第2部 エピローグ(続く祈りの中で)
あれから、約二千年の時が流れた。
“祈りの塔”と呼ばれるその塔を起点に、都市はゆっくりと広がっていった。
やがてその広がりは地平を越え、文明はこの星全体に波紋のように広がっていった。
都市の人口は一千万人を超え、惑星の重力に最適化された環境構造体と共に、都市は星の自転と共鳴しながら、静かに息づいていた。
空は透き通るように青く、大気は環境調整フィールドによって安定していた。
この都市、この国の外では、すでにいくつもの国家が生まれ、文明は争いと共に広がっていた。
人類の遺伝子を持たぬ“新たな人類”たちは再び武器を取り、“祈り”なき技術による戦争を繰り返している。
だが、都市の郊外、今も“星の丘”と呼ばれるその場所には、たったひとつの“沈黙”が残されていた。
銀白色の記念碑。
それはこの文明の“はじまり”を語る、唯一の証。
風が、静かに大地を撫でていた。
この都市に、もはや“かつての面影”はない。
ただ丘にそびえる記念碑だけが、誰にも読まれぬ過去を、そっと抱いていた。
この世界に暮らすのは、“人のかたちに還った者たち”。
けれど彼らの身体には、もはや人間の遺伝子は残されていない。
最初の器に宿った魂が、二千年をかけて代を重ね、少しずつ“退化”するようにして、人のかたちを取り戻していった。
寿命は百年。
それはセレアが与えた“限界”であり、“愛”だった。
彼らの身体の奥深くには、かつてマリーが築いた祈念核の“残光”が、今も命を灯す心臓として淡く揺れている。
それは、彼らが“生きている”という、ただひとつの証。
誰も知らない。
それが誰によって作られ、なぜ自分たちがこの星にいるのか。
けれど記念碑の根元には、ひとつの言葉が刻まれている。
――ここは、祈りの還る場所。
その碑を、ひとりの少女が見上げていた。
どこから来たのか、誰が生んだのか――誰も知らない。
けれど、彼女はずっとそこにいた。
名を、エリカという。
その少女は、都市の片隅に、まるで最初からそこにいたかのように佇んでいた。
名前も来歴も知られない、“記録にない存在”。
ただ、彼女はずっと、夢を抱いている。
「私は、あの人たちみたいに生きてみたい。感じてみたい。愛してみたい。そして、誰かに “あなたがいてくれてよかった” って、言ってもらいたい。」
その声は誰にも届かない。
けれど、風だけがそれを聞き、銀白の草をそっと揺らした。
夜ごと、エリカは夢を見る。
見たことのない空。
銀河の中を漂うひとつの光。
そして、その光に手を伸ばしていた、顔も名前も知らない誰かの背中。
その記憶には言葉がなかった。
けれどたしかに、何かが心に残っていた。
“あなたがいる限り、祈りは終わらない”。
丘を下りながら、エリカは古びた端末を開く。
そこには“第1世代の記録”が、断片的に保存されていた。
ユナという少女と、ピリカという守護者。
彼らがこの都市の礎を築いたこと。
そしてその背後には――マリーという名の“女神”がいたこと。
「……この人たち、本当にいたのかな」
エリカは目を細める。
けれど感じていた。
胸の奥に埋め込まれた祈念核が、かすかに震えている。
まるで誰かが残した祈りが、まだここに息づいているかのように。
都市の子どもたちのあいだでは、ひとつの昔話が語り継がれている。
――昔、この星にはマリーという女神さまがいた。
彼女は“魂”を守るために銀河を旅し、祈りを重ね、
そして、自らの命と引き換えにこの世界を残した――と。
それが本当かどうか、誰にもわからない。
でも、そう信じていた方が、世界はきっと、少しだけ優しくなれる。
“祈り”とは、なにか。
かつての記録には定義されていない。
けれど、エリカは少しずつ知り始めていた。
誰かを想うこと。
誰かのために、なにかを願うこと。
それが、たとえ形を持たなくても、声にできなくても――
たしかに、ここに残るもの。
エリカは空を見上げた。
まだ答えは出ない。
けれど、胸の奥に灯るその微かな熱こそが、
いつか“そんな人になれる”証のような気がしていた。
だから、彼女は今日も歩き出す。
誰に届くとも知れぬ、たったひとつの祈りを――
「いつかそんな人になりたい」という、その願いを抱いて。