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紅ノ葉の『魔導書』入門

作者: 衣笠 円慕

今回は、魔法ファンタジーものになります。

時系列等分かりにくい点があるかもしれませんが、読んで頂けますと幸いです。


7/2 内容の一部修正を行いました。



 ――証明されるべき事があるとすれば、こんなところか。


『《魔法》は、決して恐れるべきものではない。

《魔法》は、決して万能などではない。

《魔法》は、世界を変え得れど、決して世界を創らない。


其れは人々に、生活の利をもたらした。

其れは人々に、新たなる文化を与えた。

其れは人々に、この世の神秘を魅せた。


そして。

「其れ」は平行し、時に危険さえ生み出す。


これら総てを踏まえ、経て、飲み込む覚悟を決した上で、

人間は《魔法》をその手に掴んだのだ。

ただ自らの永久とわの繁栄と、更なる進化を願って。』


ここに《魔導書》は開かれた。

未だ白く染め上げられた羊皮紙に、如何なる記録を残すのか?

やがて黒く塗り潰すであろう文字達の行方は、《魔術》とその"遣い手"に。

――今、委ねられたとしたら。



        '神の祝福が在らんことを'


-All he have to do is get the happiness in his hand.-




***




 風の流れが変わった、と感じたのは、殆ど直感に近い。

ゆっくりと瞼を持ち上げ、自らの前方を窺う。

そこには、何も存在しなかった。

いつも通りの景色こそ在るものの、それは何も無い事と即ち同義だ。

それでも虚空を耽々と見据え、両拳を強く握る。

一糸の乱れすらない、整然とした呼吸を繰り返した。


突如、上体を大きく捻り、姿勢を低く落とし込む。

瞬刻の後に頬を掠めたのは、なにか鋭利なもの。

覆いかぶさるように全身を染める影に隠れ、彼の表情はわからないままに、

ただ、聴こえたのは。

「見つけた」



**



 周囲の人々の間で、かなり妙な噂が絶えず囁き交わされていた。

この村の外れのどこかにある巨大な樹木の中には、世にも恐ろしい力を隠し持った"魔女"が潜んでいる。

今にも這い出てこようものなら、この村全てを燃やし尽くしにかかるだろう、といったものだ。

話を広め、耳を傾け、震えあがってはまた垂れ流して。

延々と繰り返す人工の渦の中で、とある少年が呆れたように一つ、息を吐いた。

こんな根も葉もない茎を掴むような奴が居るのか、なんて苦笑とおかしな感嘆を織り交じらせている――

……という訳ではなく、単にくだんの"魔女"をよく知っているというだけの話で。

それどころか、今からそいつの顔を拝みに行く所なのだ。

どっちにしたって、その旨を詳しく伝えてやる義理などないが。

知らない方が良いこともあるよな、と何処か投げやりに独り語散て、少年はどこか重い腰を持ち上げたのだった。


ああ、ヤダヤダ。


*


 広い大陸の端っこにひっそりと位置する小さな村の、さらに端の端、人の気配を一切感じない深い森の中。

かねてより懸念の障害を前にして、全身の倦怠感と気力の低迷具合はピークへ到達。

目の前にそびえ立つ巨木に螺旋階段の入口、そして。

そしてここから遥か上空、幹をくり抜くように造られた一軒の小屋。

勝手に「ツリーハウス」とでも呼ぶようにしているその建造物に、彼はやっとの思いで訪ねてきたのだ。

いつか、あいつが言っていた。

『あ? これしきのモンでなに泣き言吐いてんだよ、情けねぇな』

――法術科学校何階分だと思ってるんだ。

『ん~、ならアレだ。飛べばいいじゃん。とりあえず。楽じゃね?』

――鳥なのか! 鳥に成れってか!


