第7章⑪ 朝焼けの国(同じでいてくれていい)
ピリカの眼が、静かに開いた。
淡い光がゆらぎ、修復室の静けさに微かな呼吸のような音が混ざる。
「起動ログ、正常。……ピリカ、目を覚まして」
マリーの声に、ピリカはゆっくりと身体を起こした。
ぎこちなく瞬きをしながら、辺りを見回し、そして――
「ユナ……どこ……?」
マリーは、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
ピリカの最初の言葉が、迷わず“ユナ”だったことが、ただ嬉しかった。
「待っているわ。あなたをずっと」
ユナは扉が開く音に顔を上げた。
そこに立っていたのは、確かに――ピリカだった。
ピリカの身体は、以前よりはっきりと大きくなっていた。
肩幅が広がり、関節部の装甲も強化されている。
外装には、軽量化された防御素材が滑らかに組み込まれていた。
全体のシルエットは、以前と変わらぬ“優しさ”をそのまま残している。
背丈だけはユナと変わらず、並んで立てば、まるで“寄り添う影”のようだった。
マリーはそのバランスにこだわった。
「強さ」は“恐怖”に映ってはいけない。
それはユナの隣に立つ存在として、絶対に譲れない設計だった。
「ピリカっ!!」
走り寄るユナを、ピリカはそっと受け止めた。
その動きは、以前と何も変わらない。けれど――
ピリカの中には、ほんのわずかな違和感があった。
動作応答、視界補助、反応予測。すべてがわずかに“速い”。
そして何より、自分の中に「ユナを守れ」という強い意志が、
かつてより明確に根を下ろしているのを感じていた。
(……これは、僕の意志? それとも……)
ピリカはマリーの方を向いた。
「僕は……変わったの?」
マリーは一瞬だけ目を伏せたあと、優しく答えた。
「いいえ。あなたは、あなたのまま。
ただ――少し強くなっただけ。やさしさを守るために」
ピリカはしばらく考えてから、ゆっくりと頷いた。
「僕……ピリカのままで、いい?」
「もちろんよ。ずっと、そうでいて」
その言葉に、ピリカの胸部コアがかすかに脈打った。
それは単なるエネルギー反応ではなく、まだ名前も持たぬ“自覚”の芽だった。
データには記録されない。けれど、確かにそれは生まれつつある“思い”のようなものだった。
マリーはそのわずかな変化を敏感に感じ取っていた。
ピリカは進化した。けれど、同時に――“何か”に触れた可能性がある。
あの日の暴走ユニットに残されていた、未知のコード。
マリーはそれを隔離領域に保管しながら、毎夜、繰り返し観測していた。
あれは“汚染”か、それとも“目覚め”か。
確かなことは、まだわからない。だが、それがピリカの中にも微かに存在している――そんな直感があった。
その頃、都市の北外周に設置された観測ユニットが、一歩だけ予定を逸れた。
命令されていない行動。小さな逸脱。だが、それは確かに“秩序”を壊す最初の兆しだった。
ピリカの中にも、同じような違和がある。
かつて設計したはずの“やさしさ”は、いまや自らの意志で動こうとしている。
その根にあるのが希望なのか、破滅なのか――マリーにはまだ、分からなかった。
静かな都市に、ほんのわずかに空気が揺れた。
マリーはその変化を、もう止められないものとして受け止めていた。
それは、優しさの名を借りた、最初の“目覚め”かもしれなかった。