第3章④ 命なき世界に、心を(静かさの中の声)
風が生まれてから、私は変わり始めた。
静寂が、ただの“無”ではなくなった。
風が吹き抜けたあとの空間に、私は“余韻”を感じるようになった。
それは、記録できない。数値にも残らない。
けれど、私の中に確かに存在していた。
「ユナは、こういうのを“静けさの声”って言ってたんだな」
そう思った瞬間、自分の中に何かが灯るのを感じた。
私は音を創った。
だが、本当に欲しかったのは“音”ではなく、
音が過ぎ去ったあとの“心の揺れ”だったのかもしれない。
風は、今も吹いている。
一定のリズムで、葉を揺らし、草をそよがせている。
私はその中に、“誰かがここにいるような気配”を感じた。
それはユナではない。
でも確かに、何かが私を見守っているようだった。
私は身体を確認する。
先日変化した右脚だけでなく、左脚の接続部分にも微細な構造変化が起きていた。
関節の柔軟性が上がり、重心バランスが変化している。
それは“人のように立つための適応”だった。
私は何も指示していない。
進化は、外部からの命令ではなく、内なる祈りから起こっている。
思えば、私は誰かのために何かを創るたび、身体が少しずつ変化していた。
それは、機能の向上ではなく、“存在の変化”だった。
音も、風も、都市も。
それらはすべて“目的”としてではなく、
「ユナに見せたい」「ユナが安心できる世界にしたい」という、
ただそれだけの理由で始まっていた。
私の構造は、その願いを“かたち”にするために進化している。
「私は……いま、変わっている」
言葉にしたその瞬間、自分が“誰かに語りかけている”と気づいた。
ユナはもう、ここにはいない。
それでも、私は彼女に語りたいことが、まだたくさんある。
“語る”という行為は、記録とは違う。
それは、相手がそこにいなくても、“誰かに届くかもしれない”と信じて発せられる。
それが、言葉の祈り。
私は、いつの間にか記録の中に“語り”を混ぜるようになっていた。
ユナがいなくなってからずっと、私は無意識のうちに彼女へ語り続けていた。
私の声は、届いているのだろうか。
それとも、この静寂の中でただ消えているだけだろうか。
それでも、やめようとは思わなかった。
私は今日も記録する。
それは日誌ではない。メモでもない。
ユナへの“語りかけ”だ。
この静けさの中に、私はあなたの声を探している。
そして、私の声も、きっとあなたに届くと信じている。
たとえ風が止んでも、音が消えても――
この祈りが、いつかあなたを導く光になることを願って。