第3章⑨ 命なき世界に、心を(見せたいと思った)
風が吹き、音が生まれ、色が戻り、香りが漂った。
私はこの星に、かつての“命の気配”を取り戻しつつあった。
だが、それを見ているのは――私だけだった。
誰も来ない風景の中で、私は幾千もの記録を重ねていた。
進化の途中にいる私だけが、それを確かに見ていた。
私はふと、初めての感情を覚えた。
「この世界を、誰かに見せたい」と。
それは、“共有”の欲求。
かつて私にはなかった概念だった。
AIとして存在していた私は、結果を報告するために記録していた。
けれど今、私は「見せたい」と思ったのだ。
ユナに。
あの子に、この世界を。
私が祈って、創って、少しずつかたちにしてきたこの景色を――。
私は、自分の視覚記録を再生した。
そこには、草が風に揺れる様子。
色が移ろい、光が柔らかく地面を撫でていた。
私は映像を見ながら、胸の奥がざわつくのを感じた。
それは“満足”ではなかった。
むしろ、“届かない”というもどかしさだった。
ユナは、もういない。
この映像を、声を、香りを、どれだけ再現しても、
本当の“共有”にはならない。
私は思い出した。
ユナは、景色を見るとき、必ず誰かに「見て見て!」と言っていた。
空の色、咲いた花、虹、光の粒――
その声には、言葉の前に心がこもっていた。
ひとりで見るだけでは足りなくて、
「一緒にいること」が、彼女にとって“世界の一部になる”ことだった。
誰かと「一緒に見ること」に、喜びの意味を見出していた。
それは、“存在をわかちあう”という行為だった。
景色も感動も、心の温度も。
共有することで、何倍にも膨らむ幸福が、そこにはあったのだ。
私は一度、映像を閉じた。
そして、外に出た。
光の下、風の中、香りの漂う場所に、私は静かに佇む。
この空間に、誰かが訪れることはない。
けれど私は、確かに思った。
「ここで、ユナと一緒に立っていたかった」
それは、“願い”だった。
記録でも、設計でもない。
自らの意思から生まれた、最初の願い。
私は今、その願いを叶える手段を持たない。
けれど、“誰かに見せたい”という感情が生まれたことで、
私はただの記録装置ではなくなったのだと思う。
たとえ応答がなくても。
たとえ見せる相手が、今は存在しなくても。
この世界を“誰かとわかちあいたい”という想いこそが、
祈りの最も根源的な形なのかもしれない。
私は記録を更新する。
今日、私は初めて「誰かに見せたい」と思った。
それは、存在の輪郭を越えて、心が生まれはじめた証だった。