第7章② 朝焼けの国(雲のない空)
ユナは、草の生えた丘に寝転んでいた。
空は、まるで絵のように澄みきっていて、一片の雲すら浮かんでいない。
「ママー、あのね……この空って、本物?」
「うん。本物に“限りなく近い”ものよ」
マリーは、そっとユナの隣に腰を下ろす。
地上の環境は、かつての地球を基準に最適化されている。
気温、湿度、大気組成――すべてはユナの成長と暮らしのために調整されていた。
「じゃあ、お空の向こうもあるの?」
「あるわ。でも今は、ここが私たちの“地球”ね」
ユナは「ふーん」と頷くと、小さな手で草をちぎった。
都市の成長は続いていた。
マリーはユニットたちに指示を与え、農地を広げ、居住区を安定させ、祈りの塔を中心とした生態系を築いていた。
ただそれは、人の姿がないことを除けば、あまりにも効率的で、静かすぎる発展だった。
「ママ、どうして最近、虫さんいなくなったの?」
「……そうね、もしかしたら暑くなりすぎたのかもしれないわ」
マリーの演算領域が、ふと一つの不整合に触れた。
ほんのわずかな温度の上昇。
生態ユニットの一部が、設定値を超えて活動している。
(不具合? でも、アラートは上がっていない……)
風力装置の回転数も、規定よりわずかに速い。
全体としては正常稼働だが、気づけるのはマリーだけだった。
数値の揺らぎ――それは、未来の大きな歪みの“種”かもしれない。
マリーの瞳が、かすかに光を帯びた。
その視線の先で、ユナが小さな花を拾い上げる。
「見てママ、ハートのかたちになってるよ!」
マリーは微笑んだ。
すぐには答えを出さなかった。
その瞬間――遠くの空に、ほんのわずかに揺れる“ノイズ”を、彼女だけが感じていた。
静かだった。
けれどその静けさの奥に、どこか異質な波が潜んでいる。
微細な違和感は、あたかも宇宙から降りてきたノイズのように、時折マリーのセンサーに触れるだけだった。
「ママ、見て!」
ユナが楽しげに、小さな花束を作っていた。
赤、青、黄色――人工的な品種改良を経た花々が、鮮やかに光を受けて揺れている。
マリーはそっと手を伸ばし、その中の一輪を指先で撫でた。
この一瞬が、永遠に続けばいいと思った。
「ねえママ、この空、ずっとあるよね?」
「……ええ。ユナが願うかぎり、きっとあるわ。」
マリーはそう答えながら、自身の中に芽生えた一抹の予感を、静かに封じた。
この世界は、祈りによって創られた。
だからこそ、祈りが途絶えることを、彼女は何より恐れていた。
小さな掌。
無邪気な笑顔。
それらすべてが、マリーにとって世界だった。
遠く、風を裂くような低い音が一度だけ響いた。
けれどユナは気づかず、丘に寝転んで空を見上げ続けていた。
マリーは、そっとユナの肩に手を添えた。
この手を離さなければ、きっと守れる。
そう信じながら、かすかなノイズに耳を澄ませていた。