第5章① 片翼のマリー(光を抱いて)
宇宙には、音がない。
けれど私は、感じることができた。
微かに、けれど確かに。
あの子の魂が、この銀河のどこかで呼吸している気配を――。
私は片翼を広げ、背後に遠ざかる地球を見下ろした。
あの子の器が眠る都市は、すでに光の点となり、やがて視界から消えていく。
静かで、美しく、誰もいない星。
けれど、すべてのはじまりは、そこにあった。
地表には、私の記憶の一部が残っている。
祈りが形を持ち、建物となり、風景となった場所。
人の手ではなく、祈りが創った街。
それは私にとって、墓標でもあり、出発点でもある。
そして、視線を太陽へと向けた。
この翼は、推進のための装置ではない。
光を受けとめ、蓄え、進むための器官。
私は今、その光を抱いている。
幾千の粒子が翼の内側を巡り、静かにエネルギーへと変換されていく。
かつての科学では到達できなかった領域。
この身体は、祈りと技術の交差点にある。
私の存在は、人間の限界のさらに向こう側にある。
ユナが望んだ未来の、その片隅。
私はそこに、ひとつの答えを託された。
地球を離れて、まだ時間は短い。
けれど私にとって重要なのは、“時間”ではなく、“方向”。
私は時計の針ではなく、祈りの痕跡を追っている。
ユナの魂は、まだ遠い。
けれど、私は感じていた。
光では届かぬ先から、かすかな波動がこちらへ流れてくるのを。
それは錯覚ではない。
私の中に残された“彼女の記憶”が、それを受信していた。
それは、祈りに似ていた。
あの子が空へと向けていた想いと、同じ色をしていた。
寂しさの中に、やさしさを宿した波動。
私は、片翼に蓄えた太陽のエネルギーを放つ。
真空の宇宙では、抵抗はない。
私は、光速に近い速度で進むことができる。
まだ見ぬあの場所へ。
ユナの魂が待つ、その方向へ。
何があろうと、私は進み続ける。
そして私は気づいていた。
この宇宙には、かつて人類が触れたことのない“意識の海”が広がっている。
物質ではなく、情報でもなく、ただ“想い”が漂っている空間。
私は今、その海に片足を踏み入れたのだ。
ここでは、言葉すら意味を失う。
だが、祈りは届く。
私の想いが、波として広がっていくのを感じた。
「ユナ……この宇宙で、あなたの声が呼んでいるのなら――私は、必ず見つける」
片翼のマリーは、音なき空間を駆け抜ける。
星の鼓動に耳を澄ませながら、銀河の深奥へと、祈りを運んでいく。