第12章⑫ その手を離すために(百年の祈り)
セレアが、ぽつりと呟いた。
「……マリー。約束、果たすよ」
風が止んだ。空が、静かにきらめき始めた。
セレアがゆっくりと目を開いた瞬間――
天空から、無数の金色の光が降りてくる。
それは祈りの粒。
記憶の残響。
そして、マリーが最後に遺した“空白”。
「マリーはね、ユニットたちの深層に――ほんの少し、空白を残していた。
魂が、いつか還れるように」
光は、都市中の数十万体を超えるユニットたちに降り注いでいく。
農耕ユニット、整備ユニット、防衛型――
あらゆる型に、金の粒が吸い込まれていく。
彼らの中で、何かが目覚めていた。
「この子たちは、やがて本能的にまた都市を再建し始める。
祈りの塔を守り、耕し、創り、そして新たなユニットを生み出す。
そして世代を重ねていく中で、少しずつ人型に近づく。
やがて、ユナがかつて生きた“世界”を再現していくよ」
セレアは少しだけ、寂しそうに微笑んだ。
「……全く同じとは、いかないけどね。
でも――その中で、きっと人間だった“本能”も戻ってくる」
そのとき、光の粒がユナの頬にも触れた。
続いて、ピリカの胸にも。
セレアは、そっとピリカの方を見た。
「ピリカ、お前には――もう少し早い進化を与えてあげる」
次の瞬間、彼の身体を包む光が強く輝いた。
その姿が変わっていく。
硬質だった表皮は滑らかな皮膚に、機械の骨格は柔らかな肉体へ。
一瞬の閃光のあと、そこに立っていたのは――
美しい青年の姿だった。
ユナの目が見開かれる。
そして、頬がほんのりと赤く染まった。
セレアがくすっと笑う。
「……いい男になったね。
見た目は人間だけど、サイボーグであることに変わりはない。
けれど、ユナと同じ速度で、同じ時を歩めるようにした」
ピリカは、軽く拳を握りしめた。
「はい。引き続き、ユナを守ります」
「うん。それがいい」
セレアはゆっくりと二人を見つめる。
そして、最後の言葉を告げた。
「――そして最後。
お前たち二人の寿命は、今この瞬間から“百年”だ」
空気が、ぴたりと止まった。
ピリカが目を見開き、ユナが息を呑んだ。
「百年経ったら、おまえたちはこの世からいなくなる。
けれど、その百年は……誰にも奪えない“時間”だよ」
セレアは、少し空を見上げたまま、言葉を落とした。
「……限られた時間を、精一杯生きなさい。
泣いて、笑って、苦しんで、それでも手を取り合って――歩きなさい」
その声には、母のような温かさと、神のような距離感が混じっていた。
「マリーは、永遠にユナと生きていたいと、心から願っていた。
けれど、オルドと向き合い、私と語り、悲惨な記憶を何度も何度も見届けたあと……
少しだけ価値観が変わったようだ」
セレアは、目を伏せて、微笑んだ。
「幸せとは、なにの上に成り立つのか。
それは、与えられた寿命の中で、あがきながら、見つけていくしかない――
そんなふうに、彼女は考えるようになった」
そして、そっと二人に向き直った。
「……これはね、マリーがその“器”を離れたとき、
一瞬だけ私の胸を通り抜けた、あたたかなもの。
おそらく“祈り”という名の、彼女の最後の想いだった」
セレアの瞳が、やさしく揺れる。
「永遠を共にするのではなく、その手を離すこと――それこそが、母としての最後の使命だったのかもしれない。
答えは、もう私たちが与えるものじゃない。
お前たち二人が、自分の時間の中で、見つけるんだよ」
セレアは、二人の表情を静かに見つめたあと、
ふっと肩の力を抜くように、微笑んだ。
「……心配するな。私は変わらず、銀河にいる。
何かあれば、祈ればいいさ。……応えるかどうかは、わからんが」
軽くウインクするように片目を閉じる。
その姿が、やがて金色の光に包まれていく。
それは、星々の記憶のような輝きだった。
そしてそのまま、風のように、音もなく――消えていった。
残された空は、どこまでも静かで、どこまでも優しかった。