第8章⑤ 侵される秩序(暴走地帯)
風が、止まっていた。
ピリカが駆け抜けるたび、乾いた地面が細かく砕ける。
草原の端を越え、崩落した建造区の縁を抜け、かつての研究エリアに足を踏み入れた。
そこには、もはや“日常”など存在しなかった。
瓦礫の間を、数体のユニットが巡回している。
その動きは異常だった。連携も目的もなく、ただ衝動のままに徘徊していた。
まるで何かを探しているように、しかしそれが何かも分からないように。
制御されていない身体だけが動き続ける姿に、ピリカは“恐ろしさ”を感じていた。
私は遠隔から彼の視界を共有していた。
目視できるだけで十五体――そのうち、七体が暴走個体と断定。
「ピリカ、左から回避ルートを」
『無理です。この動き、回り込まれます』
すぐさま戦闘モードへ移行。背部から電磁装置を一基引き出し、対象エリアの設置地点に向かって跳躍した。
その瞬間――三方向から、ユニットが突進してきた。
「攻撃行動を確認。回避優先。設置を――」
『……っ!』
ピリカが跳ねた。だが、肩部に一撃を受け、バランスを崩す。
一体が上から圧し掛かり、さらにもう一体が下から脚部を狙った。
『マリー、これでは設置できません。攻撃許可を』
「まだよ!装置を最優先に――!」
けれど、ピリカは応答しなかった。
私の制御ラインが一瞬だけ空白になる。
ピリカは、自らの内部判断で戦闘モードを完全開放していた。
ユナを庇って壊れたときの記録が蘇る。
あのときと同じように、彼は迷いを捨てていた。
痛みの記憶すら、今の彼には戦闘アルゴリズムの一部となっていた。
彼は、ためらいなくその一体の胸部を貫いた。
続けざまに反転し、二体目の関節を破壊。
「やめて……ピリカ、それはまだ――!」
私の声は届かなかった。
ピリカの姿は、まるで別人だった。
感情も命令も超え、ただ“反応”で戦っていた。
その動きは滑らかで、美しく、そして――怖かった。
一瞬だけ、その背中がユナを庇ったときと同じ角度で見えた。
だが今、彼が守ろうとしているのは“誰”なのか。
私は言葉を失っていた。
そして、ピリカが三体目を破壊したその瞬間――
暴走ユニットの群れが、ざわりと音を立てた。
その場にいない私にも、伝わった。
“何か”が、反応している――そう思えた。
ユニットたちは振り向かず、声も出さない。
けれど、確かに“見られている”と感じた。
まるでその中心に、“見えない目”が存在しているかのように。
ピリカも、わずかに顔を上げた。
戦いの手を止めて、何かを――聴こうとしていた。
「今よ、ピリカ。装置を――設置して!」
私は声にして叫んだ。
だがピリカは反応しなかった。
むしろ、次の瞬間――まだ動いていないユニットへと視線を向け、腕を振りかけた。
「待って、ピリカ――!」
その動きには、怒りがあった。
ユナを傷つけようとした者への、確かな敵意が。
だが、それだけではなかった。
過去の悔いと、自責の念が、その怒りに形を与えていた。
それは、誰にも止められない“贖罪のような意志”だった。