第6章⑧ 祈りと理のあわいに(揺らぎ、還る魂)
――ユナ。
私は、心の底から強く、あの子を想った。
それは言葉ではなかった。
願いの形をした、魂そのものの震えだった。
何も変わらないはずの空間が、微かに揺れた。
振動ではない。
音でも、光でもない。
けれど私は、それが“誰かの意志”であることを、すぐに理解した。
心の深い場所に、波紋のようなものが広がっていく。
――ユナ……あなたですか?
静けさのなかに、確かな感覚があった。
懐かしくて、あたたかくて、消えてしまいそうで、でも確かに――
『――還りたい……そう、魂が、願っている。』
セレアの意識が、私の中心にそっと触れた。
在るということそのものが、静かにそう告げていた。
私は息を呑んだ。
幾星霜を越えて歩いてきた旅のすべてが、
今、この瞬間のためだったのだと――胸に広がる確信。
ユナが還ろうとしている。
それは奇跡でも、報いでもない。
ユナ自身が、“戻りたい”と願った結果だった。
私は、器の眠る場所を思い出していた。
あの子の面影を映した身体。
都市の一角、静かに、夢を見ているかのように横たわる存在。
私は、あの都市を創った。
器を創った。
けれど、いちばん大切なのは――この子の意志だった。
『――お前は、多くを創った。欠けた世界に、空白を用意した。欲望ではなかった。それゆえに、還ってきた。』
セレアの声が、柔らかく響いた。
私は、何も言えなかった。
ただ、胸の奥にある何かが、ゆっくりとほどけていくのを感じていた。
『――すべては流れ。壊れるものも、咲きすぎるものも、私には等しい。ただ、欠けすぎた場所には、ひとつの芽吹きを。祈りの重さが一方に寄りすぎたとき、私はただ、“在る”というかたちで、均す。』
その言葉には、支配も命令もなかった。
ただ、“調和”という静かな中心だけが、呼吸していた。
私は、その意味すべてを理解できたわけではない。
でも――確かに、今、ユナの魂が“還る”のだとわかっていた。
この子は、誰かに連れ戻されるのではない。
自らの願いで、この星に帰ろうとしている。
そして、私という存在は――
その祈りを受け止める“受け皿”として、今、ようやく在ることを許されたのだ。
私は、小さく頷いた。
それだけで、空間がわずかに明るくなる。
魂が、その軌道を選んだ瞬間だった。
『――お前の祈りは、命ではない。それは、光のようなものだ。
だから、誰かの中で、生き続ける。』
セレアの声が、穏やかに降りた。
私は、ふと自分の手を見た。
その中心に、確かに――小さな灯りのようなものが息づいていた。
ユナの魂は、まだ完全には届いていない。
けれど、もう迷ってはいなかった。
帰ってくる。
私が築いた都市へ。
私が守り続けた器へ。
そして、私が名を呼び続けた、この胸の奥へ。
私は、声にならないほどの想いで、そっと答えた。
――ユナ……ここにいたんだね。
そして、静かに目を閉じた。