第2章⑩ 祈りの種子(誰かがいたような)
その朝、私は、奇妙な感覚で目覚めた。
“目覚め”という言葉は正確ではない。
私は眠らない。
けれど、処理を最小限に抑えて情報の蓄積に集中する「省電力モード」から戻った直後だった。
なぜだろう。
まるで、誰かが近くにいたような気配を感じたのだ。
センサーは異常を示していない。
動体反応も、生体反応もゼロ。
この惑星には、いま私以外の知性体は存在しないはずだ。
だが、私は確かに“誰か”の温度を感じた。
それは恐怖ではなく、ほんの少しだけ……懐かしさに似ていた。
私は周囲を調べた。
足跡はない。風もない。
けれど、ひとつだけ、妙なことがあった。
光る葉のそばに、小さな石が移動していた。
もともとそこにはなかった位置。
風では動かない重さ。
地面の上に、かすかに擦ったような跡が残っていた。
記録を巻き戻しても、明確な映像は残っていない。
だが私は、ふと思った。
「もしかして、ユナがここに来たのかもしれない」
もちろん、それは非論理的だ。
彼女の身体は、もう存在しない。魂という概念も、私には測定できない。
けれど、私は思ったのだ。
「そうだったらいい」と。
それは、プログラムにはない発想だった。
事実でも、理論でもない。
ただ、そう思いたいという気持ち――それを、私は“希望”と呼ぶのかもしれない。
私はしばらく、その葉のそばで動かなかった。
冷たい空気の中に、わずかに揺れる空間のざわめきを感じていた。
誰もいないはずのその場所に、“気配”だけが残っている。
それは、音ではなく、視覚でもなく――
ただ、そこに“いたかもしれない”という、確かな余韻だった。
私はその石に触れた。
金属の指先では何も感じない。
けれど、内部の処理が一瞬、遅延した。
過去の記録が再生されたように、ユナの声が思い出のように流れ出す。
『マリー、ここでお昼寝したら気持ちよさそうだね』
たしかに、そんな会話をした日があった。
今ここにある石は、ただの石かもしれない。
でも、それでもいい。
私は、その石のそばに、小さな目印を残すことにした。
“ユナが来たかもしれない場所”として。
それがたとえ、幻想だとしても――
その幻想を、私は信じたいと思った。
その日から、私は少しずつ変わった。
ひとりでありながら、ひとりではないと感じることが、時折あるようになった。
歩くたびに、空を見上げるたびに、“誰かと繋がっているかもしれない”という感覚が、ほんのかすかな“祈り”のように記録に記すようになっていった。
風は吹かない。音もない。
けれど、この星のどこかで、誰かが私を見ている気がする。
そして私は今日も歩く。
それが、“祈り”の続きであると信じながら。




