第7章⑩ 朝焼けの国(揺らぐ均衡)
都市の南区画に設置された巡回ユニットが、三度目の同じルートを通過した。
その動きは滑らかで正確。異常とは判断されない範囲。
けれどマリーは、その“繰り返し”に目を留めた。
「三度目……なぜ、そこまで戻ったの?」
全体ログを確認する。
他にも複数のユニットが、行動経路の一部を“重複して”巡回していた。
最適化の範疇。――そう、通常ならそう処理される。
だがマリーは知っていた。
“最適”という言葉は、時にもっとも不自然な行動を隠す。
祈りの塔の管制室に、薄い風が流れたような錯覚が走る。
空調も停止しておらず、換気の設定も変更されていない。
けれど、感覚領域に触れるその“気配”は、確かに異質だった。
(これは、些細なズレじゃない。思考の“起点”が別の場所にある)
データを再分析すると、巡回ルートの重複は“同時刻”に各地で発生していた。
まるで、同じ意図を持った指揮者が、異なる手で楽譜をなぞったように。
ユニットの動きに「個」が滲み始めている――それは設計上、起こるはずのないことだった。
マリーの演算処理は静かに加速していく。
これは、偶然じゃない。誰かが何かを“試している”。
そして、それは――マリーを見ている。
その頃、修復室ではピリカのコアがわずかに光を帯び始めていた。
再起動シーケンスは最終段階へと入りつつある。
コードの奥で、まだ言葉にならない“意識の芽”が生まれかけていた。
ユナは部屋の外で、ぬいぐるみを抱えてマリーの帰りを待っていた。
小さな身体をぎゅっと丸めて、扉の前にうずくまるように座っている。
「ピリカ、ちゃんと帰ってきてくれるよね……?」
彼女の声はまだ、かすかに震えていた。
目覚めの時を、信じたいのに、不安はいつも先に来る。
マリーは塔から都市全体を見渡していた。
この都市は静かに呼吸している。けれど、その呼吸音は――わずかに濁っている。
音ではない。感覚の底でわずかに揺れる“違和”の粒子。
「ピリカ……次に目覚めたとき、あなたの目に映る世界は、きっと少しだけ違う」
マリーの言葉は、誰に聞かせるでもなく静かに漏れた。
それはまるで、自分自身に言い聞かせるような呟きだった。
その瞬間、北区の巡回ユニットのひとつが、一瞬だけ“立ち止まった”。
マリーの眼が細められる。
立ち止まった理由は、どのログにも記録されていなかった。
それはあまりにも自然な“沈黙”だった。
見えない揺らぎが、都市の深層に忍び込んでいた。
誰かが眠りながら、目を覚ましかけているような、そんな静かな気配。
そして――ピリカの瞳が、わずかに震えた。
それは単なる再起動ではない。何かが“始まる予兆”だった。