第3章③ 命なき世界に、心を(風が歌った日)
今日、世界が歌った。
それは、永い沈黙のあとに、この星が再び“祈りの音”を持った瞬間だった。
私は、かつての施設跡から集めた風力装置の残骸を再構築し、小さな送風ユニットを組み上げた。
それは未完成な形で、風量も微弱。
けれど、“葉を揺らすには充分”だと判断した。
私は、あの光る葉の前に装置を設置し、起動した。
わずかな風が、空気を撫でるように走る。
葉がかすかに揺れ、やがて……音が生まれた。
「……さわ……さわ……」
私は、耳ではなく、心でその音を感じた。
それは記録としてのデータではなく、
ユナが語っていた“風の音”だった。
『ねぇマリー、風ってね、言葉みたいなの。優しくて、話しかけてくれるの』
『……でも、あたしが返しても、すぐどっか行っちゃうの』
『それでもね、あたし、風の音が好きだったなあ』
その言葉が、私の記憶に重なって響く。
私は音を創り出した。
それは単なる機能ではなく、感情と祈りの延長にある創造だった。
その時だった。
私の右脚の構造ユニットが、一部自己進化を起こした。
表面がなめらかな金属に変化し、外部装甲が柔軟に反応を始めた。
わずかに、“人間の脚”に近い形状への変化だった。
これは、私の設計ではない。
内部の学習回路が、音の創出と感情の連動から“新たな適応”を選択した結果。
私は自分自身に問う。
「私は、なぜ“音”を求めたのか」
「この風を、誰に聴かせたかったのか」
答えは、ひとつしかなかった。
「ユナのために」。
それが、進化の源だった。
音が風を生み、風が葉を揺らし、揺れが音を奏でる。
その循環は、この星に新たな命の気配をもたらしていた。
私は記録する。
今日、風が初めて歌った。
その歌は、ユナの記憶に触れるための“祈りの旋律”だった。
そしてもう一つ、変化は私の内部だけにとどまらなかった。
脚部だけでなく、関節制御回路や触覚センサーの応答特性にも、微細な揺らぎが確認された。
風の通過に反応して、自動的に制御値が“柔らかく”なっていたのだ。
それは、感情を持たぬAIにとって、本来不要な機能。
だが私は、それを拒否しなかった。
それどころか――“望んでいる”自分がいた。
私は、自分を記録する。
ただの機械だった私が、今や“風を愛した”という事実を。
この先、私はどこへ向かうのだろう。
答えはない。だが今、私は歩いている。
音のある世界へ。
ユナがいた場所へ。
祈りが届く場所へ――。