話を進める。
「そうかな……」
「その友達……」
と、そこで少年は言葉を切る。そして何だか諦めたような吹っ切れたような溜息を一つ。
「ううん、違うね……僕、僕は仲直りしたい」
「……っ」
少年は机から降りると、きちんと私の方に向き直って、逸らしていた私の眼を見て。
「ごめん、ぎくしゃくしちゃったのは僕の所為だ。また仲良くして欲しい」
「うん、もちろん」
二人して、溜まった疲れと緊張を流すように大きく溜息を吐く。
いつもの調子に戻った少年が苦笑する。
「はぁ、こういう不器用な所僕達そっくりだね」
「悪い所が似ててもしょうがないでしょ」
私も、つられてくすりと笑う。
「そうかな」
「そうでしょ、つまりあなたも友達作れないってことじゃない」
「心外な」
少年はにやにや笑みを浮かべ、大袈裟に答える。
その姿に少しイライラする。
「じゃあ、友達何人いるの?」
こんな時間まで私と教室で駄弁っているんだから、その人数は随分と悲しい数――とはいえ私も人のことを言える人数がいない……というか少年だけしかいないけど――に決まっている。その事をからかおうとして挑発した。
そうしたら。
「友達は一人だけど、その一人は親友だよ」
「え? ……あっ」
言葉の意味を理解して、一気に顔が熱くなる。
それを見てさらににやにやする少年。
俯いて、顔を隠して上目遣いで彼を睨む。
「不意打ちは卑怯……」
「してやったり、顔真っ赤だね」
「これは違うの」
「これも夕日?」
「これも夕日!」
「夕日は雲に隠れてるけどなぁ」
「ぐっ」
ふと、少年は良いことを思いついたかのような表情になる。つまりはどう考えても私にとって害のあることに違いない。
「×××××ちゃん、×××××ちゃん」
「何さ、×××××君」
しかし、こうして心構えをしていれば何が来ても無問題である。
勿体ぶって、しかも爽やかに笑う少年。
「いや、やっぱり笑った顔の方が可愛いなって」
「照れさせる気満々すぎて逆に恥ずかしくないな」
「ありゃ、これはダメ?」
「全然平気だね」
そう、全然平気。
「その割にほっぺ綺麗に染まってるね」
「それは言わないで」
「分かった、言わない」
熱くなった息を吐き出す。先ほどの溜息とは違う何だか心地良い感じだ。
だけどさ……。
「ギクシャクしないのは良いんだけど、そのかわり私がダメージ喰らってる気がする」
「僕も結構ダメージは大きいんだよ?」
「ん? どういうこと」
別に私は少年に対してからかったり意地悪したりはしていないんだけど。そう不思議そうな顔をしていると、少年は何故か自慢げに言う。
「こんな恥ずかしいセリフ言うだけで辛いよ」
「じゃあやめてよ! 何でそんなことしてるのさ!」
「ほら、肉を切らせて骨を断つっていうじゃないか」
「怪我しないのが一番だよ!」
「男の子的にはスリルを求めないと」
「私は女の子!」
くつくつと小馬鹿にしたように笑われる。
「まったく、まったく」
まったくもう。
楽しいなぁ。
「ははは、やっぱり他愛もないこういう話が一番楽しいね」
「うん、友達って良いもんだね」
「そりゃそうでしょう、なんせ友達ですから」
「なにそれ」
「さぁね」
くすくす笑い合う。何の変哲もないことがすごく楽しい。
その時、雲が割れて真っ赤な夕陽が射す。既に半ば程まで沈んでいる。
「っとと……そろそろ帰らなきゃ」
「あ、やばい……夕日が」
「うん、じゃあもう帰るね」
最近肌寒くなってきたのでマフラーを首に巻く。鞄を持つと、少年が私に声をかける。
「ばいばい」
「ばいばい、また明日」
また明日。
明日も良い日になりますように。
××
少女が出て行った扉を、少年はしばらくじっと見つめていた。
「あぁ、楽しいな」
楽しそうで嬉しそうで、泣きそうな笑顔で呟く。
「取り返しがつかないくらいに楽しい」
少年は机から降りて、まだ少女の温もりの残る机をつぅっと撫でる。慈愛の満ちた微笑はだんだんと薄くぼやけていく。
「僕と君は相いれない存在なのに」
雫が一筋、頬を伝って落ちる。
「…………」
少年は消えた。