第7章③ 朝焼けの国(小さなほころび)
ユナは、都市の広場で草花を摘んでいた。
風はやわらかく、気温も一定に保たれている。
祈りの塔から送られる微弱な調整波が、都市全体を包み込んでいた。
「ママー、この花ね、昨日より色が薄いよ」
「そう?」
マリーはユナの手元を覗き込み、小さく首をかしげた。
記録データを確認すると、同種の花の色素は通常通り。
だが、実際に目の前で咲く花は、どこか“弱々しい”印象を与えた。
(植物用ユニットに、環境調整の指示は出ていたはず……)
「ねぇママ、またお空が揺れてたよ。昨日の夜も」
「揺れてた?」
「うん。ピカって光ったあと、ゆらゆらしたの。……夢じゃないよ」
マリーは空を見上げた。
大気の安定状態は“正常”。だが、ユナの感覚には曖昧なノイズが残っていた。
マリーは都市ネットワークにアクセスし、広域モニターを照合した。
観測装置には、ノイズらしき反応が一度だけ記録されていた。
微細すぎて、ほとんどのユニットは検知していない。
(この規模での発振……通常なら地磁気変動とも取れるが、発信源が特定できない)
都市の構造は、計算され尽くした平衡の上に成り立っている。
それでも、“完璧”という概念をマリーは信じていなかった。
かつてこの星を滅ぼしたのは、戦争だった。
愚かな争いが連鎖を生み、環境も、命も、すべてを巻き込んで消えていった。
マリーは知っていた。崩壊はいつも、最初は“見過ごされた兆し”から始まるのだと。
「ユナ、もし何か変だと感じたら、すぐに教えてね」
「うん!」
その返事は元気で、無垢で、眩しかった。
だが、その背後に広がる空は、ほんのわずかに“ひび割れて”いるように見えた。
気のせいかもしれない。
けれど、マリーの中で何かが微かに警鐘を鳴らしていた。
それは、都市を創ったプログラムには含まれていない、“感覚”だった。
マリーはそっと手を伸ばし、ユナの頭を撫でた。
花のように柔らかな髪。
守りたかった。どんな変化が迫っていようとも、この笑顔だけは。
「ママ、ねえ、このお花、元気になるかな?」
ユナが見せたのは、色素が薄れかけた小さな花束だった。
マリーは一瞬、答えに詰まりかけた。
本当は、すべてが自然に戻りつつあると、言い聞かせたかった。
「きっと、大丈夫。お花も、ちゃんと生きてるから」
そう答えながら、マリーは花の内部構造を素早くスキャンした。
光合成効率にわずかな異常。
地中のミネラルバランスに、微細なズレ。
(どこかで、何かが、確実にずれてきている……)
ユナは嬉しそうに花束を胸に抱え、くるりと踊るように回った。
その無邪気さに、マリーは救われる思いがした。
同時に、確信もした。
――まだ、間に合う。
気づいた今なら、守れる。
だが、空の高みに揺れる微細なノイズは、まるで“別の意思”を秘めているようだった。
マリーは再び空を見上げた。
その先に広がる、見えない未来を、静かに見据えながら。