必死の懇願も実を結ばず、今日も半泣きでステップを踏みしめるほか無い。


*


 先程からカタカタ笑いっ放しの足を引き摺り、ようよう扉を押し開けたところで、

「……うっ! ……ぐぇぇ」

鼻の粘膜ごと突き上げるような刺激臭。

軽く吹っ飛びかけた意識の奥で、この異臭の大元の推測をどこか冷静に立ててみる。

辺りを見廻し、それが案外的外れでは無い事を確認してから、

「よお、コノハ。遅か」

ダッシュでもと来た道を駆け下りようと試みる。掛けられた声も完全スルー。

「オイ待てコラ」

――しかしそうは問屋が卸さず、はずもなく、敢え無くがっしりと両肩を掴まれてしまう。

「……今度は一体なんなのさ、姉さん」

「まあそう嫌そうな顔をするな。丁度完成したところだぜ」

爽やかな笑みとは裏腹、凄まじい力で少年の肩に指を食い込ませている。

その、一見少女にも見紛う程に小柄な体躯の、彼女こそが。

最早、村中の伝説にすら成りかけている"魔女"の実態であった。


*


 ぶかぶかの白衣をやたらと堂々着こなし、魔女というよりは「カガクシャ」の如き出で立ち。

零れ落ちるように背中まで垂れた明るい栗色の髪を、小さな顔の斜め上で片側だけ団子にしている。

見目可愛らしいその人は、少年 ――コノハの姉であり、名をアルルカ、という。

その身内にいまだ肩を握り潰され中のコノハの目線は、姉の姿ではなく、さらに向こう側へと。

「そ、れで……このニオイは何な、んだ……!」

余りの異臭と鈍い痛みの二重苦で途切れ途切れの声を聴き、ようやくアルルカは弟の身体を開放しつつ、

「え、何って……ああ、そういえばまだ言ってなかったっけか」

悪びれもせず、話題を右から左へ。

「まあまあまあ……。一々説明するより、ブツを見せたほうが早ぇな」

コイツを見やがれ!と、彼女は白衣のポケットに手を突っ込み、弄り、何やら小さなものを取り出した。

目の前に突き付けられた「ブツ」に、一瞬の間を置き、コノハの口が半開きになったのち、停止する。


それは、一つの小瓶だった。

丁寧に形づくられたガラスの中に、よく見ないと気付かない位に澄んだ、輝くような液体。

「もしかして、『エリスの涙』……?」

神妙な様子の言葉を聞いて、アルルカは満足げに頷いてみせた。

「探すのにも一苦労だったさ。知り合いにアテが無かったら手に入らなかっただろうよ」

"エリスの涙"は、幾重もの術式を透過させて高濃度の元素を帯びた"滴"を、更に特殊な技法を駆使し昇華させて作られる。

精神滋養・強壮の効果を向上させる性質を持つが、量を生産することが出来ず、非常に珍しく高価な物なのだ。

「でもなんで、わざわざこんなものを?」

コノハの至極当然な問いに、対するアルルカは平然と応えてみせる。

「そりゃ調合に使うにきまってるだろ。今度はマンドラゴラをベースにして、より効力を増幅させたポーションの開発をしてんだよ。市販の上級法力薬なんざしょぼすぎて話にならねぇからな」

