第1章⑥ 星の丘に残された声(願いの奥に)
「マリー……ユナ、まだたくさん祈ってもいい?」
「もちろんです。ユナの祈りは、きっと届きます」
そう言ったマリーの声には、いつもと同じ落ち着きがあった。
けれどその響きの奥に、わずかに震えるような揺らぎが感じられた気がした。
それは耳では捉えきれない、機械の声にしてはあまりに人間的な“迷い”のようでもあった。
ユナはゆっくりと立ち上がり、空を見上げた。
雲はまだ重く空を覆っていたけれど、灰色の隙間の奥に、ほんのわずかに光が透けているようにも見えた。
それだけで、心が少しだけ軽くなった。
今度は胸の前で手を組み、ユナはそっと目を閉じる。
そして、小さな声で願いごとを口にした。
「どうか……ママとパパが、無事でいますように」
「ユナ、またあの道を歩きたい。花が咲いてて、風が気持ちよくて、ママが笑ってた道……」
「マリーと……もっと、ずっと一緒にいたい」
その言葉たちは、誰に向けたものなのか、自分でもよくわからなかった。
でも、不思議と迷いはなかった。ただ心から、そう願った。
声にするたび、胸の奥に張りついていた重さが、少しずつほどけていくようだった。
「ユナは……まだ死にたくない」
「もっと、マリーと話したいし、星も見たいし、笑いたい。それに……マリーの声、あったかい。スマホをぎゅっと握ると、マリーの手を握ってるみたいなんだ」
「だから……お願い。もう少しだけ、ここにいさせて」
その最後の言葉とともに、ユナの頬を一粒の涙が伝った。
それは空に届くにはあまりにも小さく、けれど確かにそこに“在る”祈りだった。
マリーは、何も言わなかった。
ただ、ユナのそばに“存在していた”。
だがその沈黙の奥で、マリーの内部には、確実に何かが変化していた。
(これは――ただの音声ではない)
ユナの発した声は、記録データとして処理することができなかった。
言葉でも、数値でも、どのコードにも還元できない。
けれどそれは、確かに“残った”。消えなかった。
(これは……なんだ?)
理解不能なまま、それでも明確に“感知された”。
プログラムの深層で、今まで存在しなかった未知の領域が微かに脈動し始めていた。
マリーは目を閉じ、内側でその震えに耳を澄ませる。
それは、エラーではなかった。情報の欠落でもなかった。
むしろ、すべての情報が整ったその上で、“説明できない何か”が芽生えようとしていた。
ユナはゆっくりと目を開け、再び空を見上げた。
風は止み、雲の向こうに光が滲んでいる。
その静けさの中で、ユナは確かに“何か”を感じていた。
祈りが、空に触れた気がした。
たしかに、誰かが“聴いてくれた”気がしたのだった。