問題
「申せ。」
維心は何も構えはないのか、普通に言った。
「神の気が、弱まっております件は、王もお気づきであられるでしょう。我も、それを感じ取って、軍を退いてからも、一人で調査致しておりました。」
維心はじっと義心を見た。
「続けよ。」
義心は続けた。
「思った通り、どの宮でも気の強い神は生まれ出にくくなっておるようで、軍神の子であっても、飛ぶことさえままならぬような気の者も生まれ出ているそうでございます。」
維心は眉を寄せた。
「…ここ最近の世が平和であるゆえ、そのようになっておるのかとも思っていたが、そこまで極端であるなら、どうもそうではないようよの。」
義心は頷いた。
「はい。これはどうも仙術でも命の章の辺りの術を思わせるようなことで、我もまさかといろいろと調べて参ったのですが…」と、義心は懐から絵図を出した。「ここからずっと西、海を渡った向こうに位置する大きな島を、五つの神の種族が分け合っておることはご存知であられるかと思いまするが、そこの神が、最近二つにまでなり、そしてまた一つになり掛けておるようでございます。」
維心はじっと絵図を見て眉を寄せた。
「…戦をしておるのか。」
義心は頷いた。
「はい。ですがいつも圧倒的で、我らがそれを気取る間もないほどに簡単に決着が付いて…どうも軍の気に圧倒的な差があるようだと、気を探っておりまして気付きました。今残っておる二つの種族は、蛇と、後は土地神の縁を司る神。」
維心は、絵図から目を上げて、言った。
「神威か。」と、絵図を指した。「今の勢力図にせよ。」
義心は手を翳し、赤い線を書き込んだ。それを見て、維心がますます眉を寄せる。
「…侵攻しておるのは、蛇か。」
その絵図は、真ん中に小さく丸く赤い枠を入れただけだった。つまり、真ん中が土地神、あとの残りが蛇の勢力となる。
義心は頷いた。
「最近、こちらの西の果ての神々が定例の会合に出席しないということは、話題になっておりました。将維様は書状を遣わしたりしておられましたが、あちらから返事が返って来る事はございませんでした。西と申しても海向こうのことであるし、王も在位中あまり詮索せずにおられた。ゆえに、将維様もそれに倣って、今まで特にあちらから言って来ない限り何も申してはおりませんでした。しかし…王が亡くなられてからこの200年、あまりにも静か過ぎるこの土地は、何かが起こっておっても不思議ではありませぬ。」
維心はじっと考え込むように顎を撫でた。
「…この勢力図は、主は何で知った。」
義心は少し言いにくそうにしていたが、言った。
「…蛇を一匹捕えまして、吐かせましてございます。その蛇は、近くであった虎の墓所裏の塚へ埋めて参りました。」
維月が目を見開いて口を押えた。維心は苦笑した…我の居った頃は、よくやらせたことであったわ。
「そうか。ようやった。おそらく最後に残っておる神威の一族が、術を駆使して防いでおるのであろうの。ここは高い山の上。籠城するにはしやすいであろうしの。結界も解けぬし、蛇の結界もあろう。こちらへ知らせることも出来ぬのだ。」
義心は、つと膝を進めて巻物を懐から出した。
「捕えた蛇から奪ったものでございます。どうやらあの蛇は、どちらかへ向かう使いであった様子。書状を携えておりました。」
維心はそれを受け取って、眉根を寄せた。
「…厄介な。こちらに誰か通じる者が居ると申すか。」とザッと巻物を解き、そして見たと思うとまたすぐ閉じた。「…まずいの。だとしたら200年、生まれ出た子は皆この術の影響を受けておることになる…もちろん、跳ね返すだけの親の力があったら別であるが、そのような親は滅多に居まい。我や、主の子は、もちろん父の気が強いゆえに影響は受けておらぬがの。」と維月を見た。「主の父など碧黎であるから、万に一つも影響はないがな。」
維月は不思議そうに維心を見た。
「何のお話でございまするか?」
維心はため息を付いた。
「この書状には、こちらに潜んでいる術者宛にその様子を尋ねているのと、そろそろ時が満ちるであろうから、さらに術を強化せよとの命が掛かれてあった。その術とはの、生まれ出る神の、持って生まれるはずだった気を奪ってしまうことであるのだ。」
維月はじっと考えて、維心を見上げた。
「では…こちらも侵攻して来ようとしておるということでございまするか?」