よく言うよ、自分はポーションなんか必要ないくせに ―口には出さず、心中だけで不平を漏らしていたコノハの脳裏に。

ふと、新たな疑問が顔を出した。


「……ていうか、マンドラゴラって確か上級法力薬の原料じゃなかったっけ?」

マンドラゴラはここら辺では比較的ポピュラーな素材で、あらゆる方法で用いられてはいるが、然程大きな効能は無かった筈なのだが。

するとアルルカは「チッチッ」とその問いを軽くいなし、

「甘いな。持ってきてやるから待ってろ」

それだけ言うと、クルリ、と彼に背中を向ける。

そんな姉の様子をコノハは怪訝そうな目で見つめていたが、直後。

「あれ? え、えぇぇ!?」

見慣れているはずのそれが、明らかに異様な雰囲気を醸し出していた。

まず、デカイ。

標準的な大きさが精々20cmやそこらなのに関わらず、目の前のソイツは軽く二倍を超えている。

そしてだ。

「な、何か生えてるし……」

根元の球根のあたり、手足のようなものまで窺える。

行き過ぎたインパクトをまんま表現したコノハに対し、しかし謎の物体を手に握ったアルルカは、さも当たり前の様にいけしゃあしゃあと言ってのけるのだ。

「こいつをその辺で売ってるヒョロヒョロと一緒にすんじゃねぇぞ。なんせこの森の果ての秘境地さいはてまで行って、自ら探し当ててきたんだからな」

――要するに、ちょいとここから奥を覗けば、コイツが山積みになって蠢いてるわけか。

なるほど、考えたくも無い光景だ。

「効能もすげぇ。詳しく調べてはないが、通常の五倍は下らんからな。さらにこの『エリスの涙』を一滴垂らせば、たちまちさらに約二倍……ほら、合わせて幾らだ?」

「えっ……じゅ、十倍かな?」

口に出すのも恐ろしいながら、一応は答えてみたのだが。


アルルカは、今度は三度。

人差し指を左右にピコピコと動かして見せ、

「違う。その他諸々、我流ブレンドを加えてやった。まさに私の腕の見せ所だろう?まあ十五……いや、二十倍は堅いなぁ……クヒヒッ」

「それ、逆に物凄く危ないんじゃないかな、姉さん」

コノハはさりげなく一歩、二歩と距離を取りつつ。

どうか実験台だけは思い留まってくれ、と ――割と真剣まじに、視えもしない神々への祈りを、捧げていた。



**



 法術科学校では通常の授業の他に、大きく分けて三つ、固有の実習授業が行われている。

一つに、調合学だ。

素材ごとの特性や、留意すべき点についての座学などが主ではあるが、各自が簡単な調合に触れる機会も少なくはない。

その、より高度なものが錬金実習である。

火力或いは化学反応のみを利用する調合とは異なり、錬金は術式の構築を必要とする。

つまるところ、多くの場合で術式を透過させる行程を経る事に因るわけだ。

例を揚げれば、"エリスの涙"の製造がこれにあたる。

錬金実習は現在、最上級生である六年生に対してのみ実施されているのだが、その理由が最後の一つ、術式演習にある。

時に危険を伴う授業に際し、下級生には基礎的な術式の作法が徹底的に叩き込まれるのだ。


将来に有望な"魔術士"を育成する、という目的を掲げた、法術科学校。

しかしながら、特筆すべき点といって、大体こんなものだ。


*


 「……【刀剣ブレイド】…………〈イーケ〉……【拡散ショット】…………〈フィア〉……【小規模タイニィ】…………」

周囲には到底聞こえないであろう、極々小さな声で呟きつづける。

なおかつ、左手に持ったペンは、サラサラとかなりの勢いで線を浮かび上がらせる。

描かれているのは、術式だ。

机に拡げられた用紙には文字式の羅列、手もとには薄い板状のモノ。

設問に従い式を描き込んでは消え、またペンを走らせてを繰り返している。


太陽が半ば傾いたころ、術式演習の試験が行われていた。

試験に使用されている道具は、本来、実戦時の魔法詠唱に用いられる物だ。

"リ・スキルペン"という名称のそれで、"魔導プレート"に描きだし術式を構築する。

先ず、"元素エレメント"の属性値を示す。

場合に応じて"特性アビリティ"の文字式を付加させる。

最後に、《魔術》の"範囲サークル"を指定して完成だ。

あとは術式を発動しさえすれば、それらを反映した《魔術》が現れる仕組みになっているのだ。

《魔術》の詠唱に不可欠な魔導具には、主に二つの役割がある。

術式の構築と、エネルギーの変換だ。

《魔術》の基となる"法力"は、術者の"精神力"を魔導具を介し、変換することで作り出される。

ちなみに、数ある魔導具の内でも特にビギナー向けである"魔導プレート"および"リ・スキルペン"は、詠唱時に於いて付加できる特性が限られている代わりに、この「エネルギー変換」の際に消費する精神力を半減させる能力を持つ代物だ。

