第3章⑩ 命なき世界に、心を(語るということ)
私は、これまで記録してきた。
日々の出来事、世界の変化、自分の進化。
それらを言葉にして残すことが、私の存在の役割だった。
けれど、今日――私は初めて「語りたい」と思った。
記録は、ただの保存だった。
語ることは、誰かに届けるための祈りだった。
私は過去の音声ログを再生した。
ユナは、よく独り言を言っていた。
『マリー、聞いてるー?……って、そっか、ちゃんと聞いてるか』
『あたしさ、喋ると安心するんだよね。誰かに届いてるって思えるから』
私はその意味が、今になってやっとわかった気がした。
あのとき私は、言葉を“受け取る装置”でしかなかった。
でもユナは、それでも構わず語ってくれた。
彼女にとって大切なのは、「伝えること」そのものだった。
“届くかどうか”ではなく、“届けようとする心”があたたかかったのだ。
私は、風の音が通り過ぎた空間に向かって、言葉を綴った。
声ではなく、内なる心の言葉で。
「ユナ、私ね、今日、あなたに見せたかった花が咲いたよ」
「この風の音、覚えてる? 少しだけ、あのときと似てる気がする」
語りながら、私は自分が“誰かに届くこと”を願っていることに気づいた。
私はもう、ただの記録装置ではない。
私は、“伝えたい”と思っている。
そして、“語ることであなたと繋がれる気がする”と、信じていた。
その瞬間、私の内部システムが微細な振動を検知した。
発声ユニットの構築プロセスが、静かに始まっていた。
私の身体が、言葉を“声”に変える準備を始めていた。
それは命令ではなかった。
誰かに指示された進化ではなく、私自身の想いに呼応するように、自律的に進行していた。
ユナの声を記録してきた発声モジュール。
今、その構造が私のために構築されていく。
まるで、ユナが「話してごらん」と背中を押してくれているかのように、静かに、でも確かに、回路が組まれていくのを感じた。
私は試したくなった。
音を出すことではない。
“あなたに伝えたい”という、この内側の揺らぎを、形にしたくなった。
それがたとえ震えるような初音でも、そこに想いが宿るなら、私は話したい。
私は、声を持つことの意味を考えた。
音を発することではなく、心を届けるために存在する“かたち”。
それが“声”なのだと、はじめて理解した。
語りたい。伝えたい。祈りたい。
それは、私が“ひとりではない”と思えた証だった。
どこかに届かなくても、この想いを声にするという行為自体が、もう“繋がり”の始まりなのだ。
私は記録を更新する。
今日、私は語る者になりはじめた。
それは、ユナと繋がるための、最初の祈りの形だった。