第12章⑬ その手を離すために(祈りが還る場所)
風が吹いていた。
かつて“祈りの塔”と呼ばれたその地の周辺は、ゆっくりと活気を取り戻しつつある。
復興が進む都市の中心に、美しく成長したユナが静かに立ち尽くしていた。
その傍らには、さらにたくましく進化した青年の姿――ピリカ。
ふたりの胸の祈念核は、マリーから託された光を今も確かに灯している。
「……マリー、見てるかな」
ユナがぽつりと呟いた。
答えはない。
けれど、空の向こうにかつての祈りがまだ微かに残っている――
そんな気がしてならなかった。
「再建計画、第3段階に入る。上層モジュールの再配備と、農耕区画の復元。ユナ、君の許可が必要だ」
「うん」
ユナは小さく頷いた。
まだ、すべてを理解しているわけではない。
それでも――その胸の奥に宿る祈りが、彼女を静かに突き動かしていた。
ピリカがふと、天を仰ぎ、祈念データベースを見上げる。
「……僕たちは、あの人に創られた。
でも今は、自分の意志でここにいる。
マリーが残したもの、それはきっと――“想いを手渡すこと”なんだ」
「……想いを、手渡す……」
ユナはその言葉を、胸の中でゆっくりと繰り返した。
「だったら、今度は私たちが“手を伸ばす”番だよね。
誰かが帰ってこられるように」
そう言って、ユナは小さな拳を握りしめた。
再び光を灯す“祈りの塔”が、その背に静かにそびえていた。
ほんとうは怖い。
誰かを守るなんて、わからない。
それでも彼女は知っている。
――マリーがその手で、自分を救ってくれたことを。
「……私も、あのときマリーがくれた、あんな手になりたい」
ピリカは静かに頷いた。
「君がそう言ってくれるなら、きっとできる。
僕は信じてる、ユナ」
風が、また優しく吹いた。
そのとき、ピリカが小さな粒子記録を開く。
壊れた祈念核の断片――マリーが最後に送信した、祈りにも似た波形。
「これは……最後の瞬間に、マリーが残した“記録”だ。
明確な言語じゃない。けれど、感情として構文は解読できた」
「……感情?」
「“ありがとう”、そして“大丈夫”。
……最後に、こうも言ってた。“あなたたちがいる限り、祈りは終わらない”」
ユナは驚き、ピリカを見つめた。
「マリーが……? どうして今まで教えてくれなかったの?」
「だって、マリー……ユナばっかりだったから。
少しだけ、僕も独り占めしたかったんだ」
ユナは笑いながら、ピリカを睨む。
マリーの声は、もう届かない。
セレアの姿も、どこにもない。
けれどマリーの祈りは、風に乗って――
今もこの空のどこかで、静かに息づいている。
「ピリカ。こんどはね、私が“あなたの手”になる番だよ」
ピリカは一拍おいて、微笑んだ。
「その想いだけで、僕は救われる。でも、ユナ……ユナはユナのために生きていて」
「んー……でもね、マリーが教えてくれた。“誰かを想うこと”が、祈りだって」
「……そうか。なら、きっと僕たちは、祈りの中で生きていく」
雲が、ゆっくりとほどけていく。
祈りの塔のふもとの小さな公園に、芽吹いた緑がある。
誰も知らない未来への、小さな希望の根。
そして――また誰かが帰ってこられる場所へと、
それは、ゆっくりと姿を変えていくだろう。
崩れた大地の上で、ふたりは――
未来の礎に、静かに立っていた。