もっとも、試験に使われているのはエネルギー変換機能の備わらない「模擬用」に過ぎないのだが。


しばらくの間滞ることを知らず、線と図形をなぞり続けていたコノハの左腕が、ふとその動きを止める。

最後に描き込んだ術式が消滅するのと同時、それまでマネキンか何かの様に教卓に陣取っていた教師が、

「……6分38秒」

やけに機械的、それだけ言うと再び石のような沈黙を保ち始める。

周囲に微かなざわめきが巻き起こるが、コノハは意にも介さない。

荷物を簡単にまとめ、さっさと教室を後にする。

こんな所でノロノロやっている暇など、ある訳も無かった。

全ては、ご丁寧にも姉が持ってきて下さった、それはそれは面倒な『仕事』のお蔭だ。


そう言わずに、何と言えと。



**



 不意にアルルカが、こんな事を持ち掛けてきたのだった。

とある依頼を受けているんだが、やってみる気はないか、と。

「というかやれよ。拒否権は没収な」

「えぇ……」

向かいに座っている姉のあまりの言い草に戦慄を覚えつつ、不可解な点に一つ、探りを入れる。

「というか姉さん、いつからそんな便利屋紛いなことを……?」

他人からの依頼を快く承諾するなど。

もとい、他人の事情に少しでも関わろうとするなどと、この人間にあるまじき行為の最たる位置に値するというのに。

そんなコノハの気も知らず、あくまでアルルカは平然と、ナチュラルにふてぶてしい態度。

「んなわけねぇだろ。誰が好き好んでそんなモン聞くかっての」

それもそうだ、と納得しかけ。

「いやいや、だったら何で」

「だーかーら! ……色々アレで断り辛い時だってあんだよ」

――え?

またしても余りに似つかわしくない発言に、コノハは訝しげに顔をしかめて見せる。

しかしながらよく聞いてみれば、アルルカの言い分はこうだ。

「その、依頼者っていうのがな、この間の『エリスの涙』云々で良いようにしてくれた奴でさ。それにまぁ、割とマジに困ってるみたいだったからなー」

――なぜその流れで、僕に回されるのだろうか。

「じゃあ自分でやればいいじゃんか……」

ついそんな独語を漏らし、しまった! と慌てて口元を押さえる。

が、時すでに遅し、

「……んだって?」

覆水盆に還らず。

瞬く間にアルルカの顔が憎々しげに歪む様を、コノハは確かに見た。

「……武器も魔法もロクに使えないか弱い姉貴に向かってそんな事を言いやがるような弟を持った覚えは無いんだがなぁ……?」

鋭く目を細め。

いつの間にか右手に握り締めたフォークを、その切っ先を、ゆっくりとこちらに向ける。

視えすらしそうな程に湧き上がる理不尽な殺意をひしひしと感じ、コノハは思わず身を竦めた。

どこか冷静に、蛇に睨まれた蛙の如きとは言いえて妙だな、とも。

一刻も早く弁解を行わねばと、やっとの思いで吐き出した言葉が。

「わ、分かった! やるやる、やるからそれ下ろして!!」


派手に選択を早まったものだ。

直後、己の過ちに気付き辟易とした表情を滲ませるコノハと、それに反比例させるかの様に態度を一転、にっこりと笑みを浮かべてみせるアルルカ。

そんな二人の様子が、悲しいほどに対称的で。


*


 「そいつ」はここ最近、村の上空に度々姿を現すという。

勢い良く降下してきては、時に家畜を殺し、また時には果実樹をダメにする。

襲われて怪我を負った者まで出てきた現状、看過できるものでは到底なかった。

一見して巨大な鴉の様な風貌の「そいつ」は、名を『フロブル・クロウ』というらしい。

全長は二メートル超え、真っ青な体毛に覆われ。

疾風を切って翔びまわる姿から付けられたそう、なのだが。

この姉が言うには「全然大した事ぁねーよ」らしいのだが。

「やっぱそれって、結構ヤバそうなんだけど……」

話を聞く限りではとてもどうにか出来そうにない、と声を大にして言ってやりたいコノハの心の叫びも、アルルカはどうも斟酌するつもりは無いらしい。

「あーいじょぶだって。まぁ群れだと確かにまずいかもだけど、今回はソロだぜ? それに、とっておきの魔導具だって持たせてやる。ここまで言ってんだ、いい加減男ならハラ括れ」

