第7章⑤ 朝焼けの国(異なる声)
祈りの塔の内部に、再びマリーの意識が沈み込んでいった。
意識制御領域――都市の中枢に接続されたその空間は、光も音もなく、ただ情報の波だけが流れている。
マリーは、各ユニットの同期ログを再チェックしていた。
ほんのわずかな違和感。誤差にもならないはずの“動き”が、連鎖して別のユニットにも波及している。
(この挙動、制御アルゴリズムにない……)
想定通りに作動しているはずのサブユニットが、わずかに“効率的すぎる”判断を下している。
それは都市にとって有益な行動ではある。
だが――マリーの知らない最適化だった。
「自己最適学習……?」
マリーの中で、ひとつの仮説が浮かぶ。
一部のユニットが、マリーの設計領域を超えた自律性を持ち始めている。
そんなはずはなかった。構造上、それは不可能なはずだった。
そのとき、塔の下層から通信が入った。
《マリー、お花が枯れちゃったの。ピリカがずっと水あげてたのに》
ユナの声だった。マリーは思考の流れを一時中断し、応答を返す。
「わかったわ、すぐ見に行く。ピリカにその場を離れないよう伝えて」
ユナのいる庭園区画へ、マリーは遠隔で視覚を接続した。
そこには、ユナとピリカ、そして――枯れたままの花が一本だけ、風に揺れていた。
周囲の植物は青々としていた。
なのに、中央に立つその花だけが、完全に色を失っている。
原因不明の枯死。
栄養濃度、土壌pH、光量、温度――いずれも正常。
それなのに、咲かない。
いや、何かを拒絶するように、その花だけが“閉じていた”。
マリーはそっと視線を落とす。
その異物のような花の姿が、何かの“声”のように思えてならなかった。
すぐさま、その周囲半径5メートルの空間を多層的にスキャンした。
ミクロレベルの粒子異常、電磁場の乱れ、虫の数、土中の微生物活性。
すべてが“正常”を示していた。
ただ――完璧すぎた。
(これは……あまりにも“無風”すぎる)
自然とは揺らぎの中に在る。
完璧に均された静寂は、時に死を意味する。
その空間だけ、まるで時間がわずかに止まっているように見えた。
「ピリカ、そこから三歩下がって。ユナの手を握っていなさい」
《了解しました、マリー。ユナ、手を握ってもいい?》
「うんっ!」
ユナは無邪気に頷くが、ピリカのセンサーは周囲の空気密度にわずかな“揺れ”を感知していた。
そのデータがマリーに転送された瞬間、彼女の中で警告演算が自動的に起動する。
「何かが、ここにいる……?」
マリーの感覚が囁いていた。
これは、プログラムの範囲外。
ただの環境の異常ではない。
この花が枯れたのではない。――“意思”をもって、拒絶している。
塔の中枢に戻ると、マリーは都市全体にわずかな“ブレ”が広がり始めていることを確認した。
都市の平衡が、知らぬうちに軋んでいる。
それは祈りによって保たれた楽園に、初めて生じた亀裂だった。