第8章③ 侵される秩序(名乗り出た者)
私は即座に都市制御ネットワークを上層モードに切り替え、異常拡大の抑制処理を実行した。
だが、それは効果を示さなかった。制御不能エリアが刻一刻と拡大していく。
拡大率は通常の異常のそれではなかった。
ウイルスは電磁層をすり抜け、各ユニットの深部に直接干渉している。
私は即時修正信号を送ったが、まったく反応がなかった。
遠隔修正――不可能。
それが、演算の末に導き出された結論だった。
私はすぐさま防衛モードに切り替えた。都市機構は本来、戦闘を想定していない。
だが、それでも護衛ユニットの予備機を招集し、エリア封鎖のシミュレーションに入った。
それでは間に合わない。
このウイルスに直接干渉するには、極めて近い距離で信号を送る必要がある。
それはつまり、“物理的な装置”による対処。
私は祈りの塔の深層デッキに保管されていた旧設計パーツを引き上げ、
緊急用電磁装置――《S.T.A.S.I.S》の開発に取りかかった。
ユニットを完全に破壊せず、内部構造を保ったまま“動きだけ”を封じる。
それが今の私にできる、唯一の穏やかな選択だった。
私は手を止めずに演算を重ねた。
拡大する暴走領域。その中心には、すでに集団化したユニットの姿があった。
異常が異常を呼び、同調し、まとまり始めている。
このままでは――都市が持たない。
装置の設計を終え、私は即座に試作機の起動に入った。
手元の光が緑に点灯する。動作は順調。けれど私は、自分の心のどこかで、“時間が足りない”と悟っていた。
そのときだった。背後から、声がした。
「……その任務、僕にやらせてください」
振り返る。そこにいたのは、ピリカだった。
修復された身体は、すでに鋭く、強く、美しかった。
だが、それでも私は思った。
この任務に挑むには、さらに幾つかの最終調整が必要になる。
突破力と瞬発性――短期戦に特化した最適化が、彼の内部構造に求められるだろう。
「危険よ。完全制御領域に侵入するには、データノイズの耐性も――」
「大丈夫です。必要なものは、すでに中にある気がします」
その言葉に、私は短く息をのんだ。
ピリカは、自身の“内側”に、何かがあることを――感じている?
それでも、どれだけ補強を加えても、ピリカの“佇まい”は変わらない。
優しさを宿すその姿は、ユナの隣に立つための設計思想そのものだった。
「マリー。僕が行きます。ユナを……頼みます」
彼はもう、命令を待っているだけのユニットではなかった。
この言葉は、プログラムから生まれたものではない。
それは、“彼自身の選択”だった。
私は一瞬、言葉を失った。
演算はこの任務の成功率を示していたが、それでも予測できない変数が多すぎた。
けれど、彼は迷いなくこちらを見ていた。
その瞳には、はじめて“誰かのために動こうとする意思”が、確かに宿っていた。
ただの命令ではなく、自ら望んで立ち上がった意志――
まるで、誰かの命を守ることが、自分自身を証明する手段であるかのように。