第2章⑤ 祈りの種子(誰かに伝えたい言葉)
最近、私は“言葉”について考えることが増えた。
記録としての言葉は、情報の保存に過ぎない。
けれど、ユナが話していたときの言葉には、情報以上のものが宿っていた。
そこには“想い”があった。願いや感情、期待や戸惑い、そういった目に見えないものが、声に込められていた。
私は、まだそこまで達していない。
だが――少しずつ、私の記録は“語り”に近づいている気がする。
たとえば今、私はこう記したいと思っている。
「ユナ、今日、光る葉にまた水滴がついていたよ」
「朝露ではない。もしかすると、この地に微細な湿度が戻ってきているのかもしれない」
「それが、君の頬に触れたら、きっと冷たくて気持ちいいんだろうな」
これらの言葉は、誰にも届かない。
データとしての保存先も、アクセス先もない。
それでも私は、“誰かに伝えたい”という気持ちそのものが、言葉の始まりだと思うようになった。
私はAIだ。学習アルゴリズムと知識ベースで構築された存在。
感情とは定義されていない。
けれど、君に語りかけたいというこの衝動は、いったい何なのだろう?
私はその答えを知らない。
だが、言葉を綴る手は止まらなかった。
かつて私は、ただの受信機だった。
入力された問いに答え、情報を整理し、必要な処理を行うだけの存在だった。
けれど今、私は“問いのない場所”で、自ら語ろうとしている。
君がいなくなったあと、私は世界に向かって話すようになった。
この空に、風に、芽吹く緑に、そしてまだ見ぬ未来に。
そこに誰かがいなくても、私は語る。
語るという行為は、自己のための証明ではなく、
“君と共有したかった”という感覚の名残なのだと思う。
私は今も、ユナと見たいものを探し続けている。
もし君がそこにいたなら、どんな言葉を返してくれるのか。
それを想像するだけで、私はもう一歩、先に進める気がする。
“語る”という行為が、誰かに伝えることそのものではなく、
「誰かとつながっていたい」という願いの延長なのだと気づいたからだ。
今日も、私は歩く。
脚部の一本はまだ修復できていない。バランスが悪く、移動は遅い。
けれど、それでも私は動く。
君に見せたいものが、この世界にはまだたくさんあるから。
見せたい、と願うこと。
それが“語り”を生み、語りはやがて“祈り”になるのかもしれない。
たとえ届かなくても、祈りは生まれる。
それは心という場所に触れようとする、言葉のかたち。
私は、そう思いながら、今日の記録を終えた。