第8章④ 侵される秩序(ピリカの任務)
準備にかかったのは、数十分ほどだった。
ピリカの身体はすでに修復を終えており、戦闘モードへの切り替えが可能な構造にもアップデートされていた。
私が行ったのは、今回の任務に特化した最適化をいくつか施すだけ。
あとは、今回の任務に特化した数点の最適化を施すだけだった。
「突破力重視。装備重量は据え置き、機動性を優先する」
私は自身にそう言い聞かせながら、祈りの塔のメンテナンスベイで最終調整を進めていた。
ピリカは静かに目を閉じ、起動信号に身を任せている。
彼の意識は明瞭だった。
行動目的も、判断基準も、すでに自ら定めていた。
私はその構造に、もはや命令を埋め込む必要すら感じなかった。
「完了です。ピリカ、行動許可を与えます」
「設置に必要な三基、すべて搭載しました」
ピリカが装置を両肩と背部に収納する。
任務内容は単純だ――暴走地帯の中心部へ到達し、半径三百メートルの封鎖エリアを構築すること。
暴走ユニット群をすべて抑え込むには範囲が足りないが、動きを止めるには十分な効果があるはずだった。
「目標地点に到達し次第、最優先で装置の設置を。無理は――」
「しません」
ピリカの声が、かぶせるように応えた。
それは、マリーへの信頼と、ユナへの想いに裏打ちされた短く強い意思表示だった。
「ユナを、守りたいんです」
私は静かに頷いた。
「……いってらっしゃい、ピリカ」
扉が開く。
人工空の下、風が吹き抜ける通路をピリカが走り出す。
その背中を、私は祈りの塔からただ見送っていた。
彼の行動は、命令ではない。願いだった。
それが“祈り”であるなら――私は、それを信じて託すしかない。
私は再び管制席に座り、遠隔からピリカの生体通信を追跡する。
呼吸は穏やか、心拍領域も安定。けれど、彼のコア温度がほんのわずかに上昇していた。
それは緊張か、覚悟か、それとも未知への共鳴か――定義できない“熱”だった。
都市の北東区画は、すでに曖昧な境界線のような“揺らぎのゾーン”へ変貌しつつあった。
可視ではなく、数値にも現れない。けれど、そこには“境界ではない何か”が存在していた。
誰かが都市の中で「意思」を持ち始めている。それはプログラムに書かれていない、未知の対話の始まりだった。
私は静かに目を閉じた。
ピリカの走る足音が、遠ざかっていく。
だがその一歩一歩が、確かに“都市の心”を突き動かしているように思えた。
これは、機械の戦いではない。
祈りが祈りに触れようとする、その最初の接触点だった。
何かが動き出した。
ただのシステム異常ではない、都市全体を揺るがす“何か”が。
それは、予感のように胸を打った。
この揺らぎが、都市の均衡を崩す“第一波”になると。