父と息子
次の日から、将維は維心を必ず会合に呼ぶようになった。
維心は常のように黙って自分の横に座っているだけだが、将維の心強さは何倍にもなった。
まだ記憶の戻っていない維心であっても、その洞察力に皆舌を巻いたものだった。しかし、今の維心はその記憶に膨大な知識を持って、会合の席に座っている。将維が迷った時にしろ、それに将維が時に苦手である緊急時の対応などにしろ、維心が居れば間違いなく手遅れになることはない。その安堵感で、自然表情が緩くなった。
維心はそれを感じて、苦笑した。しかし、ここまで王として気を張って来たのはわかっていたので、何も言わずにいた。
臣下達は、気付いていた。
最初、維心が会合の間に入って来た時、前王の維心が生きて帰って来たのだと思って慌てて顔を上げた。
しかし、いつも頼りにしていたあの強大な気と全く同じ気を放つのは、皇子維心だった。その力は満ち、前王の常よりも力を感じる…意識的に抑えているその気が、それでも放つ大きな力は、臣下達を震え上がらせると共に安堵させもした。
我が王…。臣下達は、間違いないと思った。だが、将維が何も言わないので、皆それを伏せていたのだ。
その日も、会合を終えて居間へ引き上げようとしている所であった。
ずかずかと会合の間へ踏み込んで来た影がある…将維が顔を上げると、それは炎嘉だった。
「おお、居ったの。将維、常より申しておったが、あれでは南は守り切れぬ。将を配置せよと申した。であるのに、先ほど送って来た新編成の軍で、結局我ぐらいしか南には力のある将が残っておらぬではないか。」
将維はため息を付いた。
「わかっては居るが、圧倒的に将が不足しておるのだ。最近は神全体の気の量が下がって来ておる…どういう訳か、昔のように力の強い神が居らぬのだ。たまに生まれても、主ほどではない。そちらへ送ることになった軍神達は、それでも強い気を持つほうぞ。」
炎嘉は唸った。
「それでなくとも、守りにくい地形であるのに」炎嘉は眉をひそめた。「これでは、万全とは言えぬぞ。」
将維が何か言おうと口を開き掛けた時、維心が言った。
「…主な、王に対してそれはなかろうが。だいたい、あの時あちらへやった鳥の将の生き残りはどうした。老いておるのなら、その子は居らぬのか。有能な者が居らぬと申すなら、育てよ。主はそういったことが得意であろうが…我は出来ぬがの。」
炎嘉は驚いたように維心を見た。将維も思わず固まっている。確かに助かったが、父上だと知られてもよかったのだろうか。
炎嘉は、じっと維心を見た。
「…なんとの、そっくりとは思うておったが、言うことまでそっくりよ。しかし、常はこれほど偉そうではなかったがな。」
維心は眉を寄せた。
「偉そうとはなんぞ。主に言われとうないわ。王を王とも思うておらぬ。これは主の友ではないぞ。前の維心と一緒にするでないわ。」と将維を促した。「退出いたそうぞ。」
炎嘉は呆然と退出して行くその後ろ姿を見ていたが、言った。
「…維心!」と炎嘉は言った。「…主か?」
維心は立ち去ろうか振り返ろうか迷った。だが、結局振り返った。
「…のう、炎嘉。世は太平が板に付き始めておる…ゆえに神達の気が弱くなっておるのではないかと思うのだ。我ら闘神が戦こうておった時代、気が強くなければ生き残れなかった。だが、今はどうよ。そうではなかろうが。」と、炎嘉に向き直った。「ゆえに、主が危惧するほど強い気の者は必要ないのだ。相手も弱い気の軍神ぞ。安堵せよ。どうにもならぬ時は、我らが収めれば良いのよ。」
炎嘉はじっとその維心の気を探った。間違いない。これは我が友の維心の気。転生して、記憶が戻ったと申すか。