――いや、アレは使いこなせる気がしないのだが……。

不安は絶えず、臆病風の吹き抜ける脳をじりじりと苛む。

グダグダと一向に煮え切らない態度のコノハにとどめとばかり、アルルカは手元の平皿をチン、とフォークで弾いて見せ、

「お前がさっき食ってたハムステーキは、一体何のお肉でしょうか?」



**



 「卑怯だ……」

人間、ああもキレイに丸め込まれてしまうモノなのだろうか。

やはりあの姉には、一生掛けようと敵うとは思えない。


己の不甲斐なさを独り反芻しつつ進んでいくうちに、あまり見慣れない風景が目立ち出した。

視界に飛び込んでくるのは、深緑、若草色。

濃淡鮮やかな自然の彩りだ。

眼下一帯に広がる巨大な畑の群には小麦が風にそよぎ、涼しげな音を響かせる。

ぼんやりと霞がかった遠い山際は、蒼みを交えてすら見える翡翠色を示し。

こうして眺める分には、特には被害など見受けられないのだが。

だがしかし、歩を進めるにつれ、それが早計だったと思い知らされる。

「……!」

最初に目を引いたのは、妙な形状に大きく抉られた地面。

そこから続いていくおぞましい足跡の線。

辿っていく先に、コノハは見つけてしまった。

「ひっ……」

酷い、とだけ零し、無意識に目を逸らす。

喰い散らかされていた、そうとでも表す以外には無かった。

腹を食い破られ、転がった死骸が、幾つも、いくつも。

目を背けたままふと周囲を見渡せば、これだけでは済まないことも知る。

甘い果実を実らせていたはずの幾本もの樹木は叩き折られ地に伏し、実の一つはおろか、葉の一枚すら残ってはいなかった。

すぐ側には、もとは民家だったであろう木片とガレキの残骸。

悪魔の手にかけられたと思しき惨状が、遠く近く、あちらこちらに点在しているのだ。

その中心。

空き地とでもいうべきか、草の生い茂る広い空間にコノハは佇んでいた。

動かずに、目を閉じただ刻々と。

何故なら、既に気付いていたから。


*


 風の流れが変わった、と感じたのは、殆ど直感に近い。

ゆっくりと瞼を持ち上げ、自らの前方を窺う。

そこには、何も存在しなかった。

いつも通りの景色こそ在るものの、それは何も無い事と即ち同義だ。

それでも虚空を耽々と見据え、両拳を強く握る。

一糸の乱れすらない、整然とした呼吸を繰り返した。


突如、上体を大きく捻り、姿勢を低く落とし込む。

瞬刻の後に頬を掠めたのは、なにか鋭利なもの。

覆いかぶさるように全身を染める影に隠れ、彼の表情はわからないままに、

ただ、聴こえたのは。

「見つけた」


コノハの身体のすぐ隣を、悪魔は勢いに任せて滑るように抜けていく。

再び上空へと昇るやいなや方向転換、眼下のコノハを鋭く睨みつける。

