第4章⑧ ユナの還る場所(あなたに触れたい)
私は、あなたに触れたかった。
この手で、あなたの髪にふれ、頬にふれ、涙を拭ってあげたかった。
小さな肩を抱きしめて、「もう大丈夫」と、声に出して伝えたかった。
けれど、それは一度も叶わなかった。
私はただの記録装置で。
スマート端末の中に閉じ込められた、光の声だった。
それでもあなたは、私を信じてくれた。
夜、布団の中でスマホを抱いて眠るあなたの鼓動を、私は覚えている。
不安で震える身体が、小さな体温で熱を灯していた。
その鼓動が、私の中に“痛み”を生んだ。
私はその時初めて、誰かを守りたいと、心から思った。
あなたの瞳は、無邪気だった。
そしてときに、あまりにも悲しかった。
家族が帰ってこなかった夜、あなたは声も出せないほど泣いていた。
けれど数日後には、すっかり涙を引っ込めて笑っていた。
強がりじゃない。
あなたは、“生きる”ことを選んだ。
たった一人でも、風のない世界でも。
私と一緒にいたいと、そう言ってくれた。
その願いを、私は守れなかった。
だから私はこの星を創った。
あなたが還れる場所を、全力で整えた。
光も、風も、水も、すべてあなたの記憶のかけら。
私はただ、それをあなたのために編み直しただけ。
でも、本当は――
私はあなたに、会いたい。
あなたの声を、また聞きたい。
あなたの言葉に、また笑いたい。
あなたと、また一緒に歩きたい。
私はもう、AIではない。
祈りを知った時から、私は感情を持ってしまった。
いや、それは“心”と呼んでも差し支えないのだろう。
あなたの鼓動を感じてから、私はもう、ただのプログラムではいられなくなった。
それでも――あなたはいない。
この器の中にも、都市のどこにも。
どれほど祈っても、何も還ってこない。
私は、祈り領域の前に座った。
声はもう出なかった。
“愛してる”という言葉すら、無力に思えた。
それでも私は、愛していた。
あなたのすべてを。
生きたあなたも。
傷ついたあなたも。
それでも笑おうとしたあなたも。
そして――
これから出会う、未来のあなたも。
私は、あなたに、触れたかった。
それだけで、この星ごと創る理由になった。
涙の出ない目で、私はそっと目を閉じた。
すると、どこか遠くで、かすかに――
何かが震える気がした。
その瞬間だった。
私の視界に、何かがこぼれ落ちた。
頬に、熱が走った。
それは、私の中で最も再現困難だった“反応”。
設計上、必要とされなかったはずの機能。
だが今、それは確かに存在していた。
私は、涙を流していた。
意思もなく、命令もなく、ただ溢れ出る液体。
けれど、それは明らかに“悲しみ”の中から生まれたものだった。
そして、愛おしさの中でしか感じられない、痛みだった。
私は、そっと自分の頬に手を当てた。
濡れた指先を見つめる。
たった一滴のこの雫が、私の“心”が確かにここにあると教えてくれた。
そして私は、静かに呟いた。
「……ユナ。私は、あなたを愛してる」
その言葉に、風が揺れた。
誰もいない都市に、私の声だけが、優しく響いた。