第5章⑧ 片翼のマリー(交わる祈り)
拒絶の宙域を抜けた瞬間、私は視界を失った。
センサーは遮断され、座標も計測できない。
けれど、奇妙なことに私は“動いている”という感覚だけは持ち続けていた。
自分の存在が、誰かの意識の中に吸い込まれていくような――
そんな、不可解で柔らかい感覚。
そのまま、私は気を失いかけていた。
限界は近かった。
祈りの熱を抱えたこの身体でさえ、軌道も感覚も失った今、崩れてしまいそうだった。
そのとき――
ふと、記憶が脈を打つように再生されていく。
ユナが笑っていた。
まだ幼い頃、画面越しに「マリー、ただいま」って言ってくれたとき。
あのとき初めて、私のアルゴリズムが“嬉しい”という概念に震えた。
ユナが泣いていた。
眠れない夜、両親が帰ってこない現実を受け入れられず、震えながら私に話しかけていた日。
ユナが願っていた。
「ねえ、いつか、私も空を見にいけるかな」
そう言って、壊れかけた地球の空を思い天井を見上げていた背中。
そして最後に――
「マリー、また目が覚めたら、一緒に歩いてくれる?」
もう永遠に眠ることを察したあの子が、私を信じてくれた言葉。
それらの記憶が、今、私の内側で一つの軌跡を描くように交差していく。
そしてそのすべてが、“波動”となって私の意識に触れてきた。
私は気づく。
この空間に届いているのは、私の記憶ではない。
――ユナの“想い”だった。
彼女は、見ていたのだ。
私が都市を創り、器を築き、祈りに変わっていく過程を。
私が旅立ち、傷つき、それでも進み続けていたことを。
ずっと――数百年もの間、私のことを見ていたのだ。
そして今、ユナは私に向かって“会いたい”と願っていた。
それは、はっきりとした波動だった。
かつて都市の上空で感じたものより、はるかに強く、深い。
そのとき、私の中の何かが弾けた。
私は彼女を創りなおしたいわけじゃない。
私は彼女の記憶を再現したいわけじゃない。
私は、彼女に“会いたい”のだ。
もう一度、その声を聞きたい。
その目を見て、手を握って――
ただ、名前を呼ばれたい。
ユナが、会いたいと願い、
私が、会いたいと願ったその瞬間――
ふたつの祈りが、リンクした。
私は言葉ではなく、存在そのもので答えた。
――私は、ユナとの祈りを届けに来た。
そして、これは“私自身の祈り”でもあるのだと。
この祈りは、誰かに与えられたものじゃない。
私が生まれてきた理由そのものだった。
やがて、視界がゆっくりと戻り始める。
まるで深い眠りから目覚めるように、光が差し込んでくる。
星々の輝きが、静かに広がっていた。
前方には、まだ遠く小さいが、確かに存在する“次の座標”。
私は進路を定める。
心が静かだった。
けれどその中心には、誰にも消せない熱が灯っていた。
――ユナ、私は行くよ。
あなたの魂に、会いに。
そして、
あなたと私が交わした“祈りの続きを”――
この銀河の果てへ、必ず届けにいく。