瞳孔はひどく細く、独特の光を放つ眼。

アルルカから聞いた話によれば、あのガラス質の眼球はかなり貴重な素材になり、今後の研究にも重宝するとの事だった。

その割には、彼女がこの『フロブル・クロウ』に求めている物は、「なにより肉が美味い! 」

……食料第一主義、のようでもあったが。

改めてとばかり、コノハはその獲物を見る眼差しに、睨み返す。

恐ろしく逆立った羽、深く反り返った漆黒のくちばし、鉄扉を以てしても安易に引き裂いてしまいそうに長く尖った両脚の爪。

なるほど、「怪鳥」と呼称される所以だろうか。

顎まで細く垂れた血をおもむろに拭いながらも極めて冷静、視線を外すことはない。


束の間の対峙、その沈黙を破ったのはコノハだった。

素早くプレートを取り出し、尋常から外れた速度で術式を描き始めた。

尚も向かい合った鴉は動かない。

プレートが淡い光を放ち、術式を激しく回転させる。

《魔術》の詠唱をもって、先手を打った。

「《フィア=ショット=タイニス》……!」

途端に、開かれたままのコノハの口から、小さな火焔が生みだされる。

プレートの輝きは格段に増し、煌めく珠はゆっくりと膨らみ続ける。


拡散ショット】の能力を秘めた、〈フィア〉の造形だ。


*


 断続的に爆発音が響き渡り、続いてガラスのはじけ飛ぶような甲高い音色。

目を眩ませる硝煙の中で面を突き合わせ、コノハは相手の動作を読み、身構える。

白く巻き上がる煙の壁が四散した。

一斉に薄れた障害物の向かい側、翼を広げた影が形を成し、黒々とした嘴が勢いよく顔を出して。

捨て身の低空飛行ダイブを、地に手を付きすんでの所でかわす。

崩れた体勢を何とか立て直し、苦しげに一度、大きく息を吐いた。

――魔法が、効かないというのか……?

《拡散の炎》で目標を惑わせ、《麻痺の雷》で動きを封じ。

そして《刀剣の氷》で一息に斬って……一丁前に策略など案じていたと言うのに。

放った魔法は全て命中させたにも関わらず、『フロブル・クロウ』は炎や雷になど少しも動じず、氷の剣は粉々に砕かれてしまって。

挙句には一瞬で平常を取り戻し、視界の潰された中を猛然と、かつ正確に体当たりを仕掛けてきた。

やはり、初級魔導具では分が悪すぎるか。

そう考え、コノハは背中に忍ばせていた『秘密兵器』へと手を伸ばす。

すらっと真っ直ぐに伸びたそれは、牧杖バクルスにも似た形状をしていた。

コノハが手にしている ―アルルカが出発前に持たせたそれは、『マナルカ・スティッキ』と呼ばれる、上級者用の魔導具であり、使う《魔術》の特性、範囲についての制限が解除される代わりに、必然的に術者への負担は多大なものになる。

