16. 迷い
結局、奈々子は元彼の蒼太に会うことを決めた。ただ会うだけであれば、何も気にしなくていいはずだ。
平日の仕事終わり――よく二人で行っていた居酒屋の前で待ち合わせる。
「奈々子、久しぶり」
「蒼太さん……こんばんは」
今、蒼太は開発部門にいるため、社内でも顔を合わせることはない。久しぶりに見る彼は相変わらず爽やかであった。
店に入り、適当に注文してから蒼太が話し出す。
「元気にしてた?」
「うん、少し忙しいけど」
久しぶりすぎて何を話せばいいのかわからない奈々子である。すると、彼が頭を下げて申し訳なさそうに言った。
「奈々子……あの時は悪かったよ」
「……」
胸がえぐられるぐらい辛い。急に別れを告げられて、一年ものあいだ立ち直れなかったことを思い出す。
「それが言いたかったの?」
「……あの子に熱心に迫られて、断りきれなかった」
「そういうところ、変わらないね……蒼太さんは」
飲み物や食事がテーブルに運ばれてきた。奈々子は冷たいジンジャーエールを口にしながら、蒼太のほうを見つめる。
「気づいたんだ……僕が未熟者だった。君と一緒に過ごしたことがどうしても忘れられなくて……もう一度やり直さないか?」
――まさかそんなことを言われるとは。
奈々子は蒼太とのことを振り返る。就職後、目の前の仕事でいっぱいいっぱいで、失敗した時にフォローしてくれたのが蒼太だった。優しい笑顔にホッとしたことを覚えている。
先輩後輩の関係が長かったが、ある日彼から告白された。当時は恋愛や結婚ができそうといった嬉しさで、彼以外のことが見えていなかったように思う。
だけど今の私には――哲郎さんがいる。
「私、付き合っている人がいるの」
「え……」
蒼太が驚きの表情を見せる。まだ奈々子は自分に未練があるとでも思っていたのだろうか。彼はビールを一気に飲んで息をつく。
「そうか……」
「もう彼とは一緒に住んでる」
「結婚するのか?」
その言葉を聞いて奈々子はふと考える。結婚なんて考えたことがなかった。自分たちのペースでいいと思っていたが、将来的にはどうしたいのだろうか。
「……彼とは二十くらい離れてて……それに……彼にとっては二度目の結婚になる」
「バツイチか」
「……」
何かを理解したかのように蒼太が言う。
「ちょっと意地悪なことを言うけどさ」
「何?」
「年上のバツイチ男性って……将来、パートナーに介護とか求めがちだよ。君の彼がそうだとは限らないけど……もし、そうだったらって考えたことある?」
「え?」
奈々子は言葉を失い、小さくうつむいた。
“介護”なんて、考えたこともなかった。
そんなことを彼に求められる日が来るのだろうか――?
「年齢が離れているってことは……そういうことも考えなきゃいけないと思う」
「……」
「それでいいの? 僕なら一緒に歳を重ねていける」
奈々子は何も言えなくなってしまった。もしかすると考えることから逃げていたのかもしれない。哲郎の良い所しか見えていなかったような気もする。
でも――
どうしても哲郎をそういう風には思いたくなかった。それ以上に彼のことが好きなのだから。
「僕は……奈々子を待ってるから」
蒼太が真剣な表情なので、奈々子にはすぐに断ることができなかった。
※※※
「ただいま」
「おかえり……奈々子」
風呂から上がった哲郎が玄関まで来てくれた。
「て……哲郎さん……!」
奈々子は力が抜けたように哲郎の胸に飛び込んだ。
「どうしたんだ? 奈々子」
「……」
奈々子はリビングのソファに座る。哲郎が麦茶を持ってきてくれた。
「……」
「……」
しばらく黙ったままの奈々子だったが、ようやく口を開いた。
「元カレから、よりを戻さないかって言われて」
「……そうか」
哲郎が低い声で頷く。
「あのさ……哲郎さんは……」
二人の将来のことを考えているのか聞きたかったのに、言葉に詰まってしまう。もし、哲郎がそこまで考えていなかったら……と思うと胸が痛む奈々子。
「奈々子、俺はさ」
哲郎が奈々子の目を見つめる。
「俺みたいなおじさんよりも、同年代の彼の方が一緒に過ごせる時間も長いかな、とは思う」
それは哲郎なりの気遣いのつもりだったが、奈々子にとっては心にぽっかり穴が空いたように感じた。
「哲郎さんは……私には元カレの方がいいって思ってるの?」
「それは……」
同じように哲郎も言葉を詰まらせる。
彼が困っている……私はどうしたいのだろう。
「……ごめんなさい。お風呂入るね」
奈々子はそう言って去っていく。哲郎は彼女の後ろ姿を眺めることしかできなかった。
「俺だって……奈々子と一緒にいたいのにな」
一人でつぶやく声だけが、リビングに寂しく響いている。すれ違う想いが時間に溶けていくようで――彼女のいない部屋の静けさが、哲郎には少しだけ堪えた。




