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15. 寂しさ

 奈々子がいつものように小説投稿サイトを眺めていると、新たなコンテストの募集を見つけた。異世界恋愛小説とあり、ちょうど今執筆しているものが応募基準を満たしている。


「これ、やってみようかな。えーと……七万字以上ということは、もうすぐ達成しそう」

 大賞に選ばれると書籍化が確定するらしく、去年の受賞作も紹介されていた。興味を引かれてクリックしてみると、独自性と文章力に圧倒された。


「やっぱり難しそうだな……こんな作品ばかりなのかも」

「奈々子、どうした?」

 哲郎がコーヒーを持ってきてくれた。


「あ……このコンテスト応募してみようと思ったんだけど自信なくて」

「どれどれ……異世界恋愛小説か。まずは応募してみることも大切だと思うが」

「そっか。チャレンジすることに意義があるもんね」

 奈々子はコーヒーを飲んでふぅと息を吐く。


「それにモチベーションの維持にもなる。公募勢はこのために書いているからな」

「確かに。こういうイベントがあるから書こうっていう人もいるよね」

 

「きっと……奈々子の作品を読んでくれる人も増えるよ」

 哲郎に耳元でそっと囁かれて、胸の奥が熱くなる。


「そう言われるとドキドキしてきちゃった」

「フフ……」



 ※※※



 二回目のレッスンの日となった。

 ジリジリと照りつける太陽に蝉の声。夏本番の暑さに受講生たちは歩いてくるだけで疲れている様子だ。


「はぁ暑いわね……」と言いながら城之内さんが教室に入る。いつも奈々子が先に来ていて涼しげなので、不思議に思っていた。まるで最初からこの部屋にいるようだ。


「葉桜さんって……どのあたりに住んでいるの?」

「あ、こ……この近くです」

「ふぅん」

 奈々子は次回から少し遅めに教室に入ろうかと思っていた。


「では今日のレッスンを始めます」と哲郎が言う。

 まずは小説の基礎をおさらい。その後、男子高校生の木原くんが続きを書いてきた冒険ファンタジーをみんなで読んでいった。主人公の成長が丁寧に描かれている。


「仲間を助けようとする場面にぐっときました」

 感想を口にしたのは、城之内さんだった。彼女の言葉に、木原くんはほっとしたような表情となる。


「ありがとうございます。でも、戦闘シーンはうまく書けてるか自信がなくて……」と木原くん。


 そこで哲郎が口を開いた。

「戦闘シーンそのものはまだ粗削りだけど、読者が共感できるのは“剣を振るう理由”の方だな。誰のために戦っているか、どうしてそこまで必死になれるのか。木原くんはそこをちゃんと書けている。それが読者の心を動かすんだ」


 彼の落ち着いた声に、場が少し和んだ。受講生たちはそれぞれ感想を述べ合い、物語をどうすればもっと面白くできるかを語り合っていく。


 ノートを取りながら、奈々子は小さく頷いた。

 やっぱり人の作品を読むのは勉強になる。自分も理由や根拠をしっかり考えていこうと思っていた。

 

 レッスンが終わり、みんなが机の上の原稿やノートを片づけ始めた。

「今日もありがとうございました」

 受講生たちが順に声をかけ、軽く会釈して帰っていく。


 奈々子もノートを閉じ、鞄にしまいかけたそのとき――

「哲郎先生、少しいいですか?」

 城之内さんが、当然のように哲郎の方へ歩み寄った。


 彼女は原稿を抱えながら身を寄せる。

「ここの表現、どう直したらいいのか分からなくて……」

 彼女は肩が触れそうな距離で、哲郎の横顔を覗き込んでいる。


「そうだな……」

 哲郎はペンを取り、彼女の原稿にさらさらと書き込みを始めた。落ち着いた声が耳元に響くたび、城之内さんは嬉しそうに相槌を打つ。


 ――近い。

 奈々子は立ち尽くした。まるで二人だけの世界に入り込んでいるようで、声をかけることもできない。夏の熱気よりも、胸のざわめきのほうが強く感じられた。


 城之内さんも帰って教室には奈々子と哲郎の二人だけとなった。

「……哲郎さん、さっきの城之内さんと話してるとき……近いなって思っちゃった」


 自分でも子どもっぽいと分かっている。けれど胸のざわつきは抑えられず、つい口から漏れた。


 哲郎は驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。

「気づいてたのか」

 そして奈々子の隣に立つと、彼女の肩にそっと手を添える。

「でも、誤解しなくていい。僕が一番気にしてるのは、城之内さんじゃなくて……君の顔色だ」


「……哲郎さん」

 耳まで熱くなる。けれど安心と嬉しさが心に広がっていった。


「授業の時はどうしても全員に向き合わなきゃいけないが、終わったら一番に話したいのは奈々子なんだ」

 そう言って、彼は人目のない教室でそっと奈々子の手を握った。


「嬉しい……哲郎さん」

「奈々子……」

 二人の唇が近づこうとしたその時――奈々子のスマホが鳴る。

 画面には「矢崎蒼太(あおた)」の文字。


「……っ」

「奈々子……?」

「あ……ごめん哲郎さん、ちょっとメッセージ見てくるね」

 奈々子は慌てて自分の部屋に小走りで向かう。


 矢崎碧太――彼は、奈々子が二十七歳から二十九歳の間の二年間、職場恋愛をしていた相手。彼女の先輩にあたり、営業部のエースだった。クリスマスの時に他の子が好きになったと言われて別れを切り出されたが、そこから一年以上経過した今、急に連絡をしてくるとは。


 メッセージは『久しぶりに会わない?』というものだった。

 数秒見つめたまま、奈々子はスマホを伏せた。

 どうして今になって……。でも、彼のことを完全に忘れることはできなかった。

 ――ほんの少しだけ、会ってもいいと思ってしまった。


 彼女の様子がおかしいことに気づいた哲郎が心配して来てくれた。

「あ……哲郎さん……」

「どうか……したのか?」

「……元カレから“会わないか”って連絡があったの」


 哲郎の顔色が変わる。

「奈々子は……どうしたい?」

「それは……」

「……」

「……」


 長い沈黙の後に、哲郎が口を開いた。

「奈々子……自分の気持ちに嘘をつくと辛くなる。俺のことは気にしなくていいから……会ってもいいんじゃないか?」

「え……」

 それだけ言って哲郎は行ってしまった。

 

「哲郎さん……私が彼に会ってもいいんだ」

 

 実際に元彼に会おうか迷ってはいたものの、哲郎に改めてそう言われると、どこか寂しく感じた。

 

 

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