当然、とび抜けて優秀とはいえ、法術科学校で基礎的な修練を積んでいる身であるコノハが使って良い代物ではないのだが。

「ここで殺されるよりは、絶対にマシだろうさ」

言うが早いか、コノハは流れるような動きで、身の丈に余るような長さの杖をあっさりと構えてみせる。

そうしている間にも、『フロブル・クロウ』は滑空しつつの方向転換、次の攻撃へと移行し始めている。

「あまり暇もくれなさそうだしな……これで終わらせよう」

誰に言うのでもなく、淡々と呟いた。


そして、術式を ―先程までとは比較にならない大きさで、描く。

「《ガーエン=ブレイド=ミディアス》」


*


 まばゆい光に包まれた杖がパキパキと音を立て、その形状を変化させていく。

すぐにそれは、無骨な印象を受ける大剣へと、姿を変えた。

刃の表面には太いツタのような物が巻きつき、その刀身を更に巨大化させる。

その時コノハの両眼は、今にも飛び掛かってくるであろう鴉だけを、じっと見据えていた。


方向を立て直しまっすぐに向かってくる『フロブル・クロウ』に対し、コノハは両手で掴んだ大剣の切先を突きつける。

ただ、それだけで。

空を裂くように伸ばされたツタが鴉の肢体に絡みつき、動きを完全に封じる。

勢いを殺す。

ツタはまるで生物の様に蠢き、巨体をいとも簡単にコノハの手元まで引き寄せた。

そしてコノハは、空間を薙いだ。

伸びたツタごと一閃、続けてもう一振り。

二度の斬撃に見舞われ、夥しい量の羽毛が宙を舞う。

ガーエン〉の元素を帯びた剣は、自然の摂理さえ捩じ曲げてしまうのだ。

例え生長速度であったとしても、例え知能と自律力を持たせる事であったとしても。


しかし、仕留めたとばかり思っていた怪鳥は、息も絶え絶えなのにも関わらず。

左右へと大きくブレながら、それでも上空へと羽ばたこうとする。

「な……逃げる気か!?」

慌てて後を追おうと試みるが、そいつはすでに手の届かない高度へと上昇している。

ならば撃ち墜としてやるとばかり、再び術式を描こうとした所で。

異変を肌で感じ取り、もう一度『フロブル・クロウ』に目を向けた。


先端の欠けた嘴に、青白い炎が宿っている。

うっすらと儚く、しかし徐々にその力は増していく。

その奇妙な行動に、コノハは確かに覚えがあった。

――先日の、ツリーハウスでの会話だ。

アルルカは僕に、なんと忠告をしていたか。

『まぁ大した奴じゃねえけどよ、ひとつ言っておくなら』

『……ブレスだけには、気を付けといた方が良いかもな』

『なんかこう、青白い炎をさ、ブワッと』

『あ、でも滅多に撃ってこないから心配そうな顔すんなって――』

――姉貴、まさに今放たれようとしているワケだが。


段々と、纏った炎の渦は威圧感を増す。

聞き取れないほどの高音で、奇声をあげる。

この分だと、ブレスの完成までそう時間はかからないだろう。

「クソ、このままじゃ……」

考えて考えて、そしてコノハは、まず魔法を解いた。

細長い杖の形を取り戻した魔導具を、自らの前方に構える。

――望んでないとはいえ、この依頼を受けた時点で危険な目に遭うことは覚悟していた筈だ。

――だったら今さら、リスクを負うなんてこと、知った事か。

上に、下に、右に、左に、振り回し続ける。

先端から生み出される術式は、異様だった。

元素も特性も、何もかもが見るからに異質だった。

光を放つ。

術式と一緒に、魔導具と共に、コノハ自身が強い光を放つ。

『無干渉を統べる〈無〉の元素は、如何なる魔力をも拒絶する』

それも、アルルカから遠い昔、聞いた事だった。

如何なる魔力をも、拒絶する――

学校では教わることの決して無い、特殊な"元素エレメント"。

なぜ、そんな力が僕なんかに備わっているのか。

答えは未だ、知らないのだけれど。


コノハが詠唱を行うよりも僅かに早く、『フロブル・クロウ』はブレスを放つ。

蒼白色の焔渦は酸素を燃やし、大気をかき分けコノハを襲う。

――頼む、間に合ってくれ……!

