出撃
維心は集結場所に行く前に使者達の居る場所に立ち寄った。使者の一人が維心を見て言う。
「龍王…?!」
維心は使者に言った。
「よくぞここまで参ったの。主の王は我らがこれよりすぐに助けてやるゆえ。主らはここで養生致せ。」
腕を失っているその使者は、涙を流して言った。
「おお…!やはりここまで来てようございました…。我らをこちらへこさせるため、宮のほとんどの軍神達が命を落とし申した。後は王よりほかに宮を守る者はおりませぬ。どうぞ、王を…!」
維心はその身から闘気をほんのりと上げて頷いた。
「任せるが良い。我が蛇を根絶やしにしてくれるわ。」
そして、くるりと踵を返すと、将維に言った。
「参る。」
将維は思わず頭を下げた。息子ではあっても、父であったもの。そして自分には、ここまでの決断力と闘争心がない。力は継いでいても…気質までは継いでいないのだ。
宮の上空へ着くと、軍神達が既に命令通り集結していた。維心は息も付かずに飛びながら叫んだ。
「西の果てへ参る!ついて参れ!」
途端にものすごいスピードで飛んだ。将維がやっとついて行けるその速さに、軍神達は必死に追い付こうと一斉に進み出した。そしてそれは、驚くほどの統率力で皆をぐいぐいと引っ張るように、大軍であるにも関わらずまとまって飛ぶことに繋がった。将維は振り返ってその事実に驚いた…軍は、王でこれほどに変わるのか。
維心の闘気はどんどんと膨れ上がって来る。顔を見ると、目がうっすらと光り、その激情が伝わって来る。それは、以前の維心にはないものだった。以前の維心は、静かな中に闘気をみなぎらせ、それがまた相手に畏怖を感じさせたものだった。しかし、違う…。将維は小さく不安を感じながらも、成す術なく維心に付いて飛んだ。
途中、命を受けた南の砦の軍神達も合流した。炎嘉が維心に並んで飛びながら言う。
「…維心。主、らしくないの。なぜにそんなに激しておる。」
維心はうっとうしげに飛びながら答えた。
「何のことだ?蛇を討つ。主、手を貸せ。」
炎嘉は訝しげに維心を見た。
「言われずとも貸すわ。だが…、」
「もう良い、話は後ぞ。」維心は横を向いた。「それどころではないわ。」
炎嘉はまだじっと維心を見ていたが、何も言わなかった。
西の果ての地に到着すると、蛇の軍が隊列を組んで、どこまで続くのかと思われるほど長く、また数多く待ち構えていた。恐らく使者が突破したことで、こちら側は全て埋めたのであろう。維心は面倒そうにそれを見た。
「…ふん。数ばかり多くてもの。」と、前に進み出た。「我が神威の宮まで真っ直ぐに道を開く。将維は全軍を連れて助けに参れ。我は炎嘉の隊と蛇の宮の殲滅に向かう。」
将維は驚いた。全軍?炎嘉殿の隊は300ほどの軍神しかおらぬのに。
「しかし、それでは蛇の宮は…。」
維心は面倒そうに言った。
「我一人でも良いくらいぞ。」と、手を上げた。「間に合わぬ。神威を助けよ!」
維心はそう言うと、遥か前方へたった一人進み出て、見る間に龍身を取った。敵味方関係なくその気に圧倒されてたじろいた中、維心は一気に大きな気を、まるで太いレーザービームのように真っ直ぐに放出した。
その直線上に居た全ての敵の軍神が、逃げる暇もなく一瞬にして消滅し、幅100メートルほどの長い道が開いた。蛇達は初めてそこまでの力を目の当たりにし、慌てふためいて必死に維心から離れようと散り散りに隊列を離れ始めた。
「父上、これでは神威殿の宮の軍神も、もしや…、」
将維が叫ぶ。維心は龍身のまま振り返った。
《そのような甘いことを言っておってはこの大軍は滅しられぬ。行け!神威が待っておるわ!》
維心は身を翻して南西の蛇の宮の方へ向かった。姿はまだ青年の龍であるのに、闘気は激しく、その通った後は敵の軍神は姿さえも残らず消滅して行く。炎嘉はため息を付いた。
「しょうがない、行け、将維。維心は己を失っておるわ。我はあれを見ておるゆえ。」
将維は頷いた。父上はおかしい。前世の父上なら、どのように激しても必ず冷静な一面もあったものを。まさか、まだあの体であるせいなのでは…。
将維は全軍に指示し、先頭をきって維心の作った道を飛んだ。龍身を取ると、他の闘神達も後ろで次々と龍身へと変わって行く。
龍達を前に、蛇は成す術なく逃げ惑っていた。
炎嘉は自らも龍身を取り、維心を追った。あの維心は、前世の時に覚えがある。北の戦で初陣の折り、龍の皇子の龍身を目にした。それが維心であったことはその時には知らなかったが、あまりの闘気とその大きな龍の力ゆえに、己を見失い、父王張維に術を掛けられて押さえられていた…その後、成人するまで維心を戦場で見ることはなく、あまりに大きな力に自身が飲まれる間は無理なのだと、父の炎真から聞いた。