維心は満足げに頷いた。
「ようわかったの。その通りよ。そしての、つまりはあちらもそのようにして、征服して行ったということだ。我が死んで、それを咎めることが出来る者も無うなったゆえ…。」
維心は、物思いに沈んだ。これを危惧していた…我が力で押さえ付けていた世が、我が居なくなった後どう動くのかと。将維は、力の無い神ではない。我には劣るとはいえ、それでも神世随一の力を持っている。それでも将維は、戦国を生きてはいない。ゆえ、父を殺した自分ほど、修羅場を抜けてもおらぬゆえ、なかなかに命を奪うという選択が出来ない。話し合いでまとめようとする…それは、良い事だと思っていたが、まだ早いのかもしれぬ。現に、この200年で、西の果ての地が荒れて行くのに任せることになってしまったのだ。
ふと、維心は言った。
「…将維は、どう言っておる。」
義心は下を向いた。
「ざっとお話は致しました。とにかく、蛇と神威殿に話しを聞くよりないだろうと申されて…しかし、神威殿と話すことは不可能に近く、蛇はこちらからの呼びかけに答えませぬ。このままでは、こちらへ侵攻して来るのを防げたとしても、神威殿はどこまで持つのか…。」
維心はため息をついて目を伏せた。
あちらが実力行使で来ている以上、こちらも力で押さえねば無理であろう。力社会の神の世で、こうなってしまってから話し合いなど不可能に近い。話すなら、捕えてからでなければ無理であろう。
維心は、立ち上がった。
「…将維に話して参る。神威が持ちこたえておる間にの。気付いたのに放っておいて、殺してしまうのは惜しい神であるからな。」
維月は頷いて頭を下げた。
「行っていらっしゃいませ。」
「すぐ帰る。」
維心は微笑んで維月に言うと、義心を連れて、将維の居間へと向かって行った。
維月は、一人しばらく居間に居たが、退屈になって、懐かしい北の庭へと出た。
王の居間の横に面していたのは南の庭で、こちらは維心と言い争ったり、一人になりたい時に出た庭。今では、そんなこともあったなあと落ち着いて思い出せる。
あの頃はよく、維心とケンカをした。もっとも、いつも怒っていたのは自分だった。維心は戸惑って、後で話を聞こうと維月を追い掛けて来たものだ。
一度死んでからは、あちらで十六夜と三人、同じ屋敷に住んでいた。維心も十六夜もすっかり落ち着いて、嫉妬などなかったし、穏やかだった。時に三人で並んで休んだこともあった。
それが、転生して身を持つと、やはり変わって来るのか、維心はやっぱりヤキモチを妬いた。特にやはり将維には、そういうことでは警戒心が強いようで、あまり近づけたがらない。記憶が戻ってすぐに将維に会いに行った時、あんなことを言ったので、だいぶ落ち着いてのかと思っていたのに、やっぱりダメだった。あのあと、なぜに将維を抱き締めるのだと散々ゴネてそれは大変だったのだ。
維月は苦笑した。身を持つと、心持ちも変わるのかもしれない。
そんなことを思いながら散策していると、何かの気配が背後にし、維月は振り返った。悪い気ではないので、そんなに警戒はしていなかった。
「…散策でございまするか。」
そこに立っていたのは、義心だった。維月は驚いた。
「まあ。将維に会いに行ったのではないの?」
義心は首を振った。
「いえ。我は共でない方が良いと王に言われました。将維様の判断に異義があると思われてはならぬと申されて。確かに、その通りでございまする。」
維月は懐かしく義心を見た。確かに歳はいったかもしれないが、義心は変わらない。それに、よく見ると600歳とは思えないほど若く見えた。義心も余り、年を取らないようだ。気が強いせいだろう。
「緋月があなたに嫁いでいたと聞いて、とても安堵したの…あの子は、ひとりぼっちで逝ったのではないのね。あなたは優しくて頼りになる神だし、とても幸せであったと思うわ。」
義心は、視線を落とした。
「実は、そのことでお話があって参りました。」義心は言った。「我は、お詫びせねばなりませぬ。」
維月は驚いた。どうしたのだろう。
「お詫び?」
義心は頷いた。
「緋月殿は、お幸せではなかったかもしれませぬ。維月様と同じで、勘が鋭いかたでした…最後まで、きっと、お寂しかったのだと思います。」
維月は、義心を見た。それは、義心が軍神で、任務が忙しかったから…?