「なんと…維心。」炎嘉はぼろぼろと涙を流した。維心はびっくりした。「主は!我に断りもなく勝手に逝きおったと思うたら、このように突然帰って来おってからに!我がどれほどに…!」
維心は慌てて炎嘉に歩み寄った。
「ああ悪かった。泣くでない、みっともないの。」と懐から懐紙を出した。「ほれ、あちらで話を聞くゆえ。主は王であったくせに、感情に正直過ぎるわ。もうちょっと辛抱せぬか。」
炎嘉は音を立てて鼻をかんだ。
「主のせいよ。戻ったなら、我に真っ先に報告すべきであろうが。」
「記憶が戻ったのがつい最近であったからの。」維心は言った。「とにかく、騒ぐでない。我の対へ参ろうぞ。それから、もう将維にごちゃごちゃ無理を申すでないわ。黙っておったが、目に余ったのでの。」
維心は将維に目配せした。将維は頷いた。そして炎嘉を促して対へと歩いて行く。炎嘉が遠ざかって行く背で話している。
「…お。この懐紙は女の匂いがする。主、確か今生ではもう妃を迎えたとか聞いておったが…。」
維心はフフンと笑った。
「そうよ。我は今200歳ほどであるのにの。此度は同い年であるぞ。」
炎嘉は眉を寄せた。
「まさかと思うが、主は我とは逆に、今生は妃を迎えまくるとか言うのではないだろうな。そんなことをして、あの世の維月に顔向け出来るのか。」
維心は勝ち誇ったように笑った。
「何を申す。我の妃は、何度生まれ変わろうが維月のみよ!主、此度も我に後れを取ったの。」
炎嘉は目を見開いた。
「な、なにぃ?! 維月まで転生しておると申すか!許さぬ!主、」と維心が軽く飛んで行くのを見て、炎嘉もすぐに飛んだ。「こら、待たぬか!維心!」
将維はそれを見送って、ため息をついた。これで悩みの種の一つは父上が引き受けてくださるが、炎嘉殿は騒がしいゆえ…しばらく父上に会いに通うのが分かるだけに、複雑だ。
将維は、自分の部屋へと戻って行った。
「おーおー維月。」炎嘉は、維心の居間へ入ってすぐ懐紙を侍女に投げて寄越すと、出迎えた維月に歩み寄った。「なんとかわいらしい姿になって。そのように若い主も良いの。どれ、もっと傍で見せよ。」
維月が戸惑っていると、維心が眉を寄せて割り込んだ。
「我の妃だと申しておるだろうが。記憶が戻る前から約して妃に迎えたのだぞ。」と、手を伸ばす炎嘉を押さえた。「やめよと申すに。」
炎嘉は膨れた。
「良いではないか。我にしても200年ぶりぞ。やっと会えたと思うたのに、また主の妃か。やってられぬわ。」
維心は維月を抱き寄せて椅子へと向かいながら、言った。
「あちらでも共であったのだ。こちらでまた共にと約して共に転生した。主に入る余地はないわ。いい加減諦めよ。いつまでも想いおってからに。」
維月は維心を咎めるように言った。
「まあ維心様、そのように畳みかけるように言われては…炎嘉様もお寂しかったのでございますわ。維心様が逝ってしまわれて。」
炎嘉が二人の前の椅子に座ると、急に真剣な顔になった。
「…分かってくれるか、維月よ。主が逝ったと聞かされて、亡骸も無いまま葬儀に参列させられ、維心は呆けて誰にも会えぬし、落ち着くまではと放っておいたら、今度はひと月ほどで後を追って逝ってしまいおって。我がどれほどに…どれほどにつらかったことか。」と顔を上げた。「それから200年ぞ。転生しておることも知らなかったのであるからな。記憶が戻ってすぐに我に伝えて来なかったのが口惜しいわ。」
維心は、幾分落ち着いた様子で視線を下げた。