あれから、維心は転生した。また大きな力をそのままに。そして、まだ成人まで20年ほどあったはず。成人した維心でも、戦場で己を抑えるのは難しそうで、常にその頃の筆頭軍神であった義明が側にぴったりと付いていたのを覚えている…。
炎嘉は思った。今は、義明もいない。押さえられるのは、きっと自分しか居らぬ…。
横を飛ぶ、部下の鳥である延史が言った。延史は炎嘉がまだ前世の王であった頃に仕えていた自分の筆頭軍神で、炎翔に逆らって軍神数人と宮を出て放浪していた鳥で、今はまた転生した炎嘉に仕えたいと、部下になっていた。もちろん、本性は鳥で、大きな鳥の姿だった。
《龍王はどうしたのでしょうか。我の知る転生前の龍王とは、まるで違うように思えます。》
炎嘉は頷いた。
《我はあれを知っておるぞ。己を抑え切れず、父王に術を掛けられた頃の若い維心よ。》
後ろを飛ぶ、同じく鳥の嘉楠が言った。
《それではどうにもなりませぬ。あの気を抑えるなど、我らには死するようなもの。》
炎嘉はまた頷いた。
《そうよ。ゆえ、主らは手出ししてはならぬ。我が何とかするゆえ。なに、あれの父王ですらあれにはかなわなんだのに出来たのだ。我にも出来ようぞ。》
延史と嘉楠は顔を見合わせた。例え今は龍であられる炎嘉様でも、あれは…。
炎嘉は黙って維心の背を睨み、ただ飛んでいた。
「…西の果てへ進撃して行った。」十六夜が言った。「あの気は維心が先頭だ。あいつ、いきなり何万の蛇を一瞬で消しやがった…中には別の神も居た。まさに目にする者は誰でも殺してる状態だな。」
月の宮で、蒼が心配げに十六夜を見た。
「いつもなら、先にこちらへも連絡が来るのに。きっと急襲だったんだろう。将維から最後に聞いたのは西の果ての地が蛇に統一されようとしているという事だった。神威という縁を司る神の王の地が中央にあって、そこだけ残ってるらしい。」
十六夜は椅子に身を沈めた。
「それを助けようってか。それにしては闘気が激しすぎる。まるで親でも殺されたような激情を感じるな。」と宙を見た。「月から見えるのは、中央に維心が開いた道を将維と龍軍が抜けて行ってるのと、維心がたった300ほどの軍神達とどっかの宮へ向かってる所だ。回りを尽く殺しながらな。維心には炎嘉と南の軍神が付いてる。ま、大丈夫だろうがな。」
蒼はため息を付いた。
「将維はこうも言っていたんだ…最近、月の宮ではないが、神の世では軍神の子でも気が極端に少ない子が生まれるようになっていただろう?それが、蛇が掛けている術のせいだと。ここ200年、西の果てでも同じことが行われていたのだと推測される。そして弱い気の者が大多数の種族を次々に制して行ったのだとな。つまり、西の果てを制したあと、こっちの方へも侵攻しようとしているのだと見て取れると。これは蛇の長い天下統一の策略なのだとな。」
十六夜は眉を寄せた。
「維心が居なくなった途端にこれか。しかし、将維も力の無い神ではない。やはりあいつが神の世最強なのは変わらない。ただ、あいつは優しすぎるんだ。戦乱の世を生きていないからな…維心のように。維心は子供の頃からしょっちゅう命を狙われていたと聞いている。温室育ちの将維が、維心と同じことが出来るはずはねぇな…。」
十六夜は空に昇った月を見上げた。月の宮の結界は健在だ。ここは何の術の影響も受けていない。蒼は神の世にほとんど干渉しない…なぜなら、月の宮の軍がまだ未熟だから、他へ出すことは出来ないと判断しているためだ。何百年も前に一度援軍に出した時、多大な犠牲を出した…その時、月の宮の軍は宮を守る為だけのものと決めたのだ。しかし、宮は月の絶対的な守りの中にある。ゆえ、軍神達はこの中で、他の神の宮の軍に匹敵するものに育とうと日々精進しているのだった。
「どちらにしても、オレには戦の手伝いは出来ない。だが、蛇が侵攻して来るなら、なんとかしなきゃならないな。」蒼が言った。「十六夜は、ずっと戦の様子を見ててくれないか。すぐにでも動けるように、心積もりしておくよ。」
十六夜は頷いて空を睨んだ。なんかがおかしい…。蛇は臆病なのか。しかし臆病な種族が天下統一など謀るだろうか。確かに今の維心は止められない。恐らく自分でなければ無理だろう。だが、皆逃げ惑っているだけだとは、どういうことだ。仮にも軍神なのだろうが…。
十六夜はひたすら、月を通して戦況を見ていた。




