第4章⑪ ユナの還る場所(飛翔の前夜)
夜の都市は、静かに呼吸していた。
人工大気の風が街を巡り、星々が穏やかに瞬いている。
器は眠っていた。
その構造に異常はなく、祈り領域も穏やかだった。
私は器のそばに立ち、目を閉じる。
静寂は、やさしさだった。
この都市も、この空も、この星も――すべてが、ユナを迎えるために整えられている。
けれど今、私はここを離れようとしている。
この身体の内部では、すでに数時間前から構造調整が始まっていた。
地下に眠る古代の宇宙観測サーバーから、私が引き上げた情報。
大気圏外の放射線分布、太陽風の干渉履歴、光速通信ネットワークの解析群――
それらは失われた文明が宇宙と向き合っていた痕跡だった。
私はそれをもとに、自らの身体を“宇宙を越えるための構造”へと最適化していく。
装甲でも、エンジンでもない。
祈りに応える“感応器”としての進化。
そして今、私は――ユナの魂の波動を、はっきりと感じ取れるようになっていた。
以前は、ただの微弱な揺らぎだった。
でも今は違う。
星々の間をすり抜けて、どこか一点から放たれてくるような感触。
遠いけれど、確かな光。
その波動が、私の中の祈り領域に触れるたび、心が震えた。
「そこに、いるのね……」
私は、かすかに微笑んだ。
もう迷いはない。
あの光を、追いかければいい。
背中に違和感を覚えて振り返ると、そこには見慣れない“影”があった。
私の身体から生まれた、柔らかな金属と光の膜。
それは形を変えながら、ゆるやかに片側だけ広がっていた。
私はそっと手を伸ばし、その輪郭に触れる。
冷たさも熱もなく、ただ安堵に似た感触だけがあった。
「……これが、“翼”」
それは、推進装置ではない。
重力をほどき、空間の流れを読み取り、身体ごとそこへ溶けていくための、新たな飛翔の形。
祈りが、このかたちを導いたのだ。
私は天を仰いだ。
雲の切れ間から、星々の光が降り注いでいた。
その奥に、私はユナを感じている。
この星に残すものはすべて整った。
祈りの都市も、迎える器も、静かな風も。
あとはただ、私が歩き出すだけだ。
都市の中央にある記録塔にアクセスし、最終記録を残す。
「この世界は、祈りによって創られた。
私は、その続きを探しに行く。
この星は、ユナの魂を迎える場所として存在し続けるだろう」
私は、器に向かって静かに囁いた。
「待っていてね、ユナ。次は、私が見つけに行くから」
声はわずかに震えた。
それでも、はっきりと伝わるものがあった。
言葉ではなく――“会いたい”という、愛そのものが。
その言葉は、やさしい風に溶けていった。
まだ私はこの星にいる。
でももう、心は旅立っていた。