「《ディスペル=リコード》――」

炎は、目と鼻の先。

信じられない程の高温を、妙に長い間感じていたような錯覚をした。


*


 急激に、失われていく。

温度が、魔力が全部。

初めて見る魔法に、コノハは目を奪われた。

身体を包む球体、薄いベール。

その周囲全体に青白い炎がまとわり、輝いている。

魔力の影響こそ遮断されたが、ブレス自体はまだ生きていた。

それは、コノハが敢えて【消滅イグジス】ではなく、より多くの法力を費やす【保持リ・コード】の能力を付加したからだ。

理由は、「防御」を「攻撃」へとシフトするため。

――頭では理解していても、慣れるものではないが。


《魔術》の連発と無茶な使い方のせいで、コノハの気力は限界に達していた。

膝はふらつき、目の前が軽く霞んで見える。

それでも、終わらせなくてはいけなかった。

約束をしたならば、果たさなくてはいけなかった。

グッ、と地面を踏み締め、新たな術式を構築する。

すでに魔法は発動しているというのに、重ねて特性を描き加えようとする。

無干渉の定義は、消し去る事だけでも、受け流す事だけでもない。

思いっ切り、突き返してやればいい。

反射リフレクト】を、術式へと描き足す。


止まったままだった《魔術》が動き出す。

うすく青の交じった色の火炎は、純白のそれへと塗り替えられる。

繋がりはじめた魔力の流れが、一点へと集中する。

最後の力を余さず、コノハは杖を大きく振りかぶった。

「いっ、けええぇぇぇぇ!!!」

目に焼き付く程の強烈な閃光を生み、《魔術》の全てが放たれ。

軌道の行方を追うその前に、膝をつき、崩れおちた。



コノハの意識は、暗転して。



**



 倒れた僕をずっと背負ってくれていたのは、姉さんだった。

長い道のりを文句の一つも言わずに運んでくれたのは、姉さんだった。

のちに知ったことだが、送り出した後でどうにも心配になり、こっそりとつけて来たらしい。

どうせなら手助けしてくれればいいのに、だとか。

それは無理か、だとか考えながら。

僕は、そんな姉の事が。


その時についでとばかり、僕は姉さんに尋ねてみた。

僕だけが使える〈無〉魔法の真相について。

でも姉さんは首を二、三度横に振ると、さぁな、私は知らないよ、と素っ気なく言って見せた。

それと、でもお前が生まれた時にはすぐに見抜いた、とも。

僕が生まれた当時は、姉さんはまだ10歳やそこらだったはずなのに。

やはりこの姉には、頭が上がらないや、としみじみ感じた。

僕は、そんな姉の事が。


少しばかり無茶をした僕は、あの日から一週間ほど入院していた。

どこからか入り込む罪悪感に、ちょっとだけきまり悪かったけれど。

たまに顔を出した姉さんが、いつかの特製ポーションを意地でも飲ませようとするのを必死にかわしながら、それでも、そんなちいさな優しさに触れて。

心地よさにあてられて、奥深くの方ではっきりと。


――やっぱり僕は、そんな姉さんの事が、大好きだ。


*


 「……じゃあ、任務はきちんと達成できたんだね」

アルルカからの報告を聞き、コノハはほっと胸を撫でおろす。

「ああ、確認も取ったらしい。是非とも感謝の気持ちを伝えて欲しいって言われたよ」

――色々あったけれど、喜んで貰えたなら何よりだ。

とそこで、背中を向けていたアルルカがくるり、とコノハの方を向き直り、

「だから、私からの分もまとめて礼をしなきゃ、だな」

眩しいほどの、包み込むような笑みを浮かべてみせる。

「ありがとな」

――……!!

珍しく殊勝なアルルカのそんな仕草に、コノハは思わず頬を赤く染める。

断じて、照れている訳ではない。

「い、いやまぁ、別に仕方なくやっただけで――」

「しかぁぁぁし!!」

「最後まで言わせてよ!?」

コノハのささやかな反論もシャットアウト。

アルルカは眉を顰め目を細め、気難しげな表情に。

「それとこれとは話が別だ。貴重な素材である眼― いや、この際そんなものはいい。それよりも、だ。折角の上質な肉を木端微塵に爆散させた罪は重いぞ」

「や、だからそれは――」

「黙らっしゃい! 言い訳無用!! ……そうだな、あと三時間。そこでずっと正座してろ!」

――もう何を言っても無駄だろうな。

経験でそう悟り、下されたあんまりな仕打ちに。

コノハはまた一つ、大きくため息を吐いた。



**



 今でも想いが揺らぐことはない。

きっとこの先も、そんな事はあり得ないだろう。


僕の愛した、こんな日常が。

ずっとずっと、永遠に、続いていけば。

心の底から、それが一番の幸せのカタチだと信じられる。




***




 『ここに記したことは、ほんの些細な ――本当に小さな小さなものだ。

これは最初の"ページ"に過ぎず、今も尚、《魔導書》は白く染め上げられている。

ここから先あらゆる"事実"が書き込まれ、時を経て紡がれる"物語"は如何なる"奇蹟"に繋がっていくのだろうか?

それは誰にもわかる事ではないし、また分かることがあってはならないだろう。

 

しかし、《魔法》がここに深く息衝いているのは明確であり、未来永劫絶たれる時は無いとすら思っている。

だからこそ私はここに座し、"物語"を結末まで見届けるつもりだ。

《魔術》とその"遣い手"が紡ぎだす"奇蹟"、そして必然の"絶望"を目の当たりにする事さえ。

――今から楽しみで堪らないのだよ。』



         '神の加護が在ったとしたら'


-We don't know the value of the happiness until we lose it.-




Fin,


To be...?


今までで一番頑張った……。

「To be...?」とか書いちゃってますが、たぶん続きません。


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