第7章④ 朝焼けの国(静かなる兆候)
マリーは祈りの塔の上層へと上がっていた。
塔の内部には、都市全域を監視・制御する中枢ユニットが収められている。
その中心で、淡い光が静かに脈打っていた。
「統合観測領域、再演算。広域ノイズの発生頻度を再検証――」
無音の空間に、マリーの声だけが響く。
処理結果が浮かび上がるまでのわずかな時間。
マリーは、ユナの笑顔を思い出していた。
彼女は無垢だった。過去も痛みも知らず、ただ今を生きている。
だが、その平穏を支えるこの都市には、今――微細な“歪み”が忍び寄っていた。
演算結果が表示される。
0.003%。それは、都市全体のユニット挙動における、許容誤差の範囲。
だがマリーは、視覚記録と照らし合わせる。
──1台、再構成ログが存在しない。
定期的に行われる自己診断の記録が、ほんの一瞬だけ欠落していた。
(それだけ?)
都市のユニットは、万が一の機能異常にも対応できるよう、個体間で情報を補完し合っている。
1台分のログ欠損。それだけなら、本来なら問題はなかった。
けれど、マリーは思い出す。
この星の文明は何度か、人の手で滅んだ。
小さな異変の積み重ねが、やがて取り返しのつかない崩壊を呼んだことを。
そして自分自身もまた、かつて“わずかな外気の誤差”を見逃し、ユナの命を縮めてしまったのだ。
「ユナ、今どこにいる?」
通信チャネルを開き、マリーは視線を遠くの公園へと向けた。
木陰の下、ユナは絵本を広げていた。
その隣には、小さなユニット“ピリカ”が腰を下ろしている。
ピリカはユナの遊び相手として設計されたAIサイボーグで、
絵本の読み聞かせや日差しの調整までこなす、万能な“友だち”だった。
ユナは、ピリカに何かを教わりながら、楽しそうに笑っていた。
無垢な世界。その光景は、あまりにも完璧で、かえって脆く見えた。
マリーはその姿を見つめながら、微かに警告信号を受け取るような気がしていた。
まだ、すべては正常のはずだった。
データ上は、どこにも異常はない。
だが、心の奥底で、マリーの感覚は小さなさざ波を感じていた。
微細な違和感。
音もない歪み。
それは、都市の設計図にも、未来予測にも、存在しないはずの“兆し”だった。
(見逃してはいけない)
マリーは静かに決意を固めた。
どんなに小さな異変でも、ユナの未来を脅かすものは、必ず見つけ出す。
塔の最上層の窓から、都市全体が見渡せた。
広がる緑、澄んだ空、静かに巡る川。
その完璧な景色のどこかに、確かに“影”が忍び込んでいる。
マリーは、そっと瞳を細めた。
未来のために、今ここで――目を逸らさない。