「…でも、義心はお仕事だったのでしょう。それはわかっていたと思うわ。」
義心は首を振った。
「そうではありませぬ。維月様、あなたが逝って、王が逝ってしまわれ、その王のご遺志だと聞いて緋月殿を迎えることを承諾致しました。ですが我は…緋月殿を見るのがつらかった。あまりに維月様にそっくりで、思い出さずには居られない。我は不死の維月様より先に逝くつもりでおったので、心の準備が出来ていなかったのでございます。王妃であられる維月様を、我は遠くから見ておるだけでよかった。なのに、それすらも許されぬ場へ逝ってしまわれ、あまつさえ忘れることが出来ぬようにするかのように、あれほどに似ておられた緋月殿を妻にした。我は最初の一度、緋月殿と褥を共にし、その後はとても共には休めませんでした。その時ですら、我にはそれが維月様であるように思えた。朝になってその夢が覚めるのを、どれほどにつらく感じたか。ゆえ、我はずっと宮の宿舎に責務と言って留まりました。義蓮が宿ったことを知った時は驚き申した…たったひと夜のことであるのに。」
維月は、言葉に詰まった。まさか、そんなことになっていようとは…。義心は続けた。
「たまに屋敷へ戻ることがあっても、緋月殿は我を責めることもありませんでした。きっと知っておられたのでしょう…我の想い人が誰であったのか。そっくりなあのお顔でお寂しそうにされておるのは、我も見るのがつらかった。ゆえ、もっと屋敷へは足が遠のきました。そして、戻ったのは、緋月殿が急にお倒れになられたと連絡があった時。その時既に、気はほとんど尽き掛けておりました。」と、義心は思い詰めたような顔をした。「我は月の宮へも使いを出し、対処の方法を問い合わせた。しかし、蒼様のおっしゃるのは過酷な現実でした…月からの気の補充をしておった者は、皆一様にこうなっておると。蒼様は月だけでなく、命の気も補充される。しかし、維月様から生まれた龍であるお二人、緋月殿と紫月殿は、それが出来なんだ。手の打ちようもなく、次々に亡くなりました。緋月殿は、最後まで何も言わずに逝かれた…ただ、最後に我に、ありがとう、とおっしゃって。我は、自分のことしか考えておらなんだと、自分を責めました。そして、息子が成人するのを待たず、まだ早いと言われながら軍を辞したのです。我は…緋月殿を迎えるべきではなかった。婚姻自体、我にはしてはならぬことであったのです。ほかの者を不幸にすることしか出来ぬのですから…。」
維月は、涙を流した。そうだったの…緋月はそんな結婚生活をしていたの。そして、義心も…王の命には従わねばならない軍神であったゆえに、緋月を迎え、そんなことになってしまったのね。
維月は、やっと言った。
「誰も悪くはないのよ。あなたに緋月をと言った維心様も、それに従うしかなかったあなたも、何も言わずに逝った緋月も。私…あの時、何も知らない前世の私が、あなたに顔を上げて目を見なさいと言った時から、私はあなたを不幸にしてしまったのね。私が悪いの…義心、それなのに、死んだ私のことまで想ってくれていたなんて…。」
義心は慌てたように言った。
「決して維月様がお悪いのではありませぬ。全ては王妃と知っていてあなたを想い続けた我の責。しかも王は我の幼い頃から敬愛する維心様であった。我は…愚かであったのです。」と、維月の目をじっと見て手を取った。「こうして、再びお会いすることが出来るとは。我は、早く向こうへ行きたいと望んでおりました。まさか転生なされているとは思いもしませず…ただ、こうしてまたお姿を拝見することさえ出来れば、我は良かったのです。維月様、お会いしとうございました。本当に、心から…。」
維月は義心を見上げた。
「あなたを不幸にしただけの私であったのに。今生でも、私はあなたに応えることは出来ないでしょう。それでも、あなたは私を想っていると言うの…?」
義心は頷いた。
「はい。例え報われずとも、死ぬまで持って行くと思うておったのです。どうせ消すことが出来ぬ想いなら、いっそ溺れてしまおうと、あの頃我は心に決めた。だから、我は良いのです。」
維月は涙を止められなかった。私は記憶を持って転生した。それは、よかったことなのだと思っていた…維心様を、愛しているから。でも、本当によかったのだろうか…他の可能性を、こうして消してしまうことになるではないのか…。私を想い続けていた、義心のように。
維月が思っていると、義心はそっと唇を寄せて来た。維月はどうして良いのか分からず、その唇を受けた…それは、記憶の中と、何も変わっていなかった。