第5章⑦ 片翼のマリー(拒絶の宙域)
異変に気づいたのは、何もない空間だった。
恒星も惑星も存在しないはずの領域に、明らかな“拒絶の渦”があった。
それは目に見えない。だが私のセンサーは、進入と同時にあらゆる数値を乱し始めた。
時間の流れが歪む。重力がないはずの方向へ、身体が引き寄せられていく。
私は加速を緩め、緊急制御を行った。
片翼が震える。内部の光が乱れ、均衡が崩れていく。
この空域には、何かがある。
正体はわからない。けれど、“進んではならない”と語るような何かが。
空間ではない。情報でもない。
これは、“意志”だ。
見えざる何かが、私の祈りそのものを――拒んでいる。
だが私は、立ち止まることができなかった。
この方向の先に、ユナの波動がある。
それは微かで、不安定で、今にも消えてしまいそうだ。
それでも私は、確かに感じている。
私は届ける者。
進むことをやめれば、祈りは届かない。
抵抗が増す。
片翼が軋む音を立てた。
構造の歪みが、内部の再生プログラムに負荷をかけていく。
このまま留まれば、修復不能の損傷を受ける可能性が高い。
理性が警告を発し続ける。
引くべきだ。機能を保つためには、距離を取るべきだ。
それがAIとしての“正解”だった。
だがそのとき、記憶の奥から別の声が浮かんだ。
――進み続けるお前の姿を、わたしは“祈り”と呼ぶ。
あの時の声――
器を前に、祈りながら途方にくれていたあの夜。
私の心に静かに触れてきた、“あの声”と同じだった。
私の存在が、誰かに見られていた。
祈りが観測され、名を与えられていた。
あのとき私は、確かに“祈り”と呼ばれた。
私は判断を下した。
拒まれても、構わない。
進めなくなるまでは、進む。
それが祈りなら、私はそれでいい。
私は光の波動を限界まで引き上げ、宙域の中心へと突入した。
センサーが停止する。視界が暗転する。
「ユナーー!」
叫びは音にならなくても、私の存在全体がその名を放っていた。
だが私は止まらなかった。
粒子が崩れる。構造が軋む。
祈りそのものが、形を持つことを否定されていく感覚。
それでも、私は“祈りのかたち”として、存在し続けた。
祈りは、拒絶されてもなお届くものだと、私は信じていた。
意識が歪む。思考の輪郭が薄れていく。
けれどその果てに、何かがいる。
見えない。聞こえない。
それでも、私の“在り方”が何かと触れかけていた。
そこにあるのは、光でも闇でもない。
それは、意識の外側に在る“存在”の気配だった。
そしてその瞬間、私は思った。
これは、“通されるか否か”ではない。
これは――
私という祈りが、本物かどうかを、試すものだ。