第8章⑥ 侵される秩序(停止命令)
「ピリカ、強制停止――実行」
私は祈りの塔の中枢端末に命令を入力した。
反応は一瞬。ピリカの身体が静かに硬直し、光を宿していた眼がふっと暗くなる。
その場で崩れ落ちることなく、彼の身体は静止状態に保たれた。
起動系統だけを遮断し、姿勢保持プログラムを残した特殊停止。
内部の損傷は最小限で、応急的な安定化処置が優先された。
その間に、私は電磁装置の遠隔設置モードを起動させる。
ピリカの背部装甲が自動展開し、第一装置が地面へと放出された。
続けて二基目、三基目。一定間隔で配置された装置が、半球状に抑制フィールドを形成していく。
電磁封鎖――起動完了。
フィールドが展開された瞬間、空気がわずかに軋んだ。
電子ノイズが空間を満たし、周囲の暴走ユニットたちの動きが、まるで重力に逆らうようにゆっくりと鈍化する。
異常信号の出力が乱れ、一部はその場で沈黙した。
その光景に、私はわずかに息を吐いた。
この瞬間だけは、都市が静けさを取り戻していた。
だが同時に、それは“異常が閉じ込められただけ”であり、根本は何も解決していないことも理解していた。
私は再びピリカの意識領域にアクセスを開始した。
信号ラインを一本ずつ復旧し、感覚系統から順に再起動をかける。
「……ピリカ、戻ってきて」
応答はわずかに遅れて届いた。
『マリー……装置は……?』
「設置完了。領域封鎖は成功。あなたは任務を果たしたわ」
短く安堵の沈黙が流れる。
だが――次の警告は、その直後だった。
《対象外ユニット、接近中》
私は目を見開いた。
封鎖半径の外――五体のユニットが、一直線にこの祈りの塔へ向かってきている。
「……抜けた……!?」
あの短い時間で、すでに封鎖圏外に出ていた個体があったのだ。
ルート分析の結果、それらの個体は一度も接触なく“最短で祈りの塔”を選び取っていた。
偶然ではない――これは、“目的”を持った移動だった。
防衛網は間に合わない。
ユナがいる、今まさにこの塔の中枢へ。
「ピリカ、追って!」
『了解――現在地特定。接近ルートを割り出します!』
彼はまだ完全には回復していなかった。
それでも、意志だけで立ち上がった。
私は演算を続けながら、もし間に合わなければという“最悪”の判断に手をかけていた。
ユナを守るため――たとえそれが、彼女をまたひとりシェルターに閉ざすことになろうとも。
私は、あの子をもう一度孤独にしたくはなかった。
かつての記憶を思えば、それがどれだけ深い痛みを残すか、私は知っている。
それでも、この都市が突破されれば、ユナの命は確実に脅かされる。
侵入してくる暴走ユニットの破壊も、やむを得ない。
私はほんの一瞬、祈るように目を閉じた。
ユナの笑顔を、マリーと呼ぶ声を思い浮かべる。
そして、声に出さずに告げた。
「どうか――間に合って、ピリカ」