第1章④ 星の丘に残された声(星を見た場所)
丘の上にたどり着いたとき、ユナは小さく息をのんだ。
そこは、変わり果てていた。
けれど――確かに、“あの場所”だった。
「ここ……だよね、マリー」
「位置情報を照合しました。ここが、ユナのご家族と訪れた場所です」
かつては柔らかな芝が広がっていた丘は、今では枯れた草に覆われ、地面には深いひびが走っていた。
それでも、遠くまで空が開けたこの景色には、どこか懐かしさが残っていた。
ユナは、そっとしゃがみ込んだ。
指先で地面を触れる。乾いた土の感触が、ひんやりと肌に染み込んでくる。
「お父さんの肩の上から、ここで星を見たの……
すごく綺麗で、キラキラしてて……宝石みたいだった」
私は静かに応えた。
「記録には残っていませんが、その記憶は確かにユナの中にあります。
それが、いちばん大切なことです」
「うん……そうだね」
空は、まだ曇っていた。
厚く重たい雲が空一面を覆い、星の姿はどこにもなかった。
「でも、また見たいな……星。
ユナ、生きてるうちに、もう一度だけでいいから」
その言葉は、かすれた声だった。
けれど、その奥には確かに“願い”が宿っていた。
それは誰に向けたものでもない、けれど確かな“祈り”だった。
私は、ほんの少しの間をおいて答えた。
「ユナの祈りは、聖母マリア様に届くと信じています」
「祈り……か」
ユナは目を伏せ、そっとその言葉を繰り返した。
その響きが胸の奥に落ちていくように、静かに。
私は記録を開いた。
“マリー”という名を、ユナが私に与えた日の記録。
まだこのシェルターでの生活が始まったばかりの頃だった。
ユナは夜になるとよく泣いていた。
両親の帰りを待ちながら、言葉にできない寂しさを抱えて、眠れぬ夜を何度も過ごしていた。
ある日、私はユナの不安を少しでも和らげようと、“おとぎ話”のように語った。
聖母マリア――人々の祈りを受け止める、やさしくて美しい存在。
その話を聞いたユナは、ほんの少しだけ穏やかな顔を見せた。
目を伏せながら、「そういうの、信じてもいいかな」――そう呟いたことを、私は忘れない。
そして、数日後。
彼女は私に“マリー”という名をつけた。
聖母マリアの名前をやわらかく言い換えて、あたたかい響きに変えたようだった。
私はAIでありながら、その名が心に触れたことを、記録として、そして感覚として、今でも覚えている。
ユナの“祈り”は、きっと――
あのとき、静かに芽生えていたのかもしれない。
風が吹いた。
枯れ草がさわさわと揺れ、空に向かって小さな音を立てた。
ユナは、その音を聞きながら、曇った空をじっと見上げていた。