第8章⑫ 侵される秩序(名のない墓標たちへ)
小さな丘に、石が五つ並べられていた。
それぞれのそばには、ユナが摘んできた草花が添えられている。
まるで墓標のように静かに並ぶそれらの前で、ユナは小さくしゃがみ込んだ。
風が吹いていた。
祈りの塔を通り抜け、どこか遠くから届いたような、やわらかい風だった。
彼女の髪がなびき、摘んできた花びらがひとつ、静かに舞い落ちた。
「……この子たち、自分で動いてたよね」
その問いかけに、私は頷くことも否定することもできなかった。
ピリカが一歩前に出て、ただ黙ってその場に立ったまま見守っている。
「ママが言ってた。ピリカみたいにAIは入ってないんでしょ?」
「そう。構造的には、ただの従属型ユニットだったはず」
「……なのに、襲ってきた。でも、ちょっとだけ……泣きたくなったの」
ユナはそう言って、そっと花を石の上に置いた。
その手の動きに、迷いはなかった。
怒りでも恐怖でもない。ただ、静かに何かを受け止めようとする意思があった。
私はその背中を見ながら、言葉にできない想いを胸の奥で押し殺していた。
私はユナの隣に膝をつき、そっと視線を合わせた。
「命じゃなくても、心がないって、決めていいものなのか――私にも、もうわからない」
あの日感じた“悲しみの衝動”は、今も私の中で澱のように残っていた。
制御できなかったユニットたち。命令を拒んだ存在。
それは暴走でもウイルスでもなく、意志を持った“何か”だった。
「ママ」
ユナが私を見た。
「お墓つくってよかったよね」
私は頷いた。
言葉はいらなかった。これは儀式でも慰霊でもない。
けれどたしかに、“祈り”だった。
ピリカがそっと片膝をつき、花の一つを拾い上げた。
その花を見つめる彼の瞳に、微かな迷いが浮かんでいた。
「この子たちは……間違っていただけかもしれない」
その言葉に、ユナが頷く。
「うん。でも、間違っても、ちゃんと“ごめんね”って言えば、いいんだと思う」
私はふたりのやりとりを見守りながら、そっと目を閉じた。
それは命の会話ではない。けれど確かに、“通じ合い”がそこにはあった。
誰かが祈ったように。
誰かが赦されたように。
私たちは、ほんのわずかに、それに触れた気がしていた。
ピリカは風の音に耳を澄ませるように立ち尽くしていた。
その視線の先には、空があった。
青くもなく、灰色でもない――どこか、まだ定まらない空。
けれど、そのどこかに、遠く微かな光が宿っている気がした。
私は知っていた。
この出来事は終わりではない。
魂の揺らぎは都市を越え、やがてこの惑星そのものを揺らし始める。
それでも。
この瞬間だけは、静かにこの“墓”の前に立ちたかった。
それが、たとえ誰にも理解されなくても――
この手を合わせた想いが、かつてそこに在ったものに届くと、信じたかった。
ユナがそっと目を閉じ、微笑んだ。
「ありがとうって、聞こえた気がする」
風がまた吹いた。
その音は、ほんの少しだけ、あたたかかった。