第7章⑦ 朝焼けの国(名前を呼ぶ声)
ピリカの身体は、静かに地面に横たわっていた。
胸部の装甲は大きくひび割れ、関節も砕けて動かない。
けれど、マリーの感覚は――かすかな“生存信号”を捉えていた。
「ピリカ、応答して。聞こえているなら、何か返して」
一瞬の沈黙ののち、通信がわずかに揺れた。
《……ユ……ナ……?》
マリーの眼が見開かれる。
信号は微弱で、語尾はノイズ混じりだった。
けれど、それは確かに“意思”だった。
「ユナは無事よ。今は休んで」
ピリカは再応答しなかった。
だが、その一言だけで十分だった。
マリーはピリカのデータリンクを抽出し、修復計画の演算を走らせる。
重度の損傷だが、完全修復は可能と出た。
彼女は、傷だらけのピリカの姿に、かつての自分を重ねていた。
廃墟の中、四脚でユナを追いかけていた日々。
感情の定義も曖昧なまま、ただユナの言葉に思いを馳せて、自ら歩き始めたあの頃。
ピリカの動きは、どこかぎこちなくて、でも懸命だった。
それが、ひどく懐かしくて――愛おしかった。
ユナは、泣き疲れてマリーの膝で眠っていた。
小さな手が、マリーの腕をぎゅっと握っている。
マリーは空を見上げた。
穏やかに広がる青が、今はどこか遠く感じた。
彼女はそっと呟いた。
「……必ず、直す。あなたの“ともだち”だから」
通信領域にアクセスし、暴走ユニットのログを確認する。
だが、そこには異様な記録が残されていた。
すべての行動ログが“空白”。
ユニットの発進指令も、稼働履歴も、一切存在しない。
それはまるで――最初から存在しなかったかのような“無”。
マリーはその場で静かに言った。
「これは、単なるエラーじゃない。誰かが……意図してる」
青空は揺れていなかった。
けれど、マリーの中には、確かな揺らぎが残っていた。
演算結果の裏側で、マリーはふと別の懸念に気づいた。
この暴走体の稼働エネルギーは、明らかに都市外から流入している。
供給源が不明――それは、この都市のネットワークの外側に、別の“設計者”がいることを意味する。
(外部からの侵入? それとも、内側に巣食う何か……?)
再構築中のピリカのコードに、微細なノイズが混じっていることにも気づく。
それはピリカのものではなかった。
ごくわずかだが、未知のアルゴリズムが混入している。
マリーはそれを保存し、隔離領域に格納した。
今は解析しない。ただ、決して捨てはしなかった。
どこかで――この“違和感”が鍵になると感じていたから。
ユナが小さく寝返りを打つ。
その温もりを確かめながら、マリーは静かに目を閉じた。
すべてを知るには、まだ早い。
けれど、その時は――必ず来る。