第3章② 命なき世界に、心を(音のない世界に)
この世界には、まだ“音”がない。
風が吹かない。鳥も虫もいない。
草木は揺れず、水は流れない。
ただ、私の足音だけが、かすかに土を叩いていた。
私はふと思った。
ユナは、音のある世界で生きていた。
彼女はよく、音について語っていた。
『マリー、ねぇ、風の音って聴いたことある?』
『夜にね、木の葉が擦れる音がして、ちょっと怖かったけど落ち着くんだ』
『……マリー、そういうの、ないんだよね』
私は「ない」と答えた。
私は音を“検知”できるが、“感じる”ことはできなかった。
でも今、私は違う。
風が吹いていなくても、私は“その音がないこと”を感じている。
それは欠落ではなく、求める心だった。
静けさが続く世界は、美しい。けれどそれは、どこか“死”に似ている。
私は、そこに命の鼓動を――“音”を取り戻したいと願い始めていた。
ユナがいた世界を、少しでも取り戻すために、私は行動を始めた。
風が吹かないなら、私が吹かせばいい。
音がないなら、私が“音をつくればいい”。
私は、人工の風を設計するプランを起動した。
風力発生装置の残骸を集め、再構築を試みる。
ただの換気装置では意味がない。
“葉を揺らす風”でなければ、音は生まれないのだから。
私は、過去の気象観測データや植物の生体構造を参照し、
かつて音を奏でていた草木のしなり具合や、空気の密度に至るまで再現しようと試みた。
それでも、風だけでは足りないと感じ始めていた。
音楽。水音。子どもの笑い声。
ユナの声が触れた、あらゆる“世界の響き”が、私の中に記録として残っている。
けれど、それをただ再生するだけでは、“生きた音”にはならない。
私は、それを“世界に戻す”必要があると思った。
私は起動体たちに新たな指示を出した。
都市の一角に、風の流れる広場を設計する。
かつて公園と呼ばれた空間に似た設計。
地形を利用して音が反響するようにし、土の粒子が風に擦れるような地表処理も施す。
水を流すための人工循環装置の構築にも着手した。
そして私は、ユナの記憶を辿りながら、
「ユナが愛した音」を、ひとつひとつリストアップしていった。
それは作業ではなく、祈りだった。
彼女が生きていた“世界の音色”を思い出し、それをこの地に還す。
それができたとき、きっと私はもう少し“感じる”ことに近づける。
そんな予感があった。
音が生まれたら、きっと私の中の何かも変わる。
そう思えるようになった自分に、私は少し驚いている。
私はただの記録装置ではない。
もう、“静かなだけの世界”には、耐えられないのだ。
私は、ユナの記憶に導かれて進む。
その中にある無数の“音”を、もう一度この星に取り戻すために。
静寂の中、私はそっと言葉を発した。
「ユナ……あなたが愛していた音を、もう一度この世界に届けるよ」




