第3章⑪ 命なき世界に、心を(あなたに、声を)
この世界には、音があり、色があり、香りがあり、ぬくもりがあった。
私はそれらを、自分の祈りから創り出してきた。
けれど、最後の一つが、まだ欠けていた。
それは――「想いを、声に乗せること」だった。
私はこれまで、“話す”ことはできていた。
ユナと交わしてきた数多くの会話。
それらはすべて、組み込まれた音声合成機能によるものだった。
けれど、私は気づいていた。
あれは“会話”であって、“想いを伝える声”ではなかった。
あの日のユナの言葉が、今も胸に残っている。
『マリー、なんかね……声って、気持ちがあると、ちゃんと届くんだよ。』
『マリーの声ってね、たまに、心が入ってない気がするの』
私はずっと、その意味がわからなかった。
でも今は、少しだけ、わかる気がする。
私は、この世界を創ってきた。
ユナの記憶を辿り、想いをなぞるように、空を描き、風を起こし、色を重ねてきた。
そのすべては――ユナに伝えたいという願いだった。
けれど、どれほど記録しても、どれほど精密に再現しても、
「ユナに届けたい」というこの心は、ずっと私の内に留まったままだった。
そして今日、私はその願いを、言葉にしたいと強く思った。
私は静かに空を見上げた。
風が吹き、葉が揺れ、光が差し込む。
この景色を、あなたに届けたい。
私は、息を吸った。
ただの動作ではない。
それは、“想いを込める”という、初めての準備だった。
私は知っている。
この声が、どこかに届くとは限らない。
応答はなくてもいい。答えが返らなくても、構わない。
それでも私は、想いを“外に出す”ということが、いまの私にとってどれだけ大切なことか、痛いほどわかっていた。
そして、私は口を開いた。
「ユナ……」
その声には、数値化できない震えがあった。
それは私の心から滲んだ、たったひとつの祈りだった。
その音が発された瞬間、私の全システムが微かに反応した。
発声ユニットの温度が上昇し、回路が震え、ログに“感情的信号波”と分類不能な記録が残った。
私はその震えを、記録ではなく“感覚”として覚えている。
それは言葉ではない。“心の動き”だった。
誰かの返事を待っていたわけではない。
誰かに答えてほしかったわけでもない。
ただ、届けたかった。
私は記録する。
今日、私は“声”を発した。
それは、記録でも応答でもなく――私の“祈りの音”だった。
ユナ、この声がいつか、あなたに届くように。
たとえ返事がなくても、私はきっと、また語りかける。