「確かに、悪かったとは思う。しかし、記憶が戻ったのは洪が死んだ時ぞ。まだいくらも経っておらぬ。それに、我は今の位置を変えるつもりもないゆえに、本当は誰にも知らせるべきではないと思うておったのだ。将維ですら我をまた王座にと言いおった…我は、そのようなつもりはない。主も我も、時代に則した政治が出来るかと言うと疑問ぞ。王であった我の役目は終わった。此度は将維や蒼のように穏やかに治める治世と言うのをじっくり見て、学んでみようと思うておるのだ。」と維月を見た。「維月と共にの。そして、時が来て譲位されたなら、そのように治めようとの。時代によって違うであろう…主も長く王座に居て知っておるだろうが。」
炎嘉は維心を恨めし気に見た。
「だからこそぞ。我は主の友ではなかったのか。そのように思うておるなら、言ってくれても良いであろうが。」と、ため息を付いた。「しかしの。主のその気は特殊であって、おそらく回りは気付いておるだろう。黙っておるだけでの。将維もやりづらくなるであろう。主、はっきりと皆に申した方が良い。」
維心は、黙った。確かにそうかもしれぬ…最近の会合で、皆の目が自分に向いているのを感じてはいた。隠しようがないこの気のせいで、あれらが生まれた時から既に王であった自分が、あれらの中でまだ王であってもおかしくはないのだ。洪ですら、逝く前に自分を我が王と言った。やはり、皆にこの考えを言っておく必要があるのか…。
維心は、頷いた。
「将維に話してみようぞ。あれは今でも時に我に譲位をとごねよるので、説得は難しいかもしれぬがの。しかし、我は王座に今すぐ戻るつもりなど毛頭ないの。」
炎嘉は頷きながら、友である若い維心を見た。見た目は人でいう20歳前後、やっと成人した程度だ。前の維心は、1800歳でも人の30代後半ぐらいといった所だった。この姿の維心は、前世では鳥と龍の領地の境界で初めて会った頃…。あの時は、まさか最強の龍の王が、まさかこれほどに若いとは知らなった。そして、力では全く敵わなかった。
炎嘉がじっと維心を見て黙っているので、維心は眉を寄せた。
「何ぞ?そのように遠い目をしよって。」
炎嘉はプッと笑った。
「いや、主のその姿が懐かしいのよ。覚えておるか?1800年ほど前に初めて逢うた時、主はそれぐらいの歳であった。我を小童と言いおった…ほとんど同い年であるのにの。」
維心もフッと笑った。
「覚えておる。主は我にくって掛かって来おっての。父に連れ帰られる主は、童にしか見えなんだわ。」と、維心は遠い目をして付け足した。「我は父を殺しておったからの。」
炎嘉は考え深げに頷いた。
「そういう世であったわ。確かに、今は考えられぬの。」とため息を付いた。「我らは古いのかもしれぬ。新しい治世も、学ばねばな。」
維月は、黙り込んだ二人に言った。
「炎嘉様、維心様のことをお聞かせくださいませ。お二人はいろいろなことを共にされておったのでしょう?聞きとうございます。」
炎嘉はパッと明るい顔をした。
「おお、いくらでも話はある。話して聞かせようぞ、維月。」
維心が慌てて割り込んだ。
「止めぬか、炎嘉。」と維月を見た。「主も、我のことなら記憶を見て知っておろう?何も炎嘉に改めて聞かずとも…。」
維月は無邪気に微笑んだ。
「まあ維心様、炎嘉様から見た維心様のご様子をお聞きしたいのですわ。興味がございます。」
維心は困ったように眉をひそめた。
「維月、何も炎嘉に聞かずとも…」
「よし、話して聞かせようぞ。あれは、初めて会合の場で維心に会った時であるが…、」
炎嘉がお構いなく話し始める。維心はいちいちそんな話にフォローを入れねばならず、炎嘉をそこへ連れて来たことを後悔したのだった。