黄金色の雲
03
終業のチャイムが鳴ってから、少し経って。
私は寝たふりをして突っ伏していた机から跳ね起きる。燦然と輝く黄金色が眩しくて、目を細める。
「はぁ……放課後ー」
件の所為で、些か以上に居心地が悪くなってしまい、部活を辞めざるを得なくなった。
よって、全く以て遺憾ながら、放課後の予定というものが消え失せてしまった。
平たく言えば、暇だ。
「本日もぽつーんと独りぼっ……はっ!」
常の如く、気の抜けた独り言を言おうとした途中で、慌てて教室を見渡す。
「あの男の子はー……」
きちんと後ろも確認する。どうやら杞憂だったようだと、安堵して息をはく。
「ふぅ、今日は誰もいないね」
まったくもって通常営業。私と関わるのをみんな避けるおかげで、人っ子一人いない教室だ。
局地的避難警報発令中。なんてね。
「まぁもちろん、僕はここにいるんだけど」
「うわあああっ!?」
狙い澄ましたかのように、油断したその瞬間に背後から声が掛けられた。硬直した身体は重心を崩し、机が傾き、がたんと音を鳴らす。
全力で振り向く。早鐘のように脈打つ心臓。
「こんにちは」
昨日と寸分違わず、同じ机に同じ格好で、そして同じようにくつくつと笑って、愁いを帯びた瞳で、少年が私を見ていた。
「え、い、今誰もいなかった……のに」
「だから、僕はいつもここにいる……って言ったじゃないか」
何か含みを持たせた言い方をする少年。
ぴくりと眉がひくつく。つまりはこの少年、私を驚かせる為に隠れて隙を窺っていやがったということだ。にやにやと私を見ている姿に苛つきが増す。金色の教室を背景にして微笑む少年は、嫌に格好が付いている。いわゆる絵になる、という奴だ。腹立たしい。
と、そこで昨日のことを思い出す。
「そういえば! あのこと、誰にも言ってないでしょうね!」
「うん」
思いだし笑いをしているような顔。凄く小馬鹿にされている気がする。
「んぬぬ……言ったら絶対駄目だからね」
「そんなに念を押さなくても分かってるよ」
「はぁ……」
待ちに待った独りぼっち、放課後なのにいきなりの精神疲労に思わず溜息がこぼれる。
「ねぇ」
「何よ」
少年が、軽く、素朴な疑問を尋ねるように言った。
「何でいつも放課後残っててるの?」
「ぐふ」
クリティカルヒット!
会心のいちげき!
99999ダメージ!
オーバーキル!
こうかはばつぐんだ!
「いや、その……」
「友達いないんなら――そんなに睨まないでよ、からかうつもりじゃないから――友達いないならさっさと帰ればいいのにさ」
「…………ぅ」
「どうして残ってるの?」
どうしてと言われても。
自分でもこれといった理由が思い浮かばない。
何となくとも言えてしまう。強いて言うならば、虐めに屈して学校から逃げたりなんてしない……みたいな気休めな抵抗なのかもしれない。
言葉に詰まる。
「あ、あれ? もしかして聞かない方が良かったかな」
教室に沈黙が満ちる。
少年は冷や汗を流して己の失敗を後悔しているようにも見える。
別に……そうじゃないけど。
そう言ってあげればいいのだけど、上手く言葉が紡げない。
「…………」
「…………」
嫌な空気を取っ払いたくて。
苦し紛れに思いついた疑問を少年にぶつける。
「き、君は……?」
「え?」
「そうだ、そうだよ! 君の方こそどうなのさ!」
「僕?」
「なんで残ってるの? ……おかげで私はとんでもない赤っ恥を――って違う違う」
感情的になりすぎて、攻めるようなことを言ってしまった。
しかし、少年は特に気を害した様子もなく。
「僕かぁ……」
浮き世離れした、儚げな表情で呟く。
触れたら壊れてしまいそうなその声音に、私はごくりと喉を鳴らす。
私の方こそ何か聞かない方が良いことを訊ねてしまったのではないだろうか。
少年はふっと軽く笑って。
「僕は、ここから動けない……て言うか?」
「は、はぁ? 何それ」
そこで少年は、からっと空気を変えて――つまり、私を小馬鹿にするような雰囲気に――軽く言う。
「ま、君と同じように詳しくは言えないんだ」
「む、ぅ……そんなら仕方ないか」
くつくつと少し笑ってから、少年は窓の方を見る。眩しそうに目を細めて感慨深げに言う。
「夕日が綺麗だねぇ」
「ん、オレンジ色の夕日」
私も夕日を見る。
球の一番下はすでに大地と触れ合っていて、ゆらゆらと陽炎のように揺らぎながらゆっくりと沈んでゆく。色は黄金色から燃えるような赤に変わっていた。
「…………」
「…………」
「友達、さ」
「え?」
急に少年が口を開く。
「友達、ぜろにんじゃなくてさ」
先ほどの飄々とした態度が一変して、恥ずかしげに私に語りかけてくる。
「友達一人……でいいんじゃないかな」
「っ、それって」
「まぁ、恥ずかしいから最後まで言いたくないんだけどさぁ」
「えっと、その」
「友達一人、しかいない……ってさ」
少年の、少し不器用な言葉が、胸にずんとくる。
恥ずかしさが振り切ってしまったのか、少年はぷいと顔を背けてしまう。
「……うん……えへへ」
嬉しさで顔が緩んでしまう。
少年は、ちらちらとこちらを窺ってくる。その仕草が何だか面白くて、笑みが止まらない。
「なんだ、可愛い顔もできるじゃん」
「なにそれ、いつもは可愛くないって言うの?」
「…………いや、そういうことじゃないよ」
「だったら今の間はなにさっ!」
双方、にやにやと笑いながらお互い睨みつけ合う。
「くっ、ははははっ、あははははっ!」
「あははっ、何だろねこれっ、あははっ!」
「くっくっく、いやぁ、はははっ」
「ふふっ、友達とのくだらない会話って何か良いね」
「違いない」
夕日が、また一段沈んで、教室がぐっと暗くなる。
「あー、結構暗くなってきたね」
「もうすぐ夕日が沈みそうだもんね」
「そろそろ帰ったら?」
「えー、7時くらいまでは追い出されないよー」
そういうと、少年は苦笑しつつも、少し真剣な雰囲気で答える。
「だめ。女の子が一人なんだから早く帰りなさい」
「ちぇー、はいはい帰りますよ」
もう薄闇に閉ざされ始めている教室で、手早く荷物をまとめて、立ち上がる。
「ばいばい、ともだち」
「また明日、ともだち」
さよならをして教室から出た。
××
「もう夕日が沈むなぁ」
人は誰も残っておらず、少年だけが机に腰掛けている。溶けてしまいそうなほどの暗闇には、心が引き寄せられる妖しい魅力がある。同じように、少年も透けてしまっているような雰囲気を纏う。
「友達……か」
言葉を噛みしめるように、友達と何回か呟く。
自嘲するように、乾いた笑いをあげる。
「ははは……僕に友達ね」
嬉しさに、鈍い痛みが混じった表情を浮かべると、先ほど少女が座っていた机をちらりと一瞥する。
少年は何も言わずに、教室から消えた。




