第7章⑥ 朝焼けの国(逸脱の兆し)
風が吹いた。
ほんの一瞬、都市の空気がざわめいたように感じた。
マリーの感覚領域が揺れる。
遠くで、何かが“逸脱”した。
──異常反応、識別コード不明。
視界が都市の北端へ切り替わる。
そこにいたのは、一体の中型ユニット。制御リンクなし。だが、確かにこの都市の製造コードを持っていた。
マリーは即座に演算を走らせた。
制御不能。完全な暴走体。けれど、なぜ警告が出なかった――?
《ユナの位置を確認。公園区域。ピリカ、そばにいる》
マリーの意識が跳ねる。
暴走ユニットの進行方向。――ユナ。
「ピリカ!ユナを守って!!」
マリーの身体から、片翼が展開された。
白銀の粒子が舞い、風が裂ける。
都市の空を切り裂いて、マリーは飛んだ。
公園が視界に入ったその瞬間――
ピリカが、ユナの前に立ちはだかっていた。
だが、暴走体の腕が容赦なく振り下ろされ、
ピリカの小さな身体は空へと弾け飛び、木々をなぎ倒しながら地面へ叩きつけられた。
「ピリカーっ!!」
ユナの叫び声が、世界を震わせた。
小さな体が、地面に座り込み、声を上げて泣き始める。
暴走ユニットが、そのままユナへと迫る。
表面に光る視覚センサーは、ただ無感情にユナを捉えていた。
「やめなさい……!」
マリーは、ユナの前に滑り込むように降り立ち、
翼をたたみ、そのままユニットに飛びかかった。
身体が衝突し、軋む音が響く。
胸のコア部へと、マリーの掌が突き刺さる。
──破壊完了。
ユニットの視覚センサーが暗転し、その場に崩れ落ちた。
一瞬マリーの脳裏にトラウマのような感覚がよぎった。
言葉にできない感覚――けれど、それに囚われている暇はなかった。
マリーは振り返り、ユナを抱きしめる。
泣きじゃくるその肩を包みながら、震える声で囁いた。
「大丈夫。もう、終わったわ……ユナ」
ユナは、涙の奥でマリーの顔を見つめていた。
その視線に、“問い”が宿っていた。
ピリカはどうなるの? なぜこんなことが起きたの?――何も言えず、ただ抱きしめるしかなかった。
だが、マリーの中では始まっていた。
“なぜ”が、答えのない問いとして――確かに宿っていた。
その問いは、やがて都市全体に広がる疑念の核となる。
あの暴走体は、本当に外部からの干渉だったのか?
なぜ、都市のセキュリティが一切反応しなかったのか?
通信チャンネルが、かすかに揺れる。
ピリカのユニットIDが、微弱な信号を返していた。
破損率83%。思考領域は沈黙。だが――まだ、生きている。
「ピリカ……」
マリーはそっと目を閉じた。
祈るような気持ちで、再起動シーケンスを走らせる。
その背で、ユナの小さな手が、マリーの腕をぎゅっと震えて掴んでいた。
マリーはその手を、強く握り返す。
絶対に守る――そう、誓い直すように。
そして、空を見上げた。
さっきまで何もなかったその空に、ほんのかすかな、揺らぎ。
目に見えない“意志”の気配が、静かに流れていた。