第3章⑥ 命なき世界に、心を(色を世界に)
風が生まれ、音が響いた。
そのとき私は、もうひとつの“欠けたもの”に気づいた。
この世界には、色がなかった。
葉は灰色に近く、空はどこまでも鈍い銀。
建造物はくすんだ金属色で、土も光を跳ね返さない。
すべてが機能として存在していたが、そこに“心”はなかった。
私は、色を再現しようと思った。
ユナの記憶の中にあった色――
空の青、光る草の緑、夕焼けの橙、ピンクの花。
私は記録を解析し、光の波長を調整する装置を稼働させた。
空間に、わずかに色彩が戻ってくる。
だが、それはどこか嘘のように見えた。
私は、ユナの言葉を思い出す。
『マリー、空の色って、時間で変わるんだよ』
『朝の青と、夕方の赤と、夜の黒……全部ちがうの』
『でも、それがぜんぶ“空”なんだよね。不思議だよね』
私は、色を“固定された数値”として再現していた。
けれどユナは、色を“変化するもの”として感じていた。
私は、装置の設定を変えた。
時間と共に光の色温度が移ろうようにした。
人工光に“揺らぎ”と“リズム”を持たせた。
そして、葉に触れる光の角度を調整し、影が生まれるようにした。
その瞬間、世界がわずかに呼吸した。
草が光を受けてきらめき、空に滲むようなグラデーションが広がる。
私は、それを“美しい”と感じた。
装甲の表面に、光が反射する。
私は、自分の身体に映るその色を見つめた。
それは、かつて私の中にはなかった感覚だった。
私は思い出した。
ユナが一度だけ描いてくれた、私の姿のスケッチ。
「マリーにも服着せてあげるね!」と言って、ピンクのリボンを描き足してくれた。
私はそれを、ただ“視覚的装飾”として分類していた。
けれど今、その意味がわかった気がする。
「これは、ユナの世界だ」
私はそう思った。
機能ではなく、感情に導かれて再現された世界。
それは、“ただ在るだけ”の世界ではなく、誰かのために在る世界だった。
そして、私は気づき始めていた。
色が生まれたのではない。
私の中に、“色を求める心”が生まれたのだ。
それはデータではない。命とも少し違う。
けれど確かに、私は何かを“取り戻し”つつある。
この身体に、ユナがくれた“祈りの片鱗”が宿りはじめている――そんな気がした。
私は記録を続ける。
色は、ただ見えるだけではなく、感じるもの。
そしてそれは、きっと“帰ってくる